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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
5章.天狐として、人として

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46話.すれ違い

 宵華ゆうかの様子がどこかおかしい事には気付いていた。泰然たいぜんの搬送を見送った、均整の取れた彼女の顔は明らかにかげっており、言葉にも覇気がない。泰然の入院で感情を揺さぶられるほど、宵華が彼を意識をしていた事は驚きではあるが。

 ともかく心配はしていた。別れというものにひどく敏感な宵華の事だ、何を思っているか察するに余りある。が、タイミングが悪かった。

 泰然の入院を田中夫婦に連絡した際、地鎮祭は延期する方向で打診するつもりだった。樹希も耀も、立ち会った事はあれど主催した経験はないものの、行程自体は頭に入っている。そして継寂乃杜つぐなきのもりでは、こういった大規模な祈祷を行うのは巫女であり守り神である宵華だ。


 正直、今の宵華に務まるとは考えにくい。無理に敢行して穴のある祈祷となってしまえば、神社としても立つ瀬がない。既に無理を言っている手前頼みにくいが、やはり日を改めてもらうのが双方にとって損害は少ないだろう。

 というのが樹希の考えではあるのだが、そう上手くはいかぬのが世の常なのだろうか。

「そんな事を言われても、私らも何とかかんとか日程を捻り出したんです。神主さんには申し訳ないが、そこはおたくらに頑張ってもらわないと…」

 予想していた事ではあったが、田中さんの息子夫婦は頑なであった。ご両親の柔和さから、きっと融通してもらえるだろうという甘い考えを持っていた数分前の自分を、樹希は恥じた。

「分かりました、最善を尽くします。ええ、到着は正午を過ぎる程度になるかと…はい、ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」

 通話が切れた事を確認して、樹希はため息をついた。延期になればなんとか宵華の気持ちを宥めて、万全の態勢で地鎮祭に臨めたのだが。

「どこかで時間をぬって、宵華の話を聴いてあげないとな…とにかく、今は依頼をきちんとこなさなければ」

 思考をスイッチさせ、樹希は耀へ電話をかけた。


 現地では、意外にも宵華は冷静を取り戻していたようだった。藍暁あかりが同乗していたというハプニングも、おそらくは彼女に良い影響を与えてくれたのだろう。

 それでも宵華の硬い表情は変わらなかったし、土地の外れに建つ祠を前にして何を思っていたのかなど、気になることはあった。それでも樹希の心配をよそに、宵華は無事に地鎮祭をこなしてくれた。

 いや、厳密には宵華は本調子ではなかったのだが。祝詞はどこか流麗さに欠け、普段であれば周囲を包んでいたであろう静謐せいひつな空気は感じられなかった。ただ形式的には問題なく進み、終わってから嫌な空気感がなかった、という意味では無事に終えられたと表現して差し支えないはずだ。


「いや、ありがとうございます。電話口で断られそうになった時はどうしようかと思いましたが、流石親父達が紹介してくれた方々だ。本当にありがとう」

「いえ、そんな大袈裟な…こちらこそ予定を狂わせてしまいまして…」

「それにしても貴方、お若いですね!僕らよりも一回りくらい下じゃないですか」

「ええ、まあ」

「すごいなあ、それでこんなに立派にされてるなんて。いやあ見習いたいものですよ」

 そんな宵華をひと言でも労いたかったのだが、樹希は息子夫婦につかまってしまい、その応対に追われることとなってしまった。耀あきらは撤収作業で忙しそうだし、宵華は藍暁と話をしていてこちらに気付いていない。もどかしい思いのまま、話好きなのだろう夫妻の言葉の奔流を一身に受けることになってしまった。


 そんな風にして、宵華とはゆっくりと話をする機会に恵まれない日だった。もちろん今日のようにイレギュラーな事態が起きたり、そもそも忙しくて休憩もできない日はあるのだが、よりにもよって今日でなくてもいいだろう。樹希は叫びたい気持ちを堪えながら、今日の書類をまとめていた。

「宵華は、もう帰ってるんだろうか?」

 それとも小酒館しょうしゅかんか?と独りごち、固まった肩を回しながら、宿舎へと帰る準備を整えていく。

 藍暁は地鎮祭が終わり次第、去っていった。もともと向こうで用事があったついでという事で同乗していたが、それにしてもあっさりしたものだ。

 姉に何か一言ないのかと問いはしたが、

『私からは何も言えないわ。同じ立場なら、多分お姉ちゃんと同じ気分になる…天狐ならきっと誰でもそうね』

 と、ひどく寂しそうな横顔を見せられた。


そんな風に今日の事を考えていると、いつの間にか小酒館の前に来ていた。気付かなかったのは、いつもなら酒盛りをしている奴のせいで点っている照明が、今日は点いていなかったせいもあるに違いない。

「まさかいないよな…」

 一応中を覗くが、館内は静寂と暗闇で埋め尽くされており人の気配はない。あまり長居をしたいとも思わず、樹希はさっと宿舎への道へ向き直った。


「ただいまー…宵華ー?」

 宿舎に着いて出迎えたのは、またもや暗闇だった。正確には、常夜灯が灯っているので薄闇程度なのだが、いずれにしても活動的な空気ではない。しかし玄関に宵華の履いている靴が並べてあったのを見たので、居るには間違いないはずだ。

 わけもなく忍び足で廊下を進み、とりあえず荷物を置きたいと自室に入る。照明を点けると、なぜか敷かれている布団が視界に入った。

「あれ?」

 毎朝片付けているのだが、今朝忘れていたのか?と自問自答するが、やはり片付けた記憶しかない。考え込んでいると、ふと後ろに気配を感じた。微かに鈴を転がす音も聞こえるので、宵華で間違いないだろう。

「ゆう…んむっ!?」

 振り返るや否や、顔は押さえられ口が柔らかな感触で塞がれた。咄嗟とっさの出来事に気が動転するうち、あえなく押し倒されてしまう樹希。頭を揺さぶられる不快感から立ち直ると、犯人はやはり宵華だった。


「宵華、一体何を…」

 問いただす前に、口付けで再度口を塞がれてしまう。ぬらりとした異物感が口腔内に侵入し、遅れて宵華が舌を絡めてきたのだと理解する。しかしその理由が分からず、樹希の中から疑問符が絶えない。普段なら興奮のひとつでもするであろう艶かしい行為だが、この瞬間ばかりは戸惑いと一抹の恐怖を感じてしまう。

 混乱している樹希をよそに宵華は顔を離し、するりと身にまとった寝間着をはだけた。真白い、陶器のような柔肌が、廊下から様子を窺う暗闇と相まってひどく映えている。

「抱いて、樹希…」

 小さく呟く宵華が、樹希の手を取り自分の胸に押し当てさせた。豊かな双丘の片割れが掌に柔らかく吸い付く。

「ま、待て宵華!」

 先程のキスから立て続けに身体を襲う柔肌の感触に侵されそうな理性を必死で働かせ、樹希なんとか彼女の狂行…そう言って差し支えないであろうその行為を制止した。

「宵華、一体どうしたんだよ?いきなりこんな…」

 宵華の肩を掴み問いただそうとした樹希は、最後まで自分の言葉を紡げなかった。上気した宵華の頬に幾筋かの涙が伝っており、言葉を失ってしまったのだ。

 樹希が唖然あぜんとしている間に、宵華はさっさ衣服を正して立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとした。それを慌てて樹希が呼び止める。

「ゆ、宵華!」

「ごめんなさい…今日は一人にさせて」

 小さく、しかしはっきりとこちらを拒絶するその言葉に、樹希は宵華に追いすがるという選択肢を奪われてしまう。

 樹希は手を伸ばしたまま、廊下に広がる漆黒へと宵華が飲み込まれていくのを、「今日は」という言葉を信じて見守るしかなかった。

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