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悪役令嬢の娘の母親としてモブ中のモブに転生したけれど、家族に冷遇されていたので全員まとめて見返して、今さらすがられてももう遅い話

作者: 結城斎太郎

「――あら、またお客様?」


重く開かれた屋敷の扉の向こうに立っていたのは、懐かしい顔だった。だが、懐かしさなどとうに風化している。私の心に湧いた感情は、冷たい無関心だけだった。


「……レティシア、久しぶりだ」


「その名で呼ぶ権利が、あなたに残っているとは思いませんけれど」


目の前の男――アルベルトは、困ったように眉を下げる。彼は私の夫だった。形式的に言えば、まだ夫かもしれないけれど、情としては何年も前に終わっている。


レティシア・フォン・クラウゼン。かつての私の名前。


いや、正確には――。


「転生者だった私が、まさか“悪役令嬢の娘の母親”という原作に一瞬しか出てこないモブ中のモブに転生するなんて思わなかったわ」


そう、これは乙女ゲームの世界。その悪役令嬢であるアナスタシアの母、すなわち私が転生したのは、物語開始時点で死亡済み、登場すらせずに扱われていた“空気な存在”だった。


でも、どうやらこの世界、ゲームのシナリオとはだいぶ違っていた。


――だって、私は死んでいないし、なにより夫と娘に冷遇されまくってるなんて、設定にはなかったから。



「お前のような凡庸な女に生まれてきた娘が不憫だ」


「母様、邪魔だから話しかけないで」


結婚当初から夫アルベルトには愛されていなかった。いや、政略結婚だったから、最初から期待はしていなかったのだ。でも、まさかここまで無関心でいられるとは思わなかった。


それでも私は、夫の冷たさを無視して娘を愛し育ててきた。アナスタシア、金の巻き髪と深紅の瞳を持つ娘は、美しく、気位が高く、誇り高い少女だった。


――だが彼女も、やがて私を必要としなくなった。


貴族社会で育った彼女には、地味で家柄も低い私の出自が恥ずかしかったのかもしれない。いつしか口もきかなくなり、社交界ではまるで他人のような顔をされるようになった。


でも、私は腐らなかった。


むしろ、笑った。


(ああ、これはチャンスだ)


原作を知る“転生者”である私は、彼らがどんな未来を迎えるか、知っている。


だから、私はその“未来”を修正した。


――娘が没落し、婚約破棄され、国外追放になる未来など、見たくなかった。


だから私は、離縁状を置いて家を出た。娘のためでも夫のためでもない。ただ、自分のために。


そこから五年。私は領地に戻り、農業改革と商業開発でクラウゼン領を豊かに変えた。民は笑い、子どもは学び、領民からは“聖母レティシア様”などと呼ばれている。皮肉なものだ。かつて誰からも“無能な妻”と罵られたこの私が、今や中央貴族も頭を下げる存在となっているのだから。



「レティシア、頼む。この娘を、アナスタシアを助けてやってくれ!」


土下座までして懇願するアルベルトの後ろに、娘の姿があった。


社交界での発言の失敗、王太子との婚約破棄、そして断罪イベント。


すべて原作通りだ。いや、私が手を離してから、原作に引きずられたというべきか。


「……助けを乞うには、随分と都合のいい親子ですね」


「母様……!」


涙ながらにすがるアナスタシア。その顔は、私が知る傲慢な悪役令嬢のそれではなく、ただの一人の少女のものだった。


私が、ただ一人愛した“娘”の顔だった。


「本当は、あなたに幸せになってほしかった。ただ、それだけなのよ」


私がそう言うと、アナスタシアはその場に崩れ落ちて泣いた。


私は静かに彼女の肩に手を置く。


「帰りなさい。そして、あなたの罪を償いなさい。償った先に、未来があるのだと知りなさい」


「……はい、母様……っ!」



その後、アナスタシアは一から使用人として修道院で働き、慈善事業に身を投じる道を選んだ。王太子との関係は完全に終わったが、新たに彼女を理解しようとする青年貴族も現れたらしい。


そして――。


「……これでようやく、肩の荷が下りたわ」


私、レティシアは、静かにカップに口をつけた。窓の外では、今日も子どもたちが走り回っている。


あの時、見捨てたわけじゃない。


ただ、手を放しただけ。


誰かを救うためには、時に厳しさも必要だと知っていたから。


「幸せ、か。ようやく、手に入れたわね」


誰にも期待されなかった“モブ母”が、全てを覆して辿り着いた、遅すぎた幸福。


だが、遅すぎたとしても――


これが、私の物語の終わりであり、始まりなのだ。


 


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