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一章:魔法使いと魔術師‐参

 ――世界を知ることは、人と繋がること。


 昔の思い出だ。

 両親と車に乗っていて、事故に巻き込まれた。

 未だに原因不明の、観測されなかった地震。高速道路が落ち、その中で多くのものが亡くなった。両親はその被害者。――後に、発生地域の名をとり、遠道線海道大地震と呼ばれたそれは、啓太の日常を一番初めに破壊した。

 奇跡的に軽傷で生き延びた自分は奇跡の存在と言われるほどの大事故。生き延びたものは二十人弱。

 説明がつかず、ただひらすらに運が悪かったのだと言われた。そんな事故だった。

 あの時の記憶はおぼろげだ。

 揺れる瞬間、前に坐った母親と父親は後ろを振り返った。その表情は後光で読みとれなかった。

 それが両親の最後の記憶だ。

 そして、――



「なんでだろ……」


 布団の中、目をつむりながら思う。

 妙に懐かしい。あの顔。黒の瞳。

 でも、どこで見たことがあると言うのか。暖かいものに包まれたまま、手を握る。思い出せない。温かで居心地が良いのに、心だけが重い。こんなに温かくてやけに健やかで、なのに。なにか、何か?

 連続する音が聞こえる。ぷるるる、ぷるる、しつこい、一体何の嫌がらせか、いくら待っても音は鳴りやまない。

 啓太は布団を頭からかぶる。

 目覚ましの音じゃない。電話の音だ。一体、こんな時間に誰が電話をしてくると言うのか。まだ、目覚ましが鳴ってないくらい早い時間なのに。

今度は何かピンポンなんて音がする。玄関のインターホン。なんなんだ、何があったっていうんだ。こんな早くから皆何をやっているんだ。目覚ましは鳴っていないけど、もう明るくなっているみたいだが――、

 明るく?

 脳みそが考えるよりも早く布団を蹴落とす。啓太は青ざめた顔で枕元の目覚まし時計をつかんだ。視野と脳が結びつき、文字盤の意味を理解した。

 なんだ。この時間。

 今日は金曜。授業は無いが午前中に終業式がある。なのに、なんでこんな時間に起きているのか。いや、いやいやいや嘘をつけ、まさか電池が無くなったのか、いつも携帯を置いているところを手探るも何もない。嘘。


 ――!!けーいた!!何かあったのー開けちゃうよー?


 やっとまともに働き始めた耳は玄関先で鍵が開く音を聞いた。実花だ。

慣れた足音は一直線に寝室までやってくる。ノックもせずにドアを開き、顔をのぞかせた実花は目を丸くした。


「おはよう。電話しても通じないから来たんだけど……、なんだ、ただの寝坊?っていうか、制服のまんまじゃないの」


 言葉にならないまま下を見下ろすと、流石にブレザーは脱いであるが靴下もシャツもズボンも、ベルトもネクタイもそのまま。


「ごめん……なんか、えっと寝坊したみたい……」


 混乱しながらも、あやまると、


「朝ごはんにこないのに心配してね。てか、そんなことより本当大丈夫?まさか酒とか飲んだ?宴会とかしたの?まさか……女の子連れ込んで不埒な行為とか……ッ?!いやん、おねーさんはずかしいわッ」


「……いや、なんか、気づいたら、っていうか、昨日の記憶……?」 


 変に盛り上がる実花を無視し、妙に痛い頭を触りながら、部屋を見渡す。ベッドの下には先ほどはねのけた掛け布団が転がり、その下にはブレザーがのぞいている。かばんはドアの前にあった。何故か薄汚れているかばんに違和感を覚える。拾い上げチャックを開けるとすぐに携帯は見つかった。開いても画面が明るくならない。

 エナメルバックの側面をなでる、ざらざらした感触。なんで、かばんが汚れているのだろう。土、土にまみれるようなこと、

 思い出した。

 閃光、赤い髪の女、刃を持つ男、そして、柔らかい首輪の少女。


「――いや、何でもない。その、昨日は友達とカラオケにいって、帰ってきたのが遅くて、つかれてて、多分」


そのまま寝ちゃったんだ。と続ける。


「そうなの?」珍しいものを見る顔の実花に、「あぁ」と平静を装い返す。言ってはいけない。あの世界に足を踏み込む勇気なんてない。口に出したらはいけない。


「普段慣れないことしたから、ごめん」視線を携帯から外さずに言うと、


「ま、そういうことだってあるよな。結構カラオケってつかれるもんねぇ、なんか一曲十カロリーだか消費するらしいわ。友達が一時期ダイエットとかいって通いつめてたんだけど、生活費とのどの調子がやばくなっちゃったからやめたのよねぇ……」


 実花の声が遠く聞こえる。開いたままの携帯。

 肩を叩かれて意識が現実に帰る。


「ともかく、その格好だと風呂も入ってないみたいだし、入ってきなさいよ。卵焼きでも作っといてあげるから。学校遅刻すんのはまずいでしょ?」


「……ありがと。大学はいいのか?」


「今日の講義は午後からだから私のことは心配しなくていいわよ」


「……そっか」


 実花の厚意に甘えることにした。携帯を充電器にセットし、風呂のガスのスイッチを入れ、タオルと着替えを用意した。

 軽くシャワーを浴びる。はねる水音に目を閉じる。

 少女、首輪の少女、彼女は一体何者なのだろう。明らかに異様な赤い髪の女や刃の男とは違い、普通の少女にしか見えなかったのに。

 知りたいわけじゃない。あんな世界に足を踏み入れる勇気はない。でも、疑問は残る。

 服を着替え、リビングに出ると、実花がフライパンを洗っているところだった。


「ごっめん、スクランブルエッグになっちゃった。味付けはしてないから、好きになんかかけてね。私はそろそろ家に戻るから。なんかあったらまた連絡しなさいよ」


「わかった、色々ありがとう」


 フライパンをふき終え、元の場所に戻しながら、実花は笑った。


「しかし、なんか懐かしいね。こんなことすると」


 椅子を引きながら、解凍され湯気を立てるご飯と机の上にあった塩コショウを手元に引き寄せる。


「家でもたまに私、啓太のご飯作ってたでしょ?」


 懐かしいなぁ、と小さくつぶやく実花に啓太は無言で塩コショウをスクランブルエッグにかけた。

 近所のカフェバーが啓太の父方の叔母の家だ。その二階が叔母たちの家。その家に両親が死んだ七年前から、高校に上がる二年前まで住んでいた。

 高校に進学するのを機に鍵を一本預かることと何かあったらすぐに助けを求めることを約束させて、両親の残した分譲マンションでの一人暮らしを叔母さん達は了承したのだ。

 両親が死んで叔母たちに経済的にも頼りきることが嫌で、一度はマンションを売りそのお金を叔母たちに渡そうとしたのだが、叔母家族に反対され、実現しなかった。叔母たちの家に一番近いマンションは今住んでいるところだし、何よりセキュリティがしっかりしている。そして、料金の払い終わり、あとは維持費だけのマンションはある意味両親の形見でもあるのだ――、と言うのが彼らの言い分だった。


「まぁ、啓太はよくやっているよね。健康だし、ぐれていないし、――まぁ、彼女はいないようだけど」


「実花ねぇも彼氏いないじゃんか」


「しまった、墓穴掘った!」


 悶える従姉から目を放し、啓太は箸を取り出す。その様子にすぐにお茶らけるのをやめ、実花は肩をすくめた。


「ご飯食ったらさっさと学校行きなさいよ、ってもう、……、こりゃ間に合わないんじゃない?ご飯食べるの諦める?」


 実花の言葉に啓太が壁掛け時計を見ると、もう七時半だった。学校まで歩いて三十分。ギリギリ、今なら行けなくもないほどの時間。


「……いや、あきらめたらそこでおしまいだ」


 おもむろに箸を持つ、そして、


「いただきます」


「……本当に律儀よね、多分、気分悪くなるわよ?」


「ごひゃんはすべてのきひょんふぁからたびぇないふぉいけないふぉおもう」


「……いや、話さなくていいわ。わかったから。私は帰るけど、とりあえず今日学校が終わったらかーさんのとこに謝りに行ってきなさいよ、心配してたから」


 口いっぱいにご飯を積み込み、うなずく。その姿を見て笑い、小さく手を振り、実花はリビングを出て行った。鍵をかける音が聞こえる。


「……そう言えば、何が懐かしいんだっけ?」


 お茶で口の中のものを流し込み、小さくつぶやいた。しかし、一度逃した思考はもう戻ってこない。


「まぁいいか」


 思い出せないということは別段重要じゃないのだ。啓太は朝食にラストスパートをかけた。





「間に合った……」


 チャイム終了直前に入り込んだ教室を荒い息で横切り席に向かう。


「珍しいな、小日向が遅刻なんて」


 目を細めながら言う遠田に軽く右手を上げる。彼の席は啓太の一つ前だった。


「いや……、まだ…遅刻じゃ、げほッ」


「まぁそうだな。先生も来ていないし、今日はもう少し遅れてもよかったかもしれないぞ」


「遅刻は一回やってしまったらもうおしまいなんだよ、絶対繰り返すようになるんだ」


 啓太が強く言い切ると、遠田は妙にしみじみとした顔をした。


「律儀だな」


「どちらかと言うと意地のようなもんだ」


「まぁ、意地も貫けば実となる時も来るといいなー」


「投げやりな棒読みありがとう」


 適当な遠田の言葉に返事をしつつも、教室の雑談に耳を澄ます。昨日の出来事は特に話題になっていないようだ。来る途中に少し見た公園も今までどおりで、破壊の痕跡なんて全く残っていなかった。もう忘れよう、覚えていても仕方がない。巻き込まれたくもないし。そう思って、啓太は気を取り直した。


 ドアが開いた。


「おはよーございまーす!」


 担任が元気よく教室に入ってきた。机の中をあさりながら、その能天気な挨拶にやっと日常に戻った気がした。いつもの光景、いつもの生活。これでもう大丈夫。怖いくらい今までどおりの日常。――いや、そう言えば隣の席の宮原がいない。二学期最後に休みか。まぁいい、これくらいは誤差の範囲内だ。

 それにしてもいつの間に家に帰っていたのだろう。無意識か、自分すごい。結局生きているということは彼らにも害意はなかったのだろう。きっと 一般人には手を出さない主義なのだ。そうだ、そうに違いない。――しかし。

 少女と見つめ合った瞬間を思い出す。交わした視線、黒い瞳孔、あんなにじっと人と見つめあったのは初めてだった。

 何者なのだろう、いや、でも知らないほうが良いに決まっている。


「はい!みなさん!おはようございます!――あら?」


「――先生?」


「あ、いえ、なんでもないわ。来栖さん、席に戻ってね」


「すみません」


 机を軽く動かした瞬間、消しゴムが落ちた。来栖?そんなクラスメイトいたっけ?首をかしげながら慌てて後を追い、身をかがめる。


「はい、小日向くん」


「あ、ありがとう」


 反射的に感謝を述べ、消しゴムを受け取る。

 視線が細い足に短いスカートをたどる。かすかな違和感。それを捉える前に、啓太は顔をあげて固まった。息を飲む。


「……ッ?!昨日のッ?」


 茶色の長い髪、低く二つに括られたそれを右手にいじりながら首輪の少女は、少し視線を外しながら人差し指を唇にあてた。


「あとで」


 どういうことか。中腰のまま、教室を見渡す。遠田の真顔、津久田のからかうような顔、安田の微笑む顔、ちらりと振り返りすぐに顔を前に向けた新藤――、誰も、啓太以外のものは誰一人この少女がここにいることを不思議に思っていないらしい。


「はいはい!小日向くんッ、来栖さんと付き合い始めでときめいちゃうのは私にもわかりますけど、公私混同しない!今から朝のショートホームルームを始めます!」


 先生の言葉が頭に入らない。付き合い始め?来栖?何故この少女はここにいる?そして、何故誰もそのことを疑問に思っていない?遠田の声が遠く聞こえる。少女はもう啓太の隣の席に座って澄ました顔で前を向いている。―― どういうことだ。

 目の前の全てが砕け散ったような気がした。



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