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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
1章.宵闇の一輪華
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幕間.親子

2025.07.20 序盤の描写を若干改変しました。

「やはり、朝はまだまだ冷えるな…」

 朝露の煌めく継寂乃杜つぐなきのもりの境内。清澄な空気が、年季の入った身体に心地よく染みわたる。ここ継寂の当代宮司である天野泰然あまの たいぜんは、早朝の散歩に出ていた。


 泰然は社務所の2階に、自身の家族を含めた住居を備えている。その為別に早起きをする必要などないのだが、昨晩は書類業務をすべて終えられなかった。

 その残りを処理するために早起きをしたものの、思いのほか早くに片付いてしまったのだった。社務所を開くまで、まだまだ時間がある。

 時間潰しと身体を起こす目的を兼ねて、境内をぐるりと歩き回ってみようと出てみたのである。


 それが良い偶然を引き合わせたのだろうか。境内の入口へ差し掛かると、息子である樹希いつきが早くから掃き清めをしていた。

 久々にゆっくりと話せる。そう思い、泰然は息子に声をかけた。

「おはよう樹希。今朝も早くから精が出るね」

「おはようございます。神主さんこそ、今日は早いね」

 樹希の「神主さん」呼びに、一瞬言葉が詰まった。やはりか、というわずかな落胆が泰然の胸ににじむ。とはいえいつもの事だ。胸をチクリと刺すその感情にも、大分と慣れたものである。泰然はおくびにも出さず返した。

「ああ、なんだか今日は気分が良くてね。柄にもなく散歩をしてみようとね」

 樹希はたしかに泰然の息子ではある。しかし厳密に表現するならば、彼と泰然は血縁関係にない。


―――


 ある日泰然は、神社の入り口に、生まれたばかりであろう赤ん坊が捨てられているのを見つけた。

 薄い毛布に包まれ、泣くこともなく震えるその子は、ゆりかごとも呼べない粗末な段ボールに入れられて、鳥居のそばに捨て置かれていた。

 なんという仕打ちを…泰然はその光景に憤慨を覚えながら抱き上げた。ふとその子供の懐から、一枚の紙切れが落ちた。手紙だ。

 『いつか必ず迎えに行きます。それまでどうか、この子を預かってください』。そのメッセージを読んだ泰然は、何か深い事情があるのだろうと察した。所々に水滴の落ちたような跡の残る手紙を持つ泰然は、抱えた赤ん坊とその親に対して憤りよりも憐憫の情が勝り、その子を引き取り育てる事にした。


 その子には名前がなかった。杜を冠するこの神社と縁を結び、それが彼の新たな希望となってほしい。大樹のように逞しく、そして優しい人間になってほしい。そう願いを込め、泰然は彼を樹希と名付けた。

 樹希は聡明で、そして好奇心に満ちていた。周囲の人の機微に敏感で、その裏に潜む感情や事象を知りたがった。

 しかし決して、ある一線を超えようとはしなかった。その距離感を測るのが絶妙に上手だった。泰然はいたく感心したが、子供の時分からそのような芸当ができる彼を、気味悪く思う者もいただろう。


 事実、樹希の歳を知ってか知らずか、すれ違いざまに「拾われた子」「捨て子」などという単語が聞こえてくる事は何度もあった。

 樹希本人は涼しい顔をしていたが、内心ではどう感じていたのか。今でも分からない。

 そしてこの悪意は、後に樹希と泰然にとって、取り返しのつかない事態を招く事となった。


 泰然には、樹希とは別に、血の繋がった息子がいる。現在権宮司として自分の補佐を務めさせている、耀(あきら)だ。

 樹希を拾った翌年に生まれた、1歳違いの弟である。活発な子で、樹希ほどでないにせよ彼も周囲をよく観察する子どもであった。


 2人を比べた事はない。育てるにあたってどちらかを優遇したり、まして出自の違いで差別をした事など、少なくとも自分や妻の中では一切してこなかったつもりだ。

 どちらも本当の息子として扱ったし、非行や犯罪に手を染めることなく成人してくれた事実はその結果だと、今も思っている。

 そんな樹希と耀は仲が良く、よく境内を2人で遊びまわっていた。耀が悪知恵を働かせて、樹希はそれに意気揚々と乗っかり、2人の息子をよく叱りつけたものだ。


 そんな2人でも、いやそんな2人だからこそ、よく喧嘩をする事もあった。理由はいつも些細な事だった。おやつの量が均等でなかった。拾った木の枝がわずかに長かった。奉仕のお手伝いをより頑張った。

 競い合いといっても差支えない、本当に些細な理由だ。あの日もそうだった。


 ある日の昼下がり、社務所の裏口で大きな口論が聞こえてきた。樹希と耀の喧嘩である。互いに手に持っていた虫かごを見る限り、今回は捕まえた虫の数で競ったらしい。

 どちらも必死だったのだろう、腕や足にいくつもの小さな傷を作った2人は、自分の真似をした、邪魔されたせいだなど、言い合っている。

 飽きもせずに元気な事だと、泰然はその様子を微笑みながら眺めていた。

 その瞬間は、前触れもなく訪れた。


「捨て子のくせに、チョーシに乗るなよ!」

 世界が動きを止めた。今、息子はなんと口走った?脳が理解を拒んだように、その問いが泰然の頭を何巡も駆け巡った。

 次の瞬間、泰然は耀を怒鳴りつけていた。後にも先にも、あれほどの声量で息子を叱った事は、この時を除けば一度もない。

 お前は自分が何を言ったのかわかっているのか。樹希が、兄がそれを聞いてどう感じるか、考えたのか。

 必死に大声を出さなければ、今度は手が出てしまいそうだった。愛する息子に。そうして叱りつけるさ中、もう一人の息子に目をやった。

 ……その時の表情は、一時たりとも忘れた事はない。


その夜。2人の息子は険悪な空気を互いに纏わせながら、食卓についていた。

 妻はいつもの喧嘩でしょうと言っていたが、内心はどうしたものかと考えあぐねていたに違いない。そのような妻だから、詳しい事は話さずにおいた。

 ほとぼりの冷めやらぬ内に聞けば、深く思い悩んでしまっていた事だろう。

 喧嘩は泰然の仲裁によって、耀が樹希に謝る形で完結した。黙って頷くのみの動作で受け入れた兄はしかし、受け入れざるを得なかった、と表現する方が正しかったのかもしれないが。

 夕飯の時刻が訪れても、2人は黙りこくったまま、機械的に食事を進めていた。そんな中、テレビでは大自然をリポートする番組をやっていた。


 天野家では、食事の場ではテレビを点けない事が習慣であった。別に点けていても構わないのだが、泰然としては家族で会話に花を咲かせたかった。

 しかしこの日はあまりにも重苦しい空気に耐え兼ね、2人の気が紛れるようにと気を利かせたつもりだった。今になって思えば、その判断も間違いだったのかもしれない。

 番組の中で、リポーターはとある大木に引っ付いた、緑色の蔓の群に目を付けた。雄々しくそそり立つその木に不釣り合いな色彩をしたその塊は、寄生植物というらしい。自分では栄養を得られず、他の動植物の栄養を奪って生きる植物――自らの生命活動を宿主に依存しきる事で淘汰を乗り越えたその植物たちを、テレビはグロテスクに解説していた。

 嫌な予感がして、泰然は樹希に目をやった。案の定、彼の視線はテレビに釘付けになっていた。

 最悪。出来事も、思慮も、タイミングも、何もかもが最悪だった。これほど、今日という日を表現する言葉として最適なものはないだろう。番組が終わると同時に樹希は立ち上がり、部屋へと引っ込んでしまった。

 翌日、泰然は「神主さん」になっていた。


―――


「そういえば、今日はご供養の依頼が何件かあったね。狐巫女殿も忙しくなりそうだ」

 長い長い回顧を経て、泰然は当たり障りのない業務連絡を告げた。時間にしてみれば一瞬であろうが…これ以上感傷に浸ってしまえば、樹希は私の心配をしてしまう。もしかすると、内心では既に気づいてしまっていて、それを表に出していないだけなのかもしれない。

「そうだったっけ。じゃあ準備、手伝ってやらないと」

「そうしてやりなさい。さあ、私もそろそろ社務所へ戻らなければ」

 泰然の心配をよそに、樹希の返しは穏便なものだった。

 内心ほっとしつつも、これ以上長居して悟られてしまっても困る。頃合いもちょうど良いと見た泰然は、半ば息子から逃げるようにして、社務所への道を歩き出した。


 足を動かしながら、泰然は考える。

(いつか、この子が再び、私を父と呼んでくれる日は来るだろうか…)

 憎たらしいほどに清々しい朝焼けの空へ投げかけた問いに、答えるものはいない。

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