四章:因果のはじまり‐弐
「……一人だと入りづらいな」
高級な、学生には場違いなホテルの前。啓太は少しためらい、足を踏み出した。
十二月も半ばを過ぎて、クリスマスまでもう数日。ロビーに飾られたツリーは上品に輝く。しかし、飾り付けに似合わず、客は少ないようだった。というか、ロビーには誰も人がいない。一応平日だし、こんなもんか。
緊張しつつも、息を殺すように啓太は早足で歩いて行く。
ボタンを押すとエレベーターはすぐに開いた。乗り込み、腕を見る。時刻、午後一時。思ったよりも遅い。ドアは音もなく閉まり、ため息が漏れる。
重力がかかった。背を壁に預けて頭を上に向ける。
軽い電子音、扉が開く。
「……」
深呼吸、エレベーターから降りて、短い廊下の先を睨む。
足音が短い廊下に響く。少しためらい、手をドアノブにかける。息を飲み、ゆっくりと回す。
「……」
少し開けたドア。こっそりとのぞくように小首をかしげて右目だけ室内に向けた啓太は、そこにある影に唾を飲んだ。
「啓太くん、こんにちは」
軽く笑みを含んだ言葉。部屋の中央のソファー、背を向けるように座った人影。
「お前、」
「聞きたいことはいくらでもあるでしょう?私に答えられる限り答えようと思う」
こわばっている顔を見て、振り返った彼女はあでやかに笑った。
「その前に、君に蓮杖というひとつの魔術大系を教えましょう」
人を移すこと。完全でなくともいい。魔術を延々と研究し続けるために、その知識や思考をパターン認識して、次の代のものに移す。そうしてその元の人格を一つの範例として押しやり、魔術師としての人格を作り直す。
そうして、理論上別人物として新しくこの世に生み出される存在。幾度も時を重ねる、永遠に近い秘術。
「私はそんな家系の一人なの。本来ならばおひいさま―一番本物に近い者―の指示で全てを行うはずなんだけど……、七年前の事件からどうにも調子がくるってしまってね。色々勝手に動くうちに、何時しか抹殺指令を与えられてしまった。彼女はリカードとちなみの所属する団体の重役で、彼らは彼女の依頼でここまで来たようなものなの。――そうそう、蓮杖と言う名前からわかるとは思うけど、私の流派は日本発祥なの。さらに言うと大本は日本の巫女だから、女しかいない。とはいうもののおひいさまも含めていくつか世代を重ねているから純粋な日本人は、多分《清香》だけなんだけど」
ね、面白いでしょ?
同意を求めるように片方だけつられた口元に目が引き寄せられた。
彼女の向かい側のソファー。すぐに立てるように浅く腰かけたままで啓太は彼女の話を聞いている。
「……僕には少し、難しい話だな」
「そう?ロマンがあって面白くない?」
身を乗り出しながらいう彼女は楽しそうだ。その様子にめまいがする。
「貴方は一体何がしたいんだ?」
見たところ彼女自身、既に相当《魔術》とやらに毒されている。慎重に言葉を切りだした。
――向き合う彼女、笑う口元。組まれた足。
「私を手伝ってくれないかな」
「手伝うって」
「もちろん、世界軸のこと。――あぁ、安心してね。ちゃんと報酬は渡すわ。君の願い事を一つ叶える、いえ、命をかけるんだもの。二つでも三つでも叶えられるだけ。どうかしら?」
右手を振る彼女の言葉に啓太は口をつぐんだ。
「願い事って」
「世界軸は運命に干渉する。つまり、完成したそれはどんな奇跡も起こせると言うことよ。失われたものを君は取り返したいんじゃないかな」
最後に見た、光の中の両親。虚ろにそれを想い、胸ポケットに触れる。
「僕の安全は」
「保証する。と言いたいところだけど、少し難しいかな。何せこの魔術を展開するのは初めてだから。しかし、行おうとする以上勝算はある。魔術師は常に万全を誇るのよ」
「……」
「君には願いがあるでしょう?奇跡は必ず全てを叶うわ」
組んだ足をほどいて彼女は身を乗り出した。
「私に手を貸して」
啓太は顔を下げた。真っすぐに見つめられる瞳の黒さにいたたまれなくなる。
失った両親。広い部屋に一人、思い出す記憶。
そして誰かが居たのか、ペンダントを渡した誰か。それは彼女なのか。
失った記憶。踏み場が歪む感覚。
足に置いた手に力を入れた。布地をゆがめる指。啓太は下を向いたまま口を開いた。
「七年前、何があったんだ」
「難しい質問ね、あれは。あら、もう時間切れみたい。――ちなみを本当に蓮杖に渡すつもりなのかリカードに聞いておいて」
想わせぶりな言葉が止まる。空気が動くのを感じた。視線を上げる。瞬間、ドアが弾けた。
「なっ!」
同時に跳びこむ影、それは、勢いを殺すことなく彼女に向かう。
そして目の前、いつのまにか女は表情を失い、立ちあがっていた。違う、
「……何をしている。早く逃げろ」
背後に立つ男、女の首を掴んで、立っているのではない。ぶら下げて、
「 、 」
言葉にならない、こえ。男の唇、指が動く。つかまれた首に女は爪も立てずに小首をかしげて啓太と目を合わせた。あでやかに微笑んだ顔。
「屋上においで」
いい終わると同時に固い音が鳴った。飛び散る金属。首輪が破壊される。青年は少女の首から手を話す。崩れおちる少女。茶色の長い髪、砕けた首輪。人格を変えていた魔法使い。
髪が床に散らばり、少女の細い方が震えた。
「……来栖、さん」唇かみしめるようにつぶやく。
部屋に入ってきたときに驚いた。少女は少女ではなかった。
妖艶な笑みを浮かべる、女。
「魔術は解除された」
いつの間にか浮かせていた腰をソファーに落とす。彼女の方に伸ばしていた手を握り、そのまま目を覆った。逃げなければ、そう思っても、身体が重かった。
「――奇跡なんて、バカみたいだ」
リカードはそのつぶやきを聞かなかったかのように妹をソファーに寝かせた。
ドアのほうから叩く音が聞こえる。見れば弾けたドアの向こうに壁がある。――触指、魔法か。
「昨日君の帰った後、蓮杖に襲われ、今まで閉じ込められていた。やっと抜け出したと思えば君はつかまっているし……まったく。蓮杖もなんだ。何人洗脳したんだか、そこらへん操られたやつらばかりだ」
「なんで、来栖さんはああなったんだよ」
リカードの言葉を聞かずに質問をかぶせる。リカードは少し眉をひそめたが動かない啓太を見て、小さく息を吐き、「洗脳だよ」と言った。
「俺はどうにか逃げ回ってて、やっとここまで来た。トラップは妙にゆるいし、あのアマ舐めてんのか」
ひとしきり悪態をついてリカードは続ける。
「……ちなみは優秀な魔眼使いだ。彼女の魔眼に対抗できる魔法使いはそうそういない。そのうちの一人が蓮杖清香の素体だったってことだ。素体っていうのは――」
リカードはちなみに視線を下ろしたままためらいがちに唇を開いた。
「……ちなみの母だ。日本人、俺の義母」
「母親……。このペンダント」
「あぁ、だから貴様かと思った。だが、今の話、違うみたいだな。十二年前、義母は父を殺した。そして、蓮杖家に引き払われた。優秀な魔眼使いだったからな。そこで彼女は《蓮杖》となって、蓮杖清香として生きることになった。
そのうちに彼女はとある魔法流派に協力するようになった。蓮杖として正式な協力だった。その中で、その流派が日本にやってきた。そして、――君の巻き込まれた七年前の事件に蓮杖清香は関わっていたんだ」
啓太は息を飲んだ。
「あの事件は、蓮杖の協力していた流派が行った世界軸作成の暴走で起こった。そして、清香は世界軸の暴走に巻き込まれた。その流派はその特殊さゆえに、碌な断罪も受けず、ただ、彼らとその協力者たちの多くは多大な精神汚染を受けた。蓮杖清香も、一時期は持ち直したと思われた。けれど、そうじゃなかった。
――それ以上は知らない。だから、本当に、詳しくは知らない」
だから、二人しか日本に来ることが出来なかった。日本の魔法や魔術を行う流派は皆、協会全体に対して敵意を持っている。
「それでペンダントを」
「もしかしたら、君と彼女はあったかもしれない。君を救ったものというのは、彼女かもしれない」リカードは力なく首を振った。
「でも、それなら、何故彼女が今君を使って世界軸を作ろうとしているかわからない。いや、君を救うことで、本来死ぬはずだった未来を覆し、君を触媒として使うための下地にした――?」リカードの言葉に首を振る。
「どちらにしても……結局彼女に聞くしかないわけだ。真実は」
そういって啓太は目を細めた。
「……彼女の願いって」
「そうだな、多分ちなみの母のものだろう。蓮杖である彼女に意志はあれど、全て統合された存在だ。彼女自身の意志は蓮杖のもの。蓮杖が望まぬ今の事態は多分ちなみの母の意識がもたらしたものだ。彼女は地震の魔眼を嫌っていた。だから、多分、自身の魔眼と、ちなみの魔眼をなくそうと――」
「私のことはどうでもいいですッ」
「ちなみ……」
「来栖さん……」
横になっていたちなみは半身を持ち上げ、上げた顔は青ざめている。髪が乱れ、口元にかかり、眉はゆがめられていた。
「逃げてください、お願いです、貴方には死んで欲しくない。ごめんなさい、沢山、嘘ついたけどッ」
ごほごほとせき込む。持ち上げた身体を支えるようにかがんだリカードを押しのけ、ソファーに身体を預け、それでも言葉を絞り出す。
「でも、貴方に、傷ついて欲しくない。その気持ちが一番大きくて、だから、やだ。啓太くんは、もう、ここから逃げて……ッ」
「……来栖、さん」
「ちなみ……」
涙は落ちない。幾度も繰り返し瞬きをして、まなじりにとどまり続ける滴。
彼女は逃げろと言う。でも。
「――無理だ」
啓太の心と同じタイミングでリカードは言った。
「このホテルは結界に追われている。この中にいる者は俺とちなみを除いて皆蓮杖の駒になっていると考えてもいいだろう。多分、この人数と広さから言って全ての感覚を蓮杖が握っているわけではないだろうが、啓太一人を追わせて、このホテル自体から逃げだせないようにくらいは出来るだろう。それに、彼女はそう多く触媒を保持していなかったはずだ。こんな大きなホテル一つ結界に囲いこむなんて、――彼女が一体何を触媒にしたか。考えろ。生きた人間は触媒に出来ないでも、死んだ人間ならば触媒に出来る。そんなことより、早くあいつ自身を見つけてさっさと思考コピーをした方がいい。どうせ術者が駄目になれば魔術は止まる」
息を飲む。人のいなかった玄関。――まさか。
「啓太くんはどうすんですか!……、そこを、なんとか私と兄さんでッ!」
「時間がない。もう、冬至まで時間がないんだ!殺されることはないだろう。彼にはひとまず、この部屋にでも隠れてもらっていればいいだろう。あと、三十分以内で啓太をホテルから出すのは難しい。何も出来ずにこのまま冬至が来れば、このホテル内にいるだけで啓太自身が危なくなるんだぞ」
「啓太くんだけでも逃せないんですか?啓太くんが逃げればどちらにせよ魔術は稼働できないでしょう?」
「啓太一人をここから出したところで魔術が止まるとも思えない。もしかしたら、半年前のように、強引に啓太以外も触媒として魔術を動かすかもしれん」
「じゃあ、結界――!核をこわせば……!」
「相手はこの結界の制作者だ。核を見つける難しさについてお前もよく知っているだろう。だからひとまず彼女を倒すほうが先決だ」
リカードの言葉に啓太は口を開いた。
「核って、どうやれば壊れるんだ?」
「奇跡的なものでも物理的なものでも構わん。基本的に核はもろいものだ。少しでも条件が変われば魔術と言うものは発動しなくなる。直接攻撃を与えなくても、最悪、動かすだけで魔術を止めることはできる。特に蓮杖の使う魔術は高度なものだからな。その分守りも強力だろう」
「僕も、手伝う」
「……むしろ迷惑だ。君には魔術は通じなくとも、物理は通じるんだ、操られた人間に捉えられでもしたらどうするんだ」
「じゃあ、君達だけで蓮杖の魔術を止められると思うのか」
「――正直わからん。策も魔術の準備もないしな。しかし、こんなところでしゃべくっている時間があったら何か行動をした方が良いのは確実だ。――蓮杖に魔術を使わせる気か?それが上手くいくとでも?」
皮肉げに言ったリカードの顔を正面から見る。
「魔術を使わせるきはない。犠牲を払うつもりもない。――でも僕には、策がある」
「……な」
「僕にも何かさせてくれ。……うん、ただ、それはとても危ないものだから――」
日常、失ったもの。この辛さはもう二度と味わいたくないと思った。だから、同じ辛さを他人が味わうことも止める、そう思った。
「手伝ってくれないか」
――七分後。
屋上に通じるドアが開いた。一人の少年が姿を現す。自身の操る人間たちに囲まれるようにやってきた彼に彼女は笑った。
屋上。それは広く、本来人が立ち入るべきではないそこはとても空虚だ。
彼女の足元には幾重にも円を描き、文字で埋めた魔術印は深紅。背景は空の青。
強い風に負けるようにドアを閉め、啓太は彼女に向き合った。
「遅かったね」
結った髪が風に舞う。両手を広げ、少年を歓待する。
魔法使い達はいない。人を彼のいる場所に向かわせたとき、魔法使い達は既に逃亡した後だった。少年を守る魔術も簡易で、守る気があったかすら怪しい。
(何か企んでいるのかもしれないけれど、でも)
彼らの実力は知っている。今度は啓太をおとりにして結界の核――触媒を壊そうとしているのだろう。
――さぁ、上手くいくかしら。
まぁいい。今は彼らより、これから行う奇跡のことを考えよう。
◇◇◇
人に魔法を知られてはいけない。
魔法や魔術が世界に広まりきらなかった理由はいくつもあるが、その一つに大多数の前で魔法や魔術を行うことが難しい。というものがある。
個人の成し得る奇跡は個人の世界の範囲のみ。多くの人の前で魔法や魔術を行えば行うほど、それぞれの世界干渉の影響で起こせる奇跡は弱くなる。だからこそ、奇跡を行うためには無人の空間が一番強い効果を発揮する。
奇跡で戦争は行えない。だから、魔法や魔術は世界に広まることはなかった。ごく少数で行うこと、それが奇跡の原則の一つだった。
しかし、
「……逆に大多数を味方につけると言うことか」
「にいさん」
後ろから響く、妹の声は機嫌が悪い。
「あいつは自分で自分のやりたいことを決めたんだ。俺に文句を言うくらいならしっかりと自分を取り戻せ。そして、この計画を成功させろ」
小さく息を吐く声がした。数秒後、足音が遠のいていく。
「さて」
己のやるべきこと、きっと帰ったら円卓の狸どもに散々突っ込まれるのだろう。何しろ、馬鹿らしいほど大雑把な策だ。これを考えた少年は大胆なのか何なのか。まぁいい。ただ、この策に勝算があるからやるだけだ。少年が蓮杖と手を組み、魔術を発動したら、そんな不安もある。でも。
――知ったこっちゃねぇ。




