終章
空港にひと組の男女がいた。男は少し落ち着きがなく、幾度も腕にした時計を見る。幾度かその動きを繰り返し、とうとうしびれを切らしたかのように、立ち食いうどんやと書かれたのれんを押し開け、人を探すように周囲をうかがった。
薄紫の目が少し離れたところで仁王立ちする者に気がついた。
十九ほどだろうか、蒼い瞳、長くのばされ後ろでくくられた髪は金色に輝き、釣り気味の目は意志を込めて鋭い女だ。小柄な体をパンツスーツに包んだ彼女は、男と目が合うと微笑んだ。
「アリス……」
のれんを掲げたまま、褐色の髪の男はつぶやく。女は大股で男に近づく。
「アリス、そう、アリスですよ。何をやっているのかしら、わが婚約者殿は。私をおいてうどんを食べるなど紳士の行いではありませんよ」
「……」
「返事をしないなんて朴念仁にもほどがありますね、そこは『君とともにかき揚げを食べる練習をしていた』くらいは言えないのですか。そんなんだから、妹にも義母にも誤解されたままなんですよおばか」
「申し訳ない」
「全く、恋をするには程遠い相手ですね、これからが心配です」
女はため息をつきながら胸の下で手を組んだ。小柄な体に似合わない質量のそれを誇る様子もなく、女は男に近づき、男の隣にいる者に視線を向けた。
「これが『蓮杖清香』ですか」
それは立ったまま、ただ笑顔を保っている。
「一応。現在はリセット状態とでもいおうか。経験、知識はそのままに、魔術師としての感覚は残っているが、ただ、人格という形がまだ出来ていない。全てが終わった瞬間、自分で自分を消してしまった。――何なんだこいつ本当に」
ふむ、と女は声をもらし、見聞する。
「東洋の神秘ですね、未だに人としてあるのがおかしいほどに」
男は彼女達を引っ張って、空港の隅に向かう。行きかう人の視線が刺さる。女はされるがまま動きながらさらに魔術師をマジマジとみた。そして、納得するようにうなずいた。
「確かにちなみに似ています」
「だろうな」
結局、彼女は自身で世界軸に入ろうとはしなかった。それに関して連絡したところ、蓮杖の当主は何かを納得したようだった。立場が弱いこちらから明確な説明を受けることが出来ないのはすっきりしないが、まぁ、どうにか依頼はこなしたのだ。これで協会に対しても面目は保てる。
「蓮杖をとらえることができたら、お父さんと同じように蓮杖家の魔術で魔法の抑制を求めるつもりだったんでしょう?散々皆から反対されていたのに」
「……実験の手伝いをするつもりだっただけだ」
「金属魔術と触指の抑制は簡単ですけど、その代り一生貴方に縛られることになりますものねぇ、おにいさぁん?」
意地悪い口調に視線をそむける。父も蓮杖に頼んでいたという秘術。人格の上書きで魔法を封じることができるならば、その応用で魔法だけを封じることも理論的にはできるはずだと蓮杖は言っていた。そのために頑張ってきたというのに。
――全くあの母娘はこちらの意図になんて気づきやしないのだ。知ってほしいことにばかり気づかず、誤解ばかり。本当に嫌なところばかり親子だ。
まぁいい。失ったものはあれど、これで当初の目標は達成したのだ。これから、妹のいない生活にも慣れて行かなければなるまい。
「で、リカード」
アリスはリカードの服をつかんだ。
「ちなみは、どちらに?」
「……報告書は連合に送った、君も読んだだろう?」
ためらった後に続いた言葉に、アリスは「ただの確認ですよ」と小さくつぶやき、静かに背伸びをして背の高いリカードの頭を撫でた。彼は目を閉じ、小さくつぶやく。
「怒るかと思った」
「必要がないでしょう?彼女は自分で選んだんです、私が貴方を怒る理由なんてありません。世界軸の完成に、感謝を述べるまでですよ」
「……ちなみは、あの時確かに消えたんだ。そして、戻ってきたときには、長い間経っていたような顔をしていた。そして、魔法を失っていた」
「世界の混在は、世界軸理論でよくあげられる問題点ですね。帰ってくることが出来ただけで、すばらしい成果です」
「魔術なんて使ったことがないやつだったのにな」
「そうですね、自らを触媒として魔術を行うなんて無茶、初めて聞きましたよ」
つまり、と、アリスは指を振った。
「その啓太とやらが本来死ぬ定めにあったのは七年前なのですね?奇跡の残渣となったちなみが彼に見えていたのは彼がまだ世界と繋がっていたから。そして、少年が自らを触媒として散らばっていたちなみを召喚した。彼女の世界軸での触媒は魔法の才だった。――全く、都合がよすぎて笑えてくるレベルですね」
ぼんやりとしている蓮杖清香を見ながら言ったアリスの言葉にリカードは舌打ちをした。その様子にアリスは肩をすくめる。
「結局、ちなみは帰らないとさ。とりあえず時間移動と魔法の才の消失に関してのレポートは送るって言ってたけど、まぁ、時間移動といっても世界軸の混線を利用したものだからあいつ自身には大した理解なんてないだろうから多分協会も深く追求しないだろう。才云々はもめるだろうが、一時的なものだろうしな」
つぶやいた言葉がかすかにふるえていることに彼は気付いていないのだろう。アリスは変わらぬ調子で言葉を返す。
「あらあら、寂しくなりますね」
「いいのか、仲良かっただろう」
「確かに私はちなみが好きです、けれどそれ以上に、彼女の意志を尊重することが出来ます。むしろある意味うらやましいですよ」
「何が……?」
「彼女は大切な人が出来た、愛する人が出来た。だから、こうなったのでしょう」
リカードは黙った。その顔を見ながらアリスは、頬に手を伸ばす。直接、肌に。
「大丈夫です、貴方の妹は幸せなんですよ。だから、貴方は彼女を残したんでしょう?」
もう、住む世界の違う妹。リカードは目を伏せた。
「あとで歌ってあげます。よく眠れるように。だから、ほら、搭乗口へ行きましょう」
聴兆の魔法使い、音で世界を知り、調律する者。
「かっこいい貴方もよいですが、つらそうな貴方もよいですね。支えたくなります」
リカードを右手につかみ、左手で蓮杖を。明るく言う彼女は強い人だ。
直接ふれた手から、感情が入り込む。
「……そろそろ結婚してくれるってことか」
「いいえ、まだ恋愛感情ではありません。友愛です」
すげなく断られた言葉に、リカードは肩をすくめ、触れる手に力を込める。
流れてくる感情は、それでもとても暖かだ。
「アリス」
「なんでしょう、婚約者殿」
「……ちなみは幸せになれると思うか?」
振り返った彼女は、笑顔で言った。
「そんなの、私が知るわけないじゃないですか」
真っ直ぐな言葉に「だよな」とつぶやく。
手の届かない何処か、時の彼方に飛んだ少女と少年。彼らはその先で何を見たのだろう。
全ての後で妹に問うた答えを思い出す。
――啓太くんと一緒にいたい。
それだけが、きっと答えなのだ。多分。
リカードは金髪を振りながら早足で歩く婚約者を見た。音の魔法使い、忙しいはずなのに、日本まで迎えに来てくれた女。
妹は、妹だった。知らないうちに勝手に好きな人を作って、手の届かないところに行ってしまった。兄弟は他人の始まりだと、何処かで誰かが言っていた。
――幸せに暮らせれば、それでいいのだ。
それだけを想う。
◇◇◇
光の中にいる。
――そうだ。私は世界軸に飲まれて、それで――、
彼女は瞳を開けた。
今娘と出会ったのに、もう見えなくなっている。何なんだろう?ここはどこ?視界が映り、見えた標識の文字、あれは漢字。――日本か。
日本に来たのは何時振りだろう。夫と出会って、イギリスにわたり、それ以来来ていなかったはず。
――娘?夫?
魔術師にそんなものいるわけがない。なのに、
――記憶が。
消去したはずだった。魔術師で塗り替えた魔法使いが、ひっそりと目を開ける。
そして、彼女は気付いた。混線する世界。何も見えず、でも、全てが見える。
――ちなみ?
また声が聞こえた。泣き声だ。
そこ、ここ、どこか。過去、未来、いつか。娘が泣いた。
――助けたいの?
――助けたい。
魔術師の問いに、魔法使いは答えた。
――じゃあ、世界を。運命を変えないと。
魔術師はそう言って、微笑んだ。




