一章:魔法使いと魔術師‐壱
十二時二十分。鐘の音、午前の授業が終わり、肩を伸ばす。
午後が終わればもう今学期の授業は終わりだ。明日は終業式、もう冬休みだった。
一番後ろの席の男子――小日向啓太は座ったまま教室を見回した。紺の教室、女子も男子もブレザーで、皆同一の色をまとっている。高校も二年になった今、制服を着る機会すら半分以下になった。そう考えると、やけに心が焦った。
教科書を机にしまい、右手を胸ポケットにあてる。布地の上から押さえたそれは人差し指の先程の大きさの丸い球体。取り出してみればそれはペンダントだとわかるだろう。
日常は出来る限りささやかに、そして、変わらないことを願う。
「机寄せろバカ」
「あ、このいす借りるから!」
「ちょっとー誰か箸二本もってないー?」
雑多な物音。いつのまにか、クラスメイト達は昼ご飯を食べようとしていた。
「おーい、小日向ー、飯食うぞ」
声の方を見れば津久田が手を振っていた。
啓太はコンビニの袋を持ち、津久田の席に向かった。遠田は津久田の前の席を陣取り、二つ目のおにぎりのラップを開けている。
「遠田なんでそんな急いでんの?」
「今日は委員会があるんだ」
「放送委員って意外に大変なのな」
「明日の終業式に使う機材云々だとさ、いい加減後輩に任せたいね」
遠田は肩をすくめた。
「あ、そういえば、昼休みの音楽だけどさ、俺今度リクエストしていい?!いいバンド見つけたんだけど!!」
「CD貸してくれたら検討する」
「よっしゃ!……あれ、小日向今日はベントーじゃねーの?」
「時間なかった、うっかり」
「へー珍しい」
津久田の弁当の中身と自身のそっけないビニール包装のパンを比べ、少しうらやましくなる。
二年前、一人暮らしを始めるときに叔母の家にお邪魔するのは朝ごはんと時たまの夕飯だけと勝手に決めていた。従姉はもっとうちにくればいいのに!と叫ぶが、決めた以上それを覆す気にはなれない。ただでさえ、わがままを言って一人暮らしをしているのだから、やりきるくらいの姿勢で行きたい。
「じゃあ、委員会行ってくる」
「いってらー」
大仰に手を振る津久田に小さくうなずくと、遠田は教室を出て行った。
ぼんやりとその後ろ姿を見送る啓太に津久田は「あ」と小さくつぶやいた。
「どうした」
「今日放課後本屋よらね?そういや今日雑誌発売日」
「そうだな、最近行ってないから漫画見に行きたいし、行くよ」
パンをさらに齧る。
「あー、今日は弁当じゃないの?小日向なんで!」
「そうだけど……、なんだよ新藤」
唐突に声をかけられ、振り向くと、ショートカットの目つきの少々悪い少女がいた。新藤桃子、クラスメイトだ。
お弁当を持ったままの姿に、自分の座っている席が彼女の席で、同時にいつもともにいる安谷が遠田とともに放送委員に向かったことに気づく。
「新藤、はい」
今さら立つのもあれなので、立ったままの彼女に適当に人の座っていない椅子を片手で引き、差し出す。
「……ありがとう」
躊躇した様子の新藤の言葉に「どうも」と返し、パンに視線を戻す。
「紳士だなー、マジで。おーい、新藤さっさと食えよー」
「た、食べるわよ?!べ、べつになんにもないし!」がたがたと椅子を動かしながらすわりこんだ新藤のために、机を少し開ける。
「あーあ、やっと冬休みだけどさぁ。嬉しいけどさぁ、どうせ補講があるしな……」
津久田が言った。
「いいじゃないか、どうせ皆補講出るんだし」
「遠田と小日向と安谷さんはどうせ真面目だからいーけど、俺みたいな不真面目的にはつらいっつーかさー。ったく、任意っていうのにかーちゃんさぁー……、半強制的じゃん。いやはや、面倒くさいですよお」
うめく津久田に新藤が目を細め睨む。
「なんで私の名前が出ないのよ」
午後の教科と出された課題を思い出しながら、啓太はまた一口パンをかじった。
「なんか冬休みとか早いな」
「そうだね」
津久田と新藤の会話を聞きながら空を見る。見上げる窓の外は快晴。
日常だ。誰も失うことのない日常だ。それがずっと続けばいい。言い争う声を聴きながら啓太は胸のポケットに手を当てた。
◇◇◇
暗いビルの中。今は使われていないことがひとめでわかるほど埃の積もったくらい廊下。
そこに、足音が響く。一方はあわただしく、駆ける足音。もう、一方は落ち着いた、迷うことのない足音。
明かりはかすか。暗幕を張っているのか、窓からは少しの光しか差し込まない。
そんな中を、少女は駆ける。
「ねぇー、運命を変えるのっていいじゃない?それくらい。ほんの少し待ってくれるだけでいいのに、どうして君たちは追ってきちゃうかなぁ」
足元が何かとぶつかり、少女はよろめく。それが何なのか、確かめることなく、ただ、倒れないようにひたすら歩を進め続ける。
「しかし、面倒な魔法使うしなぁ、本当。全くリカード君のことわかんないわよ、すごいわねぇ」
全力で走っているのに、廊下は終わらない。追う者との距離も変わらない。
無心だ。余計なことは考えるな、ただ、走ればいい。囮が自分の役目なのだ。
ここは結界の中。この中は彼女の世界。だからこそ、常識なんて通じない。彼女が望めばどんな奇跡も思いのまま、それがこの結界の《理屈》。
なのに、いや、だからこそ、彼女は急がない。ただ、ひたすらに追いかけるのみ。
「でも、せめて物理攻撃出来る力は身につけておいた方がよかったわね。魔眼に頼りきりって、色々つらいところがあるわよ」
揶揄するような声音に少女は危険を承知で振り返った。六メートルほど後ろ、そこに一人の女がいた。
編み上げたブーツは膝上まで。ミニスカートはタイトでしっかりした素材、髪はゆるくまとめられているが、けっして崩れることはない。上は冬も半ばと言うのに露出の多いキャミソールに白衣。極めつけは網タイツ。
少女は唇をかんだ。わざわざあんな恰好をするなんて。眼鏡越しの黒い瞳を思い出し、胸元をつかむ。
魔術師、蓮杖清香。私たちの標的。数ある魔術系列の中でも五本指に入るほどの実力を持つ、蓮杖一族の端末。半年前にバグを生じた彼女を捉え、リセットするのが任務。
「少しくらい顔を見せてくれてもいいじゃない」
手を握る。汗で湿っていることに舌打ちをしそうになって堪える。
一軒目は外れだった。
二件目はトラップだった。強烈な生体反応、世界からの拒絶すら感じられるそれに身を震わせたが、実際には小動物のキメラもどきが結界に封じられていただけ。
もどき、としか言えない醜悪な造形を思い出し、再び吐き気がした。
そうして辿りついた隠れ家の廃墟めいたビルの二階から三階への階段、その途中に起きた結界発動の魔炎。とっさに視界すべてに意識を伸ばし、彼女の瞳を視た。世界を掌握、先行する青年の姿を『認識出来なく』した。
――でも、それ以上は出来なかった。
最初は油断していたのかもしれない、鏡越しに目のあった魔術師は眼鏡をかけていなかった。魔術師たるもの魔眼対策をしていなかったとは思えない。きっと、簡易なものを使っていたのだろう。しかし、少女は鏡も魔術も透視し、魔法を展開した。
今の彼女の眼鏡は強固な魔術がかけ直されている。だが、すでに世界は調律された後だ。
故に、魔術師は少女しか見えず、感知できない。無機物の動きすら青年が関わるならば認識できない。
しかし、それもどれだけ持つか。
「ほらほら、頑張らないと」
からかうような声音を振りきるように少女はさらに足を動かした。足が痛い。意識がずれそうになり、唇をかむ。
もう、奥の手を使うしかない。
「――繋がれッ」
走る速度はそのままに、少女は懐からカードを出した。
念じる言葉に意味などない。ただ、決められた単語と組み合わせた指の形でカードの縛りを解いた。
「呪符、リカードのね」
女の声が一瞬にして、遠のく。意識が飛び、視界も一気に変わる。瞬間、足場がなくなり、少女は走る速度はそのままに正面から壁にぶつかった。
もたれるように壁に背を預け、顔を触る。鼻血は出ていないようだ。手に残った灰を壁にこすりつけ、息を吐く。
「発動、した……」
カードは魔術。兄の手製。
ひと組のカードは決められた単語と持つ時の指の組み方で魔術を構築するもの。人一人、しかも、短距離でしか使用できないものだが、カードの中に一つの《疑似世界》を作成しているため、この結界の中でも使用することが出来る。
対の一枚をビルに侵入した直後に床に落としてきた。魔術を発動すれば、一度きりだが、そこに跳ぶことが出来る。
視界がぼやけ、首を振り、頬を叩き、意識を戻す。
(もう、時間が……)
魔術師の認識を操ることは、普通の人間を操ることとはわけが違う。奇跡を否定する術をしる魔術師に奇跡を与え続けるには、それ相応の意志の力、そしてそれを支える体力が必要になる。体力が限界になれば、意志が弱まり、世界への介入が出来なくなる。それまでにリカードがこの結界を解かなければ、また、もとに戻ってしまう。
蓮杖清香はただの魔術師ではない。妙に浮かれた外見にそぐわぬ程の経験と老獪さを持つ魔術師だ。魔法使いとしては上の中には入るリカードや、中の上に入るような力を持つちなみの二人では、彼女の力を最大限高めるこの魔術結界内では、蓮杖に勝つことは出来ない。
されど、それにも抜け道はあった。
この結界は触媒を核にして存在している。それを壊すことが出来れば、彼女は元の世界の理に従い、多大な触媒を必要とする魔術師に戻ることになる。
建物一つを覆うほど強力な結界を作るためには、相応に質の高い触媒が必要だ。逃亡中の彼女は、それを簡単に手に入れることの出来る立場ではない。魔法使いでない彼女は触媒がなければ奇跡を起こすことが出来ない。つまり、彼女を幾度も追い詰め、そのごとに触媒を破壊する。それが戦法だ。
協会を離れるということは、協会の伝手で高質な触媒を得ることが出来ないと言うこと。
触媒として質が高いものは長い時と工程を経て作られるものだ。元々、血で繋がれる魔法使いとは違い、知性だけで奇跡を探求する個人主義の魔術師が協会に名を連ねる理由はただ一つ。効率的に触媒を得ることが出来るため。その対価として自身の技術を提供し、弟子をとる必要があるが、それ以上の見返りは得ることが出来る。
協会と繋がっていない蓮杖は自由に触媒を得ることはできない。今持つ触媒を消費するか、簡易な触媒を自作するか。それしか道は無い。
魔術師である以上、協会を離れると言うことはそう言うことだ。
されど蓮杖は罪まで背負い、協会を逃げた。
――狂ってしまったのだ、やはり、七年前の時に、壊しておけばよかった。
円卓の魔導師の誰かがそう言った。
(でも、彼女はまだ、理性を残している。それでも、あえて意図を持ち、この道を選んでいたのだとしたら)
――ここに至ったことも結局彼女の手のうちなのかもしれない。
半年前、魔法の大家、仏国のアズナヴール家で行われた懇親会で賓客として招かれていた蓮杖清香は唐突に結界を展開し、そこにいた高名な魔法使いを触媒として魔術を行おうとした。魔法使い本人の抵抗から未遂で終わり、蓮杖も逃走した後、彼女が行おうとした魔術は運命干渉理論の《世界軸》をかたどるものだとわかった。
内容はよりも問題となったのは、触媒として人を使おうとしたことだった。そもそも、人を触媒とすることは難しい。それぞれの力が重なり、大小を問わず魔術が暴走し、思わぬ結果をもたらすためだ。
人を触媒にすること、それを行うことで世界を乱すこと。
協会を統べる円卓の魔導師達は、それを協会の意向をかけて許されるものではない。とした。
世界の魔法使い、魔術師の集団の中でも欧州協会は一番大きな機関だ。その威信にかけても彼女を野放しにするわけにはいかない。
視覚を介し、世界と繋がる《魔眼》系列第四位、来栖ちなみ。
触覚を介し、世界と繋がる《触指》系列第二位、リカード・ベン・アレグザンダー。
魔法の大家たるアレグザンダー家の当主とその異母妹は、そうして逃走する蓮杖を追い、日本の地を踏んだ。
蓮杖清香はただの魔術師ではない。世界でも有数の魔術大家の一つ、蓮杖家の末であり、結界作成の第一人者だ。
身体は失われても構わない、但し、ためられた百年を超える経験と知性を失うことはできない。そのため、彼女を捉え、できることなら命をそのままに、もしくはその思考だけでも持ち帰ること、それが協会から言い渡された使命だった。
(そのために、私は魔眼を使って、蓮杖を拘束する――)
彼女の体が破壊された場合は、魔眼を使用し、彼女の思考を自分の中に入れる。そのために、ちなみは蓮杖から提供されたいくつかの魔術をその身に刻んでいた。
壁に手を当て、ちなみは立ちあがる。
魔眼の他に自分の持つかすかな才、微弱な触指。それを最大限に高め、息を整える。
――できるかわからないなんて、できなかったらどうしようなんて、彼女を取り込んでしまったら私がまともでいられなくなるかもなんて、そんなこと、考えちゃいけない。
「見ィつけた」
「……ッ」
聞こえた声に小さく息を吐き、壁から身を放す。
くすり、声がし、壁から影が浮かび上がった。
身体が動かない。いつの間にか、手も足も力が入らなくなっている。これは、
「臭い……?」
「ああ、わかった?爆発的な力は無いけど、そのかわり避けにくいのが良いよねぇ」
五感をつかさどる魔法の一つ、臭いで行う奇跡《嗅探》。それを模した魔術、か。
蓮杖は白衣の裾から、小さな袋を出した。
「本来なら、力なんて発揮しない微妙な触媒なんだけどね。ここは結界の中だから、さ」
そして、鼻と鼻が付きそうなほど女は少女に顔を寄せる。女の瞳、眼鏡ごしのそれが淡く微笑む。
「ゆっくり楽しみたかったんだけど、ね」
黒の瞳に、綺麗に伸びたまつ毛。眼鏡をこするようなそれを見つめたままでいると、蓮杖は鼻歌を歌うような軽やかさで息を吐く。奇跡が具現化する――、ちなみが身体を固くした瞬間、
「あら」
「きゃッ……」
ふいに大きな爆音、足をすくうような足元の振動。
思わずバランスを崩し、後ろに倒れこむ。
「結界破らされちゃったか」
目の前の女は少し唇をとがらせながらも何事もなかったかのように立っている。
逃げ切れた――。ちなみが息を漏らした瞬間、蓮杖は背筋を伸ばし、髪を払った。
「じゃあ、またあとで」
「あッ」
目の前でくるりと一回転する。と、空中に魔術印が浮かびあがり、彼女は消えうせた。呆然とするちなみの前に触媒に使われたガラス玉が砕け散り、こぼれ落ちる。灰になり、風に舞ったそれらを唯見つめる。
「ちなみ!蓮杖は?!」
数秒遅れて姿を現した兄はビルに入る前よりも服を汚し、頬には傷があった。しかし、その動きはゆるぎない。左手の刃をかまえ、右手は素手、壁に触れている。
「今、空間転移で……」
言いながらあわてて灰をすくい、差し出す。
「これが触媒か……」
「たどれますか?」
素肌に灰を乗せた青年は目を閉じる。そして、すぐに目を開いた。
「たどれる。行くぞ」
「……はい……」
ためらいがちに声を返す。せっかく目の前、手が届くところ彼女がいたと言うのに、何もせずに逃してしまった。
「どうした、行くぞ」
足音が聞こえないことに気がついたのか、振りかえらずに声をかけた兄をあわてて追う。たとえ、今ここであやまったとしても何も変わることはない。きっと、リカードはそんなもの求めていない。ならば、次の機会で。
――自分が世界と繋がるにはこれしか方法がないのだから。




