四章:因果のはじまり‐肆
――母さん?
◇◇◇
言葉と同時に、周囲は色を失った。激しい音、吹き飛ばされる感触。
幾人もの叫びが途切れ、そして――、
――光の柱が空に立った。
あれは、世界。世界の全ての中心。
吸い込まれるように、再び意識は散っていく。
気付けば倒れていた。車はおもちゃみたいに壊れているらしい。父も母も姿が見えない。いや、前に何か肌色の物がある。
手だ。力なく垂れたそれに、つぶやくように思った。
――しぬのかな。
痛みも薄れつつ、何処かで、大きな音が聞こえる。
上を見れば、空があった。
青の空。もう、光の柱はない。
手を伸ばす。しろいもの、手が届かない。
――お母さん、どこにいるの?
泣きそうな気持で、一歩踏み出した。今、いたのに。確かに、お母さんはいた。
ふいに視界が開けて「嫌だ」と、声が漏れた。
幼い少年の傍にちなみはいた。
何故、どうして、そんなこと、全て吹き飛んだ。
「だれ……?」
少年が瞳を開ける。その力ない動きに祈るように少女は彼の手をとった。
すり抜けず、その手に触れる。
「私が、助けます。だから、」
手に持つ何かを押し付けるように彼に握らせる。それは自分の体温で温かくて、親指くらいの大きさの何か。
「――世界と、繋がって。人と繋がることは世界と繋がることだから、あなたも」
手から洩れる光の柔らかさに、少年は瞳を閉じた。温かい、安堵のように息をつき、意識が遠のく様子に奇跡を祈る。
理解、意図して、世界繋がる法を知る。
それが魔法使いなのだとしたら。
「おねえちゃん……幽霊なの?」
「うん、そうみたい」
これしかないなら、彼を救えるなら。
「――世界は繋がっている」
そうだ。きっともっと、話すことも遊ぶことも出来る。
「私がどれくらいこのままでいられるかわからないけれど、時が終わるまではずっと一緒です」
魔術も魔法も、全て世界の理を曲げること。その力は限定されることに意味がある。時間を移動し、あるはずのない場所に存在する。そして、死ぬはずのものを救う。そんなこと、ちなみの理解を越えていて。いまはただ、世界軸の残渣に残るただの残りかす。いつまでここにいることが出来るかわからないけど。
彼は死ぬはずだったのだろうか。それを自分が救うのだとしたら。
――世界から外れてしまったのは私のせいなのでしょう。
それでも。
「いっしょ」
辛いだろうに、痛いだろうに少年は笑う。
それだけで、祈りをささげる価値がある。
◇◇◇
呆然とするリカードは二人が光に飲まれたのを見た。視線が光の柱を追う、手を伸ばし、足を震わす。その顔は絶望に青く染まる。
「――言ったでしょう、だから。運命は覆らない」
蓮杖の、いや義母の言葉にリカードは振り返った。
「あいつ自身に印を刻んでいたのか、貴様――!」
「さぁ、私が刻んだのかな。七年前に彼を救ったのは私ではない。でも私は確かにその時彼に出会っている。私というか、《私達》というか――、もうほとんど、重なってしまっているけど」
ふらつく足で、世界軸に歩を進める。
「とう、さんは、お前を蓮杖に売るつもりだったんじゃない」
「……何、今更言い訳なんて」
「………父さんはあんたの魔眼を魔術で封印できるように!人格を封じることで魔法を封じることが出来るなら!人格をそのままに魔法も封印出来るんじゃないかって、そういう研究を頼んでいたんだよ!!」
――あの頃、父は義母に隠し事をしていた。
妹の魔眼が力を増すにつれ、暗い顔をするようになった義母に父はこっそりと、成功するかわからない魔術を蓮杖家に依頼した。そもそもアレグザンダー家は早くに魔法と魔術の両者を収め始めた家系だ。そのために独自の技術である自身の合金製法を持ち、その一端を明かすことさえして、義母のために魔術を求めた。成功するかわからなかった、成功しなかった時、落ち込むだろうからと子供のように笑って父はリカードの頭を撫でて、秘密だよと言った。
誤算は、父が義母の魔眼を甘く見ていたことだ。心を読みたくない母のために、もとよりある耐性と、さらに魔術をかけた眼鏡をかけていた。
義母は父の行動を怪しみ、彼の瞳をじっとのぞきこみ、魔法の通じるうわべだけなぞって、義母は心を読んだ。そして、あの事件は起こった。
「――そう」
乾いた声だった。
振り向いてみた義母の顔は無表情で、何を考えているかわからなかった。
「それでも、《彼女》はこれを望んだのよ」
「お前……」
「あの時、全てが見えた、だから私は《彼女》に手を貸した。――運命のままに」
そこにいたのは《蓮杖清香》だった。
「――この願いは誰のものだったんだろう」
想いは混線したのだ、あの時。
◇◇◇
「混線する、世界?」
蓮杖は大仰に頷き、空に一本の線を描いた。そして、その周りに幾本も線を増やす。
「世界軸なんてものが実際あるとすると、そこに全ての世界に通じるものがあると言うことになるの。つまり、世界が混線する可能性がある」
「それが混線」
繰り返し、つぶやいた言葉に啓太は眉根を寄せた。
蓮杖はおかしそうに、「そうね」と続ける。
「そこに全て終結するのよ。だから、もしかしたら、可能性が起こる。――思い出せないものというのは、それに関わってしまった人の、残り、ではないかとね」
残り。
「君が世界に属していない理由について、私は君が七年前に死ぬはずだったからだと思っているわ。日本で一度大がかりな世界軸が出来た。その場に君は居合せた。あの世界軸は魔術でも魔法でもないもので、その場に私もいたが正直なところ何故ああなったのかよくわかっていない。――この場で世界軸を作ったとすると、七年前の世界軸とここの世界軸が結びあう可能性があるの」
「結びあう」
「君と言う、触媒を通じてね。そんな風に世界軸は重なっていくものなんだ。だから」
「また、違う時間空間にいた者が、僕の命を救った。そして、それの残渣が誰かという認識を起こした。と言うことか」
「あぁ。君の中で――幼かったのならばなおさら――世界軸の混線で現れたその『誰か』仮認識してもおかしくない。――とくに、人の認識を操ることに長けたものならば」
「――」
嘘だ、いいそうになって、唇を噛んだ。
彼女と決まったわけじゃない。でも、似ている。
「彼女が、そうだと?」
「少ない手札の中だとそう見えるね、という話よ」
――ならば。
「彼女が僕を救ったとして、彼女はどうなるんだ」
「あるいは彼女自身が触媒となってしまった場合。彼女は戻れないわ。なにせ、彼女では触媒は役不足よ。ともすれば、また、今度は完全な『触媒』を魔術に組み込めばいい。そうすれば」
「先のことはわからない、ということ?」
遮るように言った言葉に蓮杖は笑みを深める。
「――まぁ、どちらにせよ、選ぶのは貴方よ」
そう言った蓮杖の顔は、とてもちなみに似て見えた。
目を開く。――いや、目なのだろうか。景色は見えない。
何を思っていたか思い出せない。ただ、色の混在する世界に漂うように、自分の輪郭を見失い、そこにいる。
胸に手を当てる。そこは胸か、空間か、しかし、一つの確かな感触に意識を取り戻す。 ――来栖、さん。
どうしたいんだろう、何を求めるんだろう。そんなこと、自分でわかっているはずだ。
奇跡を願う。
勝算なんてあるわけない。初めて見た魔術、望むものはたったひとつ。でも、僕は魔術を知らない。
それでも、願うことはあった。その感触は違えることなく手のうちに在る。
光に包まれ、転ぶように何かにつかまる。
それは何か、まとわりつく布のようで、それにすがりながら届くともしれない言葉を叫ぶ。
――返せ!
何が出来るのかわからないけれど。ただ、手に持つ願いだけを頼りに、祈った。
繋がれ。
繋がればいい。
すこしでも、その端だけでも。
誰かが呪った。誰かが選んだ、そんな意識をすり抜けて――、
――来栖さん!!
声を張り上げる。魔法も、魔術も、奇跡もわからないけど。
彼女に手が届きさえすれば。
そしたら、手を握って、言わなければいけないことがある。
だから、混線する世界に両親を見送り、幼い自分を見送り、真黒の瞳を見送り、そして、七年の時を一瞬で越えて――、
――名前を呼んだ。




