四章:因果のはじまり‐参
感覚と思考と現実が結びつかない。コンマ数秒のラグが意識に生じ、どうしようもなくもどかしい。
ふらつく体を壁にもたれさせ、ちなみは目を閉じた。手のうちに金属、頼りない感覚に握力を込める。
「……そっか、初めて認識操作を受けたんだ」
自分と母以上の認識操作に長けたものは協会にはいない。世界に居たとしても五本の指にはくだらない。だから、自分自身で認識操作を受けるのは初めてだった。
自身が塗り替えられる感覚。
――君は今、僕に魔法がきくんだったら魔法でこのことを忘れさせていたんだろうな。
――わかんないよね、貴方みたいに他人の心を操って、勝手に人の心を読んじゃうような人。
そうだ、これが自分だ。自分の魔法だ。こんな形でしか世界と繋がることが出来ない奇跡。
「今更なのに」
謝っても仕方がない。こうやって生きるしかない。
彼はどうしたいだろう?自分と同じように、でも違う形で様々なものを亡くした少年。
複数の足音が聞こえる。先ほど空間認知で確認したもの達だろう。首に手を当てる。もう金属の感触は存在しない。
私は魔法使い。使いたくもない魔法しか使えない、どうしようもない魔法使いだ。
世界なんて、どうして欲しいと思えるのだろう。世界を変えても運命は変わらないのに。
瞳を開ける、世界と繋がる。
奇跡が動き出す。
「ずいぶん簡単に話を聞いてくれたわ」
楽しそうに笑った魔術師を少年は見つめる。風が吹くホテルの屋上。ここには二人だけ。
町ではないが、街とも言い難い、そんな中途半端なこの周辺に、ホテルに並ぶ高さの建物は存在しない。白衣を翻し、昔魔法使いだった魔術師は両手を広げる。
「さぁ、運命を変えましょう。――話しながらでも準備は出来るわ
彼女は一歩踏み出した。
――世界軸とは、神話に紡がれる世界の中心のことだ。ユグドラシス、世界樹ともいわれるそれを過去の人々は『世界』と肉眼視した。
「世界は目に見える。当たり前ね、この手に触れるもの、感じるもの、全てが世界なんだから。でも、世界の中心を人は見ることはできない。世界の中心はそれこそ、一人ひとりに存在するのだから。それを応用したのが魔法であり、魔術であるんだけど、それだけでは完全に運命を変容することはできないわ。せいぜい、小手先の裏ワザくらいもの。世界軸をつくり、運命という力の本流を自分に取り込むことで奇跡を理と成すこと、それが運命軸理論の執着地点よ」
棒立つ啓太の前で、彼女は楽しそうに語りながら赤く描かれた魔術印の上を辿る。
啓太は大きく床に描かれた文様を読むことができない。饒舌な彼女いわく、読めてしまえばその時点でそのものは魔術師なのだという。
「取り戻したいものがある、望みたい夢がある。そのためには自分ひとりの世界では足りない。世界の中心を、全ての人の世界を動かすようなものでないと。――だから、運命から外れた君を触媒にして世界を一つにまとめるの」
「僕は、死ぬのか?」
「さぁ、わからないね。君が真に世界と繋がっていないのならば、この魔術に君が引っ掛かることはない。つまり、触媒でありながら、無傷で生き残れるということ。そもそも触媒が灰になるのは、強制的に押し付けられた世界干渉の負荷ゆえっていうのが最近の通説だからね。だからこそ、世界をつながりのない触媒っていう者の研究はそれなりに進んでいる。触媒は基本的に世界と繋がりが大きいものに負荷をぶつけて力を生み出すものと、繋がりが小さいものに負荷をまとめて形を成すものの二大傾向なのよ」
言われた言葉に啓太は耳を傾けながら屋上から室内に繋がる扉に手を伸ばす。
――当たり前か、もう動かない。
「君が物理的には世界に属しているのが一番ネックね。奇跡が干渉することのできない君を軸として世界を動かすけど、公に人体実験は無いことになっているからね。こう言うのは。そのために触媒用の人造人間技術が発達したわけだし。ま、君が死んでも世界軸が完成すればどうにでもなるわ。生き返らせるついでに世界にも属するようにしておいてあげる」
踊るように世界を変える女は笑顔で続ける。
「時間は十四時半、その瞬間に地球は冬至を迎え、世界は一つの軸を作る。その軸を奇跡の中に組み込む。同調とも言うかもしれないわ。時間はもう少しあるし、お話しましょうか」
奇跡は、自分の思うようにしか動かない。自分の意志を世界に預けるのではない。自分の世界を外の世界にも繋げる。それが魔法であり、魔術であり、奇跡の根本。
「貴方を生かしたのは誰なのか、とかね」
蓮杖の言葉に啓太はペンダントを握る。
――父さん、母さん。
足を少し開いて、立ち尽くす。視線は蓮杖清香に。ただ、それだけ力を込めて。
「君の失った記憶は、全てを私は知っているわけではないけれど。でも、私は知っているわ。七年前、何があったか。君の持っていないピースの一つを」
握った手の内側が、汗で湿っている。
「――それは、何なんだ」
この世界はどうやら自分の知らないことであふれている。
その情報一つ一つを集め、探ることでやっと何かを知ることが出来る。
「教えてくれ」
啓太の言葉に蓮杖は薄く笑った。
――どうだ。
手に握った金属を通して兄の声が聞こえる。
「こちら、完了しました」
――了解。
言葉少なに返された答えに、足を止め、再び壁に背をもたれる。そんな彼女の横を通り抜ける影がある。
人は人数が多くなればなるほど奇跡を押し付けることが難しくなる。ちなみの持つ魔眼が珍しく、対人の影響力が強いものだ。それゆえに、蓮杖の結界内でも簡単な指示くらいなら上書き出来る。
熱い。こんなに魔法を使ったのは何時振りのことだろう。幼いころの魔法の暴走。あのときのように、加減もなしに、ただ、思考だけを流し込んだ。動く人影たちを見ながら想う。強制的に思考を植え付けることは非常に危険だ。その人の精神状態に何らかの異常が出るかもしれない。でも、出来るのは自分しかいない。
(かあさん)
「いた……」
手を開けば、とがった欠片が皮膚に食い込んでいた。
「……」
その小さな塊に目をやり、ちなみは再びこぶしを軽く握る。
触指。血に沿うように加工された金属はちなみの意志をすくい取り、その形を変形させる。
「出来た」
不格好な球に不揃いなチェーン。ペンダント。
「……」
無言でそれを首につける。
今にも切れそうなそれに手をやり、大きく息をする。もう少しだ。もう少しで、彼を日常に戻すことが出来る。
「行こう」
ちなみは持たれていた壁から背を放した。
語り終わった蓮杖は微笑んだまま、「わかった?」と言った。
――繋がった。
全てではない。ただ、道筋は見えた。どうしてこうもねじ曲がってしまったのか。本当ならば、こんなに曲がらずともどうにかなったはずの感情なのに。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
蓮杖が笑みのまま口を開き、言葉を紡ぎ終えた。その瞬間、音が響いた。繰り返される電子音、近づく音は徐々に大きくなる。
腰を落とした蓮杖はあたりを見渡す。誰もいない。
そうだ、この瞬間を待っていた。啓太は震える足を踏みしめる。ここからだ――、
「まさか」
蓮杖は走り、屋上から身を乗り出して、叫んだ。
「ホテルに、火をつけたの……!」
彼女の視界に映るもの、窓から零れる煙、ちらちらと舌を見せる炎。近づく音は消防車か。
――啓太は唇を噛んだ。
二人は上手くやったらしい。少しの安堵と、後悔が心に爪を立てる。
次の瞬間、屋上が大きく揺れた。
暗色の影が、床を食いちぎり躍り出る。破壊された足下は文様を破壊しつくし、魔術の存在を消去する。
「思いきったわね、リカード」
「これくらいしないと、貴様は倒せないのだろうからな」
ドアにすがるように啓太は足を後ろに送る。さまよった手が壁を伝うと、ドアが小さく開いた。
「啓太くん」
「ちなみ……」
再び出会った彼女は、少し顔色が悪かったけれど、しっかりと自分の足で立っていた。
「兄さんは」
「ここだ」
足下から湧き上がる煙をまとってリカードは立ち上がり、柵に背を預けた蓮杖に向き合う。
「これでおしまいだ、蓮杖清香。湧き上がる火でホテルの結界の核は消え去ったらしい。もう従業員も泊まり客も外に逃がした。貴様の魔眼はちなみが払い、俺は単純にそいつらを捕まえて外に投げ出したよ。――おとなしく消去を受け入れろ」
リカードの言葉に啓太は唇を噛んだ。
胸ポケットに手を添える。丸い小さなもの。
もし――、もし蓮杖の言葉を信じるならば、自分は彼女を封じた瞬間存在しなくなるのかもしれない。けれど。彼女のためにも。それでいいんだ。そう、決めたのだ。そして、彼女を救おう。今度は自分が。そう心に決める。
痛む心は時が癒す。だから、啓太は躊躇わない。何が大切なのか、それを忘れる必要は無い。
救うことが出来るのかわからない。でも。やる価値はあるはずだ。
啓太が首を振り、蓮杖に視線を向ける。
「ねぇ、ちなみ。嫌でしょう?魔法は辛いでしょう?考えたことはない?魔法が使えないければって考えたことは?私たちは望んで魔眼を手に入れたわけじゃないのに、散々に責められる。どうして?何もしていないのに。ただ、そこに在るだけなのに。だから、ちなみ。貴方にもわかるでしょう。――世界をほんの少しだけ捻じ曲げるのよ。そうすればその身を魔術師に差し出す必要もなくなる」
蓮杖の言葉が重なるたびにちなみは視線を細めた。手が震える。
「――お母さんは、そんなことのためにこんなことをしたの」
「えぇ。失った全てを取り戻すために」
「でも、お父さんと出会えたのは魔法のおかげじゃない」
「そうね、だけど、彼を殺したのも魔法よ」
「ころ、した」
「えぇ。――愛を信じても、どうやったって、魔法が全てをさらけ出す。知らなかったことの方が世界には多いことを貴方は知っているでしょう」
慈母のような表情で蓮杖は語る。
「……いい加減にしろ。もう、時間がない。火が大きくなっている。もういい、ちなみさっさと魔眼を使え」
蓮杖はリカードを一瞥した。
「貴方も、魔眼のことなんて道具としか思っていないんでしょう。あの人と一緒。愛や家族、血縁なんてもので縛っても、最後に決めるのは私達よ。――ねぇ、ちなみ」
蓮杖が一歩踏み出した。ちなみは表情の見えない顔で蓮杖を見ている。
「ちなみ?」
小首をかしげる。
ちなみは振り向き、啓太と目があう。
――あ。
笑った。
「お母さん。私は確かに、見たくないものを見るし、知りたくないことも知った。沢山沢山、嫌な思いもした。だけど、」
首元で手を握る。指の隙間から光るものがあった。
――あれは、
「でも、この力がなかったら、私は啓太くんを守れない。兄さんを助けられない。だから。私はこの力を必要とする。お母さんの考えには賛成できない」
言い切った言葉に、視界の端でリカードが呆然とした顔でちなみを見たのがわかった。
「……そう」
蓮杖は小さくつぶやくと、軽く微笑んだ。
「振られちゃった……」
蓮杖は黙ってちなみと見つめあう。ちなみは肩をこわばらせ、眉根を寄せる。対する蓮杖は涼しげな顔で、すべてを受け入れて見える。その満足そうな顔に、リカードは言った。すでにその顔は固く引き締まっている。
「少なくとも、貴様は一度記憶を消し去って再び『蓮杖清香』となれば研究を進めることが出来る。少し後退するが、今のように十分な手当てもないまま続けるよりはよっぽどいいはずだ」
ふいに風が強く吹いた。穴から洩れる炎が揺れ、蓮杖の赤い髪が空を舞う。彼女は笑みを浮かべた。
「――これでお終いだと思う?」
彼女は視線を合わせたまま言った。遠いのに何故か、耳に届く。リカードが眉をひそめ、ちなみは動かない。
「何?」
「―― 」
歌うような声だった。
かすかに空気が冷える。
「 、 」
啓太は赤い髪を見ていた、
蓮杖が振り返る。黒い瞳、微笑む顔が既視感に揺らぐ。
「な」
「啓太くん?!」
「ちなみッ」
啓太の声にちなみは蓮杖から視線を外した。
「――核と魔術印、ホテルの中に置きっぱなしとは限らないでしょう?こちとら、何年この計画を立ててきたんだか」
蓮杖の声が遠く聞こえる。啓太の身体はいつの間にか光に包まれていた。焔のように揺れる光は天に昇るように吹き上げる。
「時間稼ぎになったわね。母娘の感動の再会は。――ねぇ、啓太くん貴方の考えていること少しはわかるけど。一筋縄でいかない相手のことも考えた方が良かったわね」
その中心は、自身の胸だ。ワイシャツを透かせてる明るい光は、しかし、目を焼くことは無い。啓太は、慌てて服を握る。
「まさか、七年前の時点で――!」
そこから溢れだす光は目的をもって空を飛ぶ。
「さぁ、この世界に中心を作りなさい……ッ」
蓮杖が手をかざす、天につき上がる輝きの柱。世界の中心、目に見える世界。これが、
「啓太くん――ッ!」
横から誰かに身体を押された。薄い色の髪が散る。勢いにのまれて握っていた手から金属が飛ぶ。
少女の声、啓太は光の中で『それ』を見た。




