四章:因果のはじまり‐壱
ソファーの陰に、ただ身体を横たえ、息が苦しい。呼吸が上手くできない。
「あら、まだ、意識あるの?結構粘るわねぇ」
声が聞こえた。
足音は軽く、しかし、その後ろから引きずる音がする。
彼を傷つけた。もっと順序を踏んで話すつもりだったのに、どうして兄さんは。
でも、そのおかげで彼は逃げることが出来た。
「――大丈夫よ、悪いことはおきない。これが起きることはずっと昔から決まっていたこと。願いを叶えるために全ては起こったのだから」
何を言っているんだろう。私の願いなんてない。ただ、彼が日常に、彼の世界に戻ってくれればそれでいい。それでいいのに。
「さぁ、準備をしなくちゃ。もう少しなんだから。――冬至まで」
◇◇◇
「なんで今日ちなみちゃん休みなの?」
補講が終わり、新藤に声をかけられた。
「知らない」
「そっかー、聞きたいことあったのに。あ、ねぇ、ちなみちゃんのメアド知らない?なんか私、登録忘れてたみたい。電話帳に無かったの」
携帯を振りながらいう新藤から視線をそらす。
昨日の今日で、彼女からの連絡はない。昨日帰ってすぐ、気持ち悪くなって、部屋にあった魔術印は消した。濡れた雑巾で簡単に消えたそれを見下ろしながら、蓮杖のことを思い出した。
変な女と自分に嘘をつく男と少女、どれがいいかと言われたら、今はもうわからなかった。
もういっそ、全部ただの夢だったらよかったのに。
朝ごはんを食べながら笑う叔母と叔父と実花に言ってやりたかった。両親を奪ったのはあいつらだったと。でも、そんなことを言ったってどうにもならない。誰も信じない。
魔眼の、彼女の力で。
「来栖さんは携帯持ってないよ」
「えっ、そうだっけ?」
「なんか、持たない主義らしくて」
「そうなんだ……、珍しいね。あ、ねぇ、今日はどうするの?なんか、用事ある?無いならミスド行こうよ、遠田くんが割引券くれたの。期限もうすぐなんだけど、津久田と遠田くんは金欠でこれないって」
新藤の言葉に、考えるそぶりをしながら、教室の前にかかる時計を見る。
「ちょっと野暮用が。ていうか、新藤もう体大丈夫なのか?」
「じゃあまたの機会に。もう怪我の方は大丈夫だよ、ばっちりばっちり」
彼女は笑って手を振った。あの事件のあと、彼女は少し変わった気がする。
妙に明るい顔をしていたり、他のクラスメイトに対しても屈託がなくなった気がする。
気がする、程度で本当のところはよくわからないけれど。
(あの告白は)
ちなみとは付き合っていない。それを彼女に伝えたら、どうなるのだろうか?
そもそも、自分は新藤のことをどう思っているのだろう?
高校からの友人で、それだけだったはずなのに。
(ひどい男だ)
全然、全く、何も考えていなかった。
いずれちなみはこの街を去る。
そのとき、彼女はどう思うのだろう。すでに告白を受けた自分は、彼女に何と返せばいいのだろう。
ぬるま湯につかるようにただ何も考えずに彼女の告白を受け、そこから何もせずにいる。
(人のこと言えないな)
――……しょせんそんなもんなんだろうな、僕の存在なんて
ちなみに、そんなこと言っておきながら、自分のほうがもっと不誠実だ。
「そう言えば今日なんでかばん変えたの?筆箱もいつもと違うし」
「ただの気分転換」
「そう。まぁ、いいけど。じゃあ、また今度。……その、ちなみちゃんと喧嘩してるんだったら、早く仲直りしなさいよッ。あんた、変なところで依怙地なんだから」
そう言って身を翻し、固い動きで去っていく新藤を呆然と見る。安谷が笑いながらこっちを見て手を振り、新藤を追いかけて、何とも言えない気持ちだけが残る。
「なんだあれ……」
なんでばれるんだ、小さく毒づく。
「あれ、一緒にいかねーの?」
津久田の声が後ろから聞こえた。
「あぁ、ちょっと用事」
「わかった、来栖さんのお見舞いだろう!ひゅーひゅー!」
「ちげーし」
「?!くちがわるい?!どうかしたのか、小日向、そんな口の悪い小日向初めて見た!!」
「やめろ馬鹿」
騒ぐ啓太達を見ながら、遠田がどうでもよさそうな顔で、「行くぞ」と言った。
「さっきはありがとうな、小日向」
「何が?」
廊下を歩きながら突然遠田が言った。意味がわからず、思わず彼を見る。
「なんだ、何も考えてなったのか」
「なんの話だ?」
「ミスド。あれ、新藤と安谷の二人で行って欲しかったから」
「なんで」
食い下がる啓太にあきれたように遠田は視線をやった。
津久田はふらふらと先を行き、空を見上げている。
「お前も気づいてなかったのか、最近安谷の様子がおかしかったこと」
「おかしかったっけ?」
言葉に出した後にカッターを持った安谷の姿が頭に浮かぶ。すぐに首を振った。違う、その記憶はもう魔眼で消されたはずだ。
はぁ、と大きなため息をついて、遠田は首を振った。
「最近、色々思いつめてた。多分新藤のことだな、あいつ、目茶苦茶新藤に依存してるから。それでもバランス保ってたのに、最近なんでか崩れて……、でも、なんか新藤が不審者に切られただろ?あの後らへんからまたなんか元に戻りつつあったみたいでさ……」
ちなみからはあまり聞けなかった安谷が新藤に何か抱えていたこと。紅い血、呆然とした眼を思い出す。だから、あの時一人で学校を周りに行ったのか。
もう記憶を消された彼から全てを聞くことはできない。ただ、予想して感心する。
「そんなこと、よく気付いたな」
「まぁ、小学校のからの付き合いだし」
「えっ?!」
「言ってなかったか?中学は違ったけど、小学校は一緒だった。ただ、話したことはあんまりなかったけどな」
「津久田と新藤が同じ小学校ってことは知ってたけど、それは知らなかった。……っていうか、そんなにわかるとかすごいな、もしかして安谷のことよく見ているんだな?」
「………はぁ?」
何となく聞いた言葉がクリティカルヒットしたらしい。遠田は少し黙った後に、すごい勢いで啓太の方を向いた。その勢いにのまれながら、
「え、いや、そんな細かいこと気付くなんてすごいなって」
「観察力が鋭いだけだ」
ふふんと、鼻で笑った遠田が、初めて馬鹿に見えた。
「お前ら何やってんのー、先行っちゃうぞー?」
「すぐ行く、啓太はどうするんだ?俺たちはCD見に行くけど」少し前で足をとめた遠田に啓太は視線を落とした。
「僕は――」
昨日のちなみを思い出す。
「よるところがあるから」
「そうか、じゃあ、また明日」
右手を上げた遠田に手を振り校門を曲がる。
前を向いて、そのまま空を見た。
言わないことで、都合よく。僕には、魔法が効かないから。そうなると、彼女たちの言っていたこと全てが信じられなくなる。
「くそ……」
人と繋がることが怖くなった。津久田や遠田たちと二年間付き合って、彼女に出会って、-やっと一歩踏み出せると思ったのに。
「……そうだ、バック、返してもらわないと。財布も入っているのに……」
バックの中には財布が入っていた。財布にはカードも保険証も教科書もノートも何もかも入っているし、最悪なことに携帯もその中だ。
学校にもきていなかった以上、取り返すにはホテルに向かうしかない。
「……」
胸ポケット、銀色のペンダント。これについてももっと詳しく聞くべきだろう。聞く権利はある。
そして、彼らの知っている、自分の知らない情報。知りたいことはいくらでもあった。
――会うしかない。信じる信じないは別として。
啓太は大きくため息をついた。
啓太はこちらに小さく手を振って歩きだした。彼の足取りは何処か重い。
その姿を見守り、津久田は肩をすくめた。
「こっちもあっちもどうにかなりそうでよかったなー、心配お疲れ遠田!」
「……玉にお前が馬鹿なのかなんなのかわかんなくなるわ」
気付いていたのか、と飄々とにやつくもう一人の友人に目を向ける。へらへらしているくせに感が鋭い――多分啓太より鋭い――こいつが玉に嫌になる。
「で、つけるか?面白そうだけど?」
にやにや笑う悪友に、
「邪魔するわけにはいかないだろ、行くぞ、ほら」
と言いわたし、校門を出る。
ふと、校門のそばに立った時計を見た。
もう正午を過ぎていた。




