天界へ
七章
「言えない・・・」
ラファエルから受け取った、天界への招請書を目の前に勇哉は呟く。
「僕、というか俺だけ天界へ呼ばれてるなんて、言えない」
『追伸
色々不都合があるだろうから、元に戻してあげるよ』
妙な癖のある字で走り書きされている追伸。勇哉には、この字を書く人が誰だかわかってしまった。
「なんで一言、拓哉もって付け加えてくれなかったのー!?」
誰もいない部屋に勇哉の叫びが響く。
「しかもこれ応じたら、すぐに転移するヤツだし!」
ベッドに倒れ込むと、枕を投げた。
一頻り暴れた後、勇哉はこの後の事を考え始めた。
(まず、拓哉にこれを見せるでしょ?そうしないと何も変わらないし。あーでも、怒鳴られるの嫌だなぁ・・・)
「誰が怒鳴るって?」
「ひゃあっ!!」
勇哉が投げっ放しにしていた枕を持った拓哉が、やや不機嫌そうな顔で勇哉を見下ろしていた。
「て、テレポートしたな!?」
「それがどうした。で、そのテーブルの上にある巻物はどうしたんだ?」
ぎゃっ、と声を上げた勇哉は、巻物を取ると後ろ手に隠した。
「・・・まぁ、大体の予測はつくけどな」
自分のベッドに腰掛けた拓哉。
「つーかお前、俺とお前で意識を繋いでるのを忘れてねぇか?さっきからお前の声がガンガン響いてうるせぇんだよ、いい加減しろ」
少し間が空く。
「にゃー!?わ、す、れ、て、た!」
つまり、全部筒抜けであった訳で。
「え?でも、どうしてチャネリングみたいな事が出来てるんだ?物理的に無理じゃないの?」
「・・・殴っていいか?魔法と聖霊術は違うんだよ。お前達が出来なくても、俺は出来る」
そう言った拓哉は、ふと考え込んだ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもねぇよ。とりあえずその巻物について、お前の口から説明してもらおうか」
もう済んだ。と思っていた勇哉は、その言葉に泣きそうになった。
冷ややかな拓哉の目が痛い。
「そうかそうか。なら勝手にしろ」
「ち、違うんだって。ラファエルに泣き付かれたとか、そういう事じゃなくて」
「あぁ?じゃあどういう事だよ」
「悪魔とか悪霊とかが地上をうろついてるらしいから、どうしてもって言われて。でも、俺の剣が行方不明で」
必死になって拓哉に説明する勇哉。
「例のエデンの剣か。なるほど、今なら魔法も効き放題という事か」
「それだけは本気でやめて。今の僕は加護すらないんだから」
真顔になった勇哉を見て、拓哉が鼻で笑う。
「そういえば下っ端だったな、お前」
「そうだよ。そこも鑑みてよ」
「開き直ってんじゃねぇぞ、馬鹿が」
もはやただの喧嘩だった。
しばらく睨み合っていた二人だったが、先に折れたのは拓哉だ。仕方なさそうに肩を竦めると、組んでいた腕を解いた。
「悪魔退治にミカエル参加、か。それならコソコソやらずに済みそうだ」
「え?拓哉も頼まれてたの?」
「地界は大騒ぎだ。少人数で無限湧きする敵をどうにかしないといけなかったから、俺もこの状態で・・・」
差し出した掌の上に炎が生じる。しかし、勇哉が覚えている程の力は感じない。魔力が云々よりも、拓哉自身に問題があるように勇哉は思った。
「やっぱりダメだな」
炎を消した拓哉はため息をついた。
「ルシフェル?」
「まぁ、いい。行って来い。俺は地上でチマチマやる」
「え、ちょっと、ホントにいいの?拓哉は何とも思わないの?」
勇哉はあっさりと許可が下りたことに慌てふためいた。
「こればかりは堕天した俺が悪い。せめて、天界に籍があるならな、まだよかったかもしれねぇが」
「え、でも、天界によく来てたよね?何なの、あれ」
拓哉が顔をしかめる。
「あいつの考える事なんてわかるか。地上で新年祭が催される度に呼ばれてたんだよ。だから、お前と俺はよく会ってた訳だ」
「・・・律義だね」
地界にいるなら、命令無視しても怒られないのに。と、勇哉は単純にそう思った。
「んじゃ、書いちゃうよ。なうで」
置きっ放しの学校の鞄から、シャーペンを取り出した勇哉。
「それで書けると思ってるのか?」
「やってみなきゃ、わかんないじゃん」
一応、羊皮紙のような材質の紙ではあるのだが、とりあえずは書けるようだ。
「何文字で書けばいいの?あと名前とか」
ため息をついた拓哉は、勇哉の頭を思い切り叩いた。
「ふぇっ!?」
「目文字でも自前の文字でも日本語でも何でもいいだろ!いい加減にしろ!」
涙目の勇哉は、結局日本語で『天竜勇哉』と書いた。
勇哉が招請書に名前を書いて、いくらか経った頃。
「ラファエル、うるさいですよ。ガタガタさせないで下さい」
「落ち着いてられるか!あーもう、ミカちゃんあの石頭に見付からずに書けたのか、それが心配で心配で」
いつもの机に着いているラファエルの貧乏ゆすりに、ガブリエルが顔をしかめる。
「ペヌエルがいればよかったのですが」
ピタッと貧乏ゆすりが止まる。
「そういえば、ファヌエルはどこ行った?」
「ラグエルの所だそうです。あぁ、全く。何故地上では週一で礼拝があるのでしょうか」
ガブリエルは鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。そして、新たな巻物を手に取ると机の上に広げた。
「てか、何やってんの?」
「ペヌエルの仕事です。私は別に、常に寝ている訳ではないのですよ」
納得した風に何度も頷くラファエル。
「そういえば、たまに綺麗な字で書いてあったな」
呆れた目で見られ、ばつが悪くなったラファエルが知らん顔をした。
しばらく二人共黙っていたが、不意にラファエルが立ち上がった。
「今度は何ですか?」
「カマエルから連絡が・・・あぁ、行くって」
カマエルとは、天界の入口を守っている天使で、よく地上に降りるラファエルとは旧知の仲だ。
床を強く蹴って、ラファエルは飛んだ。一瞬遅れて、背中に一対の翼が現れる。
「おーい、ラファエル!」
のんびり書類などを運んでいる他の天使達をかき分けて、ようやく天界の入口にたどり着いた。赤毛の天使が下に見える。
「どうしたんだ?」
降り立つと同時に翼も消えた。
「こいつ、ミカエルだよな?」
ちょうどカマエルの陰になっていた所に、見覚えのある人物がひっくり返っていた。
「おぉ、ミカちゃん!?何で気絶?」
「いや実は、咄嗟に手が出てしまって・・・」
門番の性かもしれない。
「はいはい、なるほど。俺に運べとね」
仕事で動けないカマエルは、気絶した勇哉を運ぶ事はできない。そこで、応援として呼んだのはラファエルだった。という訳である。
「すまない。しかし、何故子ども姿なのか、よくわからないな」
考え始めたカマエルを放って、ラファエルは勇哉を背負うと飛び立った。
「・・・うん?」
勇哉が、というよりミカエルが気が付いた。
「ちょっとミカちゃん?自分で飛んでくれない?」
「あ、ここ天界?」
聞いてない。
「ミカちゃーん」
ラファエルはがっくりと肩を落とした。
「ごめんごめん!近くで降ろして」
柱が多く立つ場所に降ろしてもらったミカエルは、ふぅと息を吐いた。
「墜ちたら、拾ってくれよな」
「ちょ、ちょ待って!そうか、人間だった!」
結局、ラファエルが背負って飛ぶ事になった。
「あれ?もしかして、主はいない?」
ミカエルは上を見上げながら聞く。
「いない。メタトロンの所だろうな、たぶん。お前らの事で、文句でも言いに行ったんじゃないか?」
「あー、やっぱりあの人メタトロンだったのか」
ミカエルは、こちらに飛ばされた時の事を思い出した。
「ほら、着いたぞ」
「お帰りなさい。カマエルはな・・・」
顔を中途半端に上げたまま、ガブリエルが固まる。
「ガブリエル、久し振り」
終には、羽根ペンを巻物の上に落としてしまった。書きかけの文に被るようにして、インクが広がっていく。
「み、ミカエルですか?」
「ん?ラファエルに俺がどうなってるか、聞かなかったのか?」
勢いよく立ち上がったガブリエルは、駆け寄るとミカエルの肩に手を置いた。
「・・・実際に見ると、かなり幼いですね。背も貴方の方が高かったはず」
「うるさいなぁ。これから伸びる予定だったんだ」
口をへの字に曲げるミカエル。それを見て、ガブリエルが笑った。
「変わりませんね。・・・よかった。今回ばかりは、堕天し掛けるほど心配したんです。あの場に、私はいましたから」
「堕天!?そんな事考えてたのかよ」
ラファエルが驚いて口を挟む。
「ラジエルも知らない、あり得ない事だったんですよ?堕天ぐらい、したくなります」
「まぁまぁ、ガブリエル。ちゃんと帰って来れたんだからさ。あんまり恐ろしい事言わないで」
ミカエルは大慌てだった。ガブリエルまで堕天すると、今度こそ天界が傾いてしまう。
「そうですね」
ガブリエルは自分の席に戻ると、落としたままだったペンを手に取る。
「これで最後ですから、ラファエル。お願いしますね」
「はいはい。それじゃ、準備でもしますか」
ラファエルも席に着く。
仕事をし始めた二人を見て、ミカエルは一人で天界を見て回ろうとした。
「ダメだって、ミカちゃん。飛べないんだから」
「ば、バレたか」
天界の構造上、飛べなければどこへも行けない。落ちるだけである。
「とりあえず、主はいないし飛べないし、座ればいいんじゃね?」
ラファエルが、元々ミカエルが座っていた椅子の背もたれを軽く叩く。
「そ、うなんだけど・・・拓哉が」
置いて来た拓哉の事が気になるらしい。
「タクヤ?・・・ルシフェルか。あいつがどうかしたのか?」
「リアルタイムではないと思うんだけど、ルシフェルは地界の人達と悪魔の相手をしてるんだ。あいつも子供で、あれだけ強かった力を今は半分も使えてない!だから」
最後の文を書き終えたガブリエルが、ミカエルの方に向き直る。
「言いたい事は、わかります。しかし、焦っても仕方が無いでしょう?落ち着きなさい」
優しく諭すように言う。ただ、言葉の重みが違った。
「・・・まぁこの場合、一番悪いのは主だな。なんせ、ミカちゃんが帰って来る事知っといて、ふらっと何処かに」
「誰が何だと?こちらを向いて、言ってごらん?」
気が付くと、白のワイシャツにジーンズというあまりにも場違いな格好をした人物が、ラファエルのすぐ後ろに立っていた。
「い、いつの間にお帰りになられたんでしょうか?」
「うん?今。そうしないと色々不味いと思ったからな」
相変わらず口調が一致しない。
「お帰りなさい、主」
立ち上がったガブリエルが一礼する。
「あぁ、ただいま。それと、ミカエル。おかえり」
自然と、ミカエルは膝を突いていた。
「そういう律儀な所も直って欲しかったんだけどなぁ」
「いいじゃないですか。それはミカエルのいい所でもあります」
ガブリエルは結っていた髪を解くと、机の上の巻物全てラファエルに渡した。
「げっ、こんなにあるのかよ」
文句を言いながらも、ラファエルは五本の巻物を持ってここから立ち去った。
「んじゃあ、俺もウリエルに手紙渡して、アナフィエルに鞭返してくるよ。ガブリエル、ミカエルを僕の部屋に連れて行っといて」
彼も何処かへ行ってしまった。
膝を払いながら立ち上がったミカエル。
「それでは、私達も行きましょうか」