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四章:因果のはじまり‐伍

 身体が海に沈んだようだ。重みは四方から。音は遠く、息は泡となる。


「啓太、起きたの?」


 実花だ。

 薄く眼を開ける。うつった実花の赤い目の顔に、少し目を閉じ、口元を緩める。そして、啓太は跳ね起きた。


「……あ、ち、ちなみはッ?!」


「あんた、ばかぁ……。心配させといてこの恩知らずッ、」


 見渡せば、白い壁に白いシーツ、狭い部屋に押し込められた家具に、よくわからない器具が並ぶ。――これは、病室だ。

 泣き声のままに実花が啓太の肩を叩いた。力がないその感触に、唇を噛む。人が廊下を通る。その様子を眺めながら思い出す。消防車。ホテル。記憶にあるようで、曖昧に。目を真っ赤にして泣く実花に「ごめん」といったあと、啓太は、


「どうしてここに?」


「あんた、ホテルの火事に巻き込まれて。リカードさんに助けられたのよ!意識なくって!煙も結構吸ったかもって!!!呼ばれて飛んできたら包帯だらけだし!異常はないっていうのに目は覚まさないし!!三日も寝込んでいるし!!」


「……三日……?!」


「そうよ!三日!!点滴してるじゃない!!ほら!」


「ちょ、実花ねえ引っ張んないで」


 興奮した声で点滴を振った実花を抑えるように手を振り、啓太は肩を落とした。


「……ち、来栖さんは……?」


「あぁ、彼女は大丈夫よ。彼女もリカードさんに引っ張られてホテルから出たらしいけど、次の日にはもう意識取り戻してたし。もう退院したって。そう言えば、リンゴあるわよ、なんだか沢山。津久田くんたちがきて昨日置いて行ったわ。そろそろ、今日も来るんじゃないから」


「そう……」


 あれは夢だったのだろうか。

 違う。確かに自分は見た。混線する世界を、幼い自分、両親。そして、薄れた彼女。


「リカードさんはろくに感謝も言えないうちに帰国しちゃうし……全く、何が何なんだかわかんないけど。とりあえず、啓太の意識がもどったならいいわよね」


「帰国した?!」思わず立ち上がりかけた啓太に実花が慌てて押さえつける。


「ちょ、お医者さんが車で駄目だって!どうにも、色々手続きがあるとかで、急いで帰っちゃったわよ」


 蓮杖は掴まれることが出来たから、もう日本にいる意味はないと言うことなんだろうか。そんな、説明だって、受けてないのに。何があったか知りたいのに。それに。


 ――来栖さん。


 彼女に何も言っていない。

 有難うも、何も。自分は、疑った。でも、彼女は自分を救おうとした。そして、ずっとそばにいた。はずなのに。それすら覚えていないのだから。

 ドアの開く音が聞こえたが、そちらを見る元気もなかった。これって結構ひどくないか。うつむく啓太に実花は肩を叩いて言った。


「まぁ、近いうちにまた顔出すって言ってたし。大丈夫だって!ほら、来たわよ。心配してずっとそばにいたんだから。――タイミング逃しちゃったけど」


「何……」


 顔を上げ、息を飲む。

 視線の先に少女がいた。

 薄い色の髪。真黒の瞳。滑らかな首には、ただ、球の金属のネックレス。それはいつのものなのだろう。


「啓太くん」


 呆然とした顔は、しかし、すぐに泣きそうに歪む。

 駆けだした身体は勢いに乗り、啓太に寄り掛かる。回された腕の温かさに、「来栖さん」と言葉が漏れた。

 少女の肩越しに実花がウィンクして病室を出て行く。


「けいたくん、啓太、くん……ッ」


 繰り返される言葉に苦笑し、彼女の背に腕を回す。


「……ごめん」


 落ち着くまで、背を撫でた。柔らかい感触に、目を閉じ、ただ、彼女の存在を感じる。


「……本当に、いますよね」


「うん」


 身体を放し、少女は問うた。


「けいたくん、私、貴方と会いました」


「うん」


「さっき、貴方と分かれてきたところです」


「思い出したよ、僕も。半分くらいだけど」


 黒の瞳は、真っ直ぐに。そらすことなく。


「小日向!起きたんだって?!」


 大声で病室に跳びこんだ津久田に慌てて距離をとり、「邪魔したな」と津久田を引きずっていく遠田と、


「ごゆっくり」


「ちょっと売店行ってきますね」にこにこと二人をみて去っていく新藤と安谷。


 彼らを見送り、ドアが閉まり、啓太とちなみは視線を合わせた。


「……その、触媒って」


「魔眼が、消えました。どうも、魔法の才が私の触媒となったようです。……特殊な事例だから少しは周りが忙しくなるかもしれないけど、魔眼を失った私はあまり使える存在じゃないから多分もう協会から呼び出されることは無いって。不思議ですね、魔法は無くなったのに、なんだかまだみんな私のこと誤解してる」


 そっか、とかえす声は少し間が抜けている。多分、世界は変革されたのだ。ほんの少し、自分と彼女の望む方向に。

 それはとっても都合がよくて優しい奇跡。それの代償はなんだったのか、きっともう知ることはない。

 世界と繋がったのだと思う。奇跡を越えて、理にしたのだと思う。でも、どうやったかなんて思い出せない。でも、いいんだ。そんなこと。彼女がいればそれで。


「これからもずっと、側にいていいですか。多分、魔眼が無くなって色々と誤魔化すのは難しくなると思います。でも出来たら私は貴方の傍にいて、貴方の日常を守りたい」


 ちなみの言葉に目を細める。きっと自分は彼女を待っていたのだから。


「守らなくていいよ」


 世界はそこにあると彼女は言った。

 無くした日常も、無くしたものも取り戻しはできないけれど。

 ひとと人がいれば世界が出来る。だから、


「もう一度僕たちの世界を作ろう。――一緒に」


 膝の上にあった彼女の手を握る。

 この柔らかさから、全ては始まった。

 新しい世界は、もうそこにある。



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