第3話 旦那様への復讐劇
「ん……」
私は温かいお布団の中で目が覚めた。
よく目を開けると朝の眩しい日差しが私に差し込んでいる。
「朝……」
自分のベッドではない心地にふと昨日のことが呼びかえってくる。
『いやあ~相変わらず、私の評判は良いな! それもこれもエミリアのおかげだ。少しばかりうちより貧乏で可哀そうな境遇だから拾って妻にしてやっただけなのに!』
嫌な記憶や声が生々しくよみがえってきて思わず私は目をつぶった。
もうあんな男のことなんか少しも思い出したくない。
いっそ記憶をなくしてしまいたい……!
そう思いながら、ゆっくりと起き上がった。
洗面台で顔を洗い流して、ふと鏡を見る。
「ひどい顔……」
泣いて目を腫らしてしまったため、目は半開きで重たい。
これから生きる私の道を示唆するような重さに、私は嫌気がさした。
伯母様にお借りしたドレスを着るが、彼女のすらりとした体形と違って私は小柄なため少し引きずってしまうほど……。
そんな時だった。
屋敷のどこかから聞き慣れた声が聞こえてくる。
「エミリアっ! エミリアどこだっ!!」
「旦那様……!」
あの声は旦那様のお声。
でも私の記憶にあるお優しかったお声ではなく、もう私を他人か下の存在にしか見ていないような蔑んだ怒鳴り声──。
私はそっと扉を開けて声がした方を伺ってみる。
すると、ラウンジで伯母様と旦那様が話しているのが見えた。
「伯母様!?」
私は急いでドレスの裾を持ちながら二人のもとへ駆けつける。
「エミリア!」
旦那様は立ち上がって私に近寄ると、そのまま腕を強く引っ張る。
「いたっ!」
私の腕は強く掴まれて、彼の爪が私の皮膚に食い込んでいく。
暴力的な彼の本性に私は全く動けずにいた。
その瞬間、旦那様の手に伯母様の扇が振り下ろされ、その反動で私はくっと態勢を崩したが、その体は誰かにしっかりと抱き留められる。
「いってえっ!」
旦那様の悲痛な叫び声が響く中、私はハッと顔をあげた。
整った顔立ちに氷のような鋭い目つき、長身で長い髪を一つに束ねた彼は旦那様をじっと睨んでいる。
「あなたは……」
私の問いの答えを教えてくださったのは伯母様だった。
彼女は真紅のドレスをさっと整えると、はっきりと塗られた唇を開く。
「エミリアの旦那様、あなたエミリアに戻ってきてほしいっていったわよね」
「……ああ、それの何が悪い! エミリアは私のものだからな! それにこいつは俺に惚れてる! 戻ってくるに決まっているだろう!」
その言葉を聞いて吐き気がしそうだった。
どうしてこんな人を好きになってしまったんだろう。
一時でもこの人へ想いを寄せて、この人のために生きようとしてしていた自分が馬鹿に思えた。
思わず悔しさで唇を噛んでしまう。
私の唇にはわずかに血が滲んでしまっていて、そのことに私を抱き留めた方が驚く。
「あなた……」
見目麗しいその方の呟きが私の耳に届いた。
そして、彼は私の肩をしっかりと抱き寄せると、旦那様に向かって牽制する。
「この方は私の大事な人だ。それ以上、この人を苦しめたら私が許さない」
見ず知らずにお方が私のために一芝居打ってくれているとすぐにわかった。
そのご厚意に喉の奥がツンとするのを抑えて、私は旦那様に……いえ、クズ男に反撃する。
「帰ってくださいっ!」
「なっ!」
「もう私はあなたの妻じゃない! それに、あなたの『もの』でもない! もう関わらないでっ!」
私の言葉に腹を立てた彼が私に殴りかかってこようとした時、見目麗しい方が彼から私を守るように避ける。
そのままひらりと身を翻して、クズ男の頬に拳を打ち込んだ。
「ぐはっ!」
大きな音を立てて床に倒れ込んだクズ男は、よろめきながら起き上がって私の名を呼ぶ。
「エミリア……お前、こんなことをしてただで済むと……」
「それはこっちのセリフなんだよぉ!!」
クズ男が全てを言い終える前に、なんと伯母様が彼の顎を下から殴りあげた。
「可愛い姪っ子傷つけて、これで済むと思うか!?」
伯母様は続けて二発ほど彼のお腹に拳を打ち、最後にドレスをひらりと舞わせながら蹴りをお見舞いした。
「ぐほっ!!」
伯母様は動かなくなったクズ男を見下ろして、彼の頭の真横にヒールを踏みつけた。
「ひいっ!」
「これに懲りたら二度とこの子に近づくな、この最低クズ夫野郎!!」
「す、すみませんでしたっ!!」
クズ男は伯母様の剣幕にやられたようで、屋敷を飛び出して逃げ帰っていった。
「ふう。エミリア、大丈夫だった?」
「は、はい……伯母様も相変わらずさすがのお手前で……」
「ふふんっ! 腕は衰えていないわね!」
伯母様は実は魔物を素手で退治したことがある伝説の人。
村で彼女に敵う者はいないが、貴族から婚約は申し込まれないだろうと言われていた矢先に求婚してきたのが、義理の叔父様であるこの屋敷の当主。
それはそれは親戚中驚いたものだが、思わぬ形で今でもその腕は健在と知ることとなったものだ。
「でも、クズ夫またなんかやってくるわよ」
「え……」
「大丈夫よ、その時のためにこっちはこっちで策を講じるわ、ね、エル!」
「はい、ヴァイオレッタ様の命とあらば」
私を助けてくれた方はそう言うと、そっと私の体を解放した。
「では、『策』については私にお任せください」
それだけ残して彼は早々に立ち去ってしまう。
その凛とした後ろ姿を、私はじっと見つめることしかできなかった。