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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
5章.天狐として、人として

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48話.デジタルオーシャン

 神職達の目を盗み、無事に木津根きづねの駅まで到着した宵華ゆうか。「すまほ」をかざして改札を通り、電車に乗ったところで、後悔の念が彼女を襲っていた。

「私、一体何がしたいのかしら…」

 窓に頭を擦り付けて独りごちる。泰然の入院に動揺し、自分の記憶の曖昧さに恐怖したかと思えば、たかだか一晩の優しい夢から天啓を得た気になり、しかしコロコロと心変わりする自分が恥ずかしくて神社から逃げるように街へ赴こうとしている。あまつさえ洋服の組み合わせに悩んだり、姿見の前でくるくると回る自分を思い出し、羞恥に顔が茹だったようになって消えたくなった。

 同時に、遠い昔にも同じような事で悩んでいたなと思い出す。あの頃も、着物や帯の柄を半日かけて悩んだり、合っているかと友人や恋人にしきりに尋ねていた。

(顔も姿も覚えてないのに、自分の事なんかは覚えてるのね)

 過去の回想に自嘲の笑みが漏れた。

 泰然が病に倒れてから、不思議な事ばかりが自分の中に起きている。今だって、昨日はあれだけ恐ろしかった自分の記憶の風化と、別になんでもない物のように穏やかな心持ちで向き合えている。

 まるで自分という生き物は、外で絶え間なく移ろう景色のようだ。あるいは、この電車だろうか。揺れる尻尾に気付いて手をやるが、どうせ気にする人間などいないだろう。そんな事よりも、この心境の変化を解き明かす事の方が自分には重要だ。

 その思考とは裏腹にとりとめもないことを考えていたようで、気付けば目的地に着いていた。目的地とは言っても目的もあてもないのだが、他に知る土地もないので降りるだけだ。


 駅を出ると、まだまだ日も高いというのに音と光、そして人が五感を埋めつくした。相変わらず、この街という場所は情報に溢れている。

(よくこんな所にいて疲れないわね)

 これでもかと主張してくるそれらからは、宵華自身に向けられる意思は感じられない。行き交う人々も、よく見ると思い思いに着飾っておきながら、自分は手に持つ機械に釘付けだったり、脇目も振らずにまっすぐ歩いていく者ばかりだ。


 ぼんやりと眺めていると、肩に小さな衝撃。次いで舌打ちが聞こえた。振り返っても人の波が見えるばかりで、誰の仕業なのかも分からない。

(みんな目先の事で必死なのね)

 思うに、現代というこの時代で生きるには、荒れ狂う情報の海から必要なものを取捨選択し、他は締め出す技術が肝要なのだろう。忙しい世界になったものだと思う。

 しかし今の宵華には、それくらい忙しい方が良いのかもしれない。考える余裕もない方が、昨晩のように負の感情に飲み込まれずに済みそうではある。

 それよりも当面の課題としては、いかにぶつからず流されず、この人波の中で自分の進路を確保するかだ。

(と言っても、どこに行こうかしら)

 娯楽施設はうるさいし、そもそも気が向かない。買い物も食事も同様。となると、思い当たるのは一箇所しかない。

「事務所は…たしかこっちね」

 宵華は箕山みのやま事務所へ向けて、ゆらりと足を動かし始めた。


 歩き出してわずか数分、街中をひとりで歩くというのは非常に難しい事を宵華は実感していた。

(すぐそこに目印があるって言うのに…)

人が多いせいで目の前が見えないし、そうでなくとも皆の足が速すぎてすぐに流されてしまう。

「ちょ、ちょっとごめんなさい…きゃ!」

 下手に割り込もうとするとぶつかられてしまい、何度かは転けそうになった。樹希いつきはよくこんな環境で生活できていたものだと思う。

 ほうほうの体でなんとか壁際まで寄り、ようやくひと息つく事ができた。神事で消耗する何倍も疲れた気がする。

「ええと…どこに来たんだろう」

 息を整えて見回すが、どうにも見覚えのない場所に流れついてしまったらしい。そもそも似たような建物が多すぎて、どこも同じ景色に見えてしまう。

 駅からは、以前樹希と行った家電量販店が見えており、目指す事務所はその脇道に入ったところにあったと記憶している。無駄に目立つタヌキのマスコットを目印に歩いていたのだが、今いる場所からはそれが見当たらない。

「困ったわね…」

「耳がステキなお嬢さん、なんかお困りでっか?」

 途方に暮れる宵華にかけられたひょうきんな声。驚いて声の方に向き直ると、ご機嫌そうに揺れる尻尾とその持ち主が立っていた。

「宵華さん、お久しゅう」

「…和真かずまくん!」

 思わぬ助っ人の登場は、宵華の顔を綻ばせるには十分だった。

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