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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
1章.宵闇の一輪華
5/43

4話.孤独の若木

2025/08/23 描写を一部追加・変更しました。

「ねえ樹希いつき…」

 グラスに湛えられた酒を一口、飲み下して宵華ゆうかは呟いた。その声に、樹希は彼女に目を向ける。

「私は…いつまでここにいればいいのかな…?」

 樹希を見つめて発せられた声は、微かに震えていた。その様子から、言外に彼女が孤独を恐れている事は何となく察せられる。

 物心ついた頃には、樹希は継寂乃杜つぐなきのもりに暮らしていた。その頃から宵華は姿を全く変えていない。彼女がその身にどれほどの生命力を宿しているか、樹希には想像もつかないが…これまで彼女は、幾多の出会いと別れを繰り返したのだろう。

 無論、今日の出来事が初めてというわけではないはずだ。しかし今回の訃報によって、幾たびも傷を負った彼女の感情が溢れ出てしまったのであろう事は、樹希とって想像に難くなかった。

「宵華…」

 しかし、彼女の心中を察する事はできても、容易な慰めの言葉をかける事ができない。目の前で震える天狐てんこからすれば、自分の寿命はあまりにも短い。

 いずれ先立つ運命にある自分の言葉が、彼女の心を救ってやれるとは到底思えない。むしろ、軽々しく慰めの言葉を吐き出して、彼女の傷を抉ったらどうするというのだ。

 やるせない思いが顔に表れていたようだ。樹希を見つめる宵華が、取り繕うように笑った。

「…ごめんね?いきなりこんな事言われても困るよね」

「いや、そんな事は」

「でもね。長生きもね…時々辛いの」

 力なく垂れた尾が小さく揺れる。この神社において、真に彼女の心中を理解できる者はいない。しかしながら、やりきれない思いを抑えて諦めるには、人形の持ち主の一件は重すぎたのだろう。取り繕った笑みはすぐに消え、飲み込もうとした言葉は震える口から漏れ出た。


━━━


 樹希と宵華の出会いは、樹希が小学生にもならない頃にさかのぼる。その頃の樹希にとって、宵華の纏う雰囲気は冷たく、近寄りがたいものだった。樹希の幼い心には、その表情の乏しさや、遠い目をする姿がただただ恐ろしく映っていた。神社の手伝いをする際や、境内で遊ぶ時にすれ違っても、目を合わせないよう通り過ぎるのをひたすら待った。


 しかしある日、境内の外れで遊んでいた時に、その辺に自生する山の幸に夢中になっている宵華を見かける事があった。茸や山菜を嬉々として口に運ぶ彼女は、普段の恐ろしい様子からは想像もつかないほど無邪気で、まるで自分と同じ幼い子供のように、目を輝かせているのだった。

 その予想外の姿の何に惹かれたのかはもう覚えていない。しかしこの時の樹希は強い衝撃を受け、同時に彼女に対する抗いがたい興味を抱く事となった。


 明くる日、意を決して宵華に声をかけると、驚きや戸惑いの表情を浮かべながらも、樹希の手を引いて、一緒に山へ連れて行ってくれた。にべもなく断られると思っていた樹希には、予想外とも言えるその反応がどうしようもなくうれしく、宵華に対する恐怖の感情は既に消えていた。

 その日を境に、樹希は毎日のように宵華と接するようになり、いつしか彼女に好意を抱くまでになっていた。年を経るごとに、初対面の時のような浮世離れした表情は減っていき、代わりに自分だけには柔らかな表情を見せてくれるようになった。その事実が、樹希の心を満たしてくれたのだ。


 しかし、いつからか宵華が見せるようになっていた深い孤独や寂寥せきりょうの感情に、心を締め付けられる事もあった。ある時は古びたアルバムを眺めて静かに涙を流し、ある時は倉庫から持ち出したのであろう古い品々を縁側に眺め、それらを寂しそうな目で見つめていた。そんな彼女の姿を見る度、自分も捨て子であった事を思い出した。

 物心つく前からこの神社に住まい、神社の手伝いをしていた。小さい頃に一度、泰然たいぜんに尋ねた事がある。自分は新生児の頃に神社の鳥居に捨てられていたそうだ。その事実が浮き彫りになったところで、泰然は息子同然に接してくれたし、今もそれは変わりない。しかし樹希の心の奥深くには孤独の二文字が強く根付く事となってしまった。ふとした瞬間に顔を見せる、天野家に居座る自分という異物感と、頼んでもいないのに顔を出す強い孤独感。それは幾度も、樹希の心を苛んだ。

 あの暗い感情が湧き上がるたび、宵華が深い孤独を垣間見せるたび、彼女の姿に自分を何度も重ね合わせるのだった。


━━━


 さらされた時間は違えど、宵華の苦痛を樹希は理解できる。そして彼女のそれを見過ごすには、今の樹希では若すぎた。

 無責任がどうしたというのか。自分の言葉はその場凌ぎでしかないのかもしれない。しかしその「その場凌ぎ」こそ、今の彼女が求めているものではないかとさえ思える。

「宵華…俺には、お前の気持ちを分かってやれない。ただ、俺が生きている間くらいは、笑っていてほしい」


 幾度も同じような会話をし、その度に傷つけまいと飲み込んできた言葉。寂寞せきばくとした彼女の心は満たせないと、胸の内にしまっていた言葉。あまりにも沈痛な彼女の表情に、思わず口をついて出てしまった。

 樹希の言葉に、宵華はわずかに目を見開き、ピクリと耳を動かした。その瞬間、銀鈴が優しい音を奏でた。

「樹希…」

 ハッと口元を押さえ、目を逸らす樹希の様子に、宵華が小さく吹き出した。その顔に影を落としていた悲しみは、幾分か鳴りを潜めていた。

「そうね。…うん、樹希がそばにいてくれれば……私はちゃんと笑っていられる」

 金色の瞳が樹希をまっすぐにとらえた。潤んだ瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えながらも、樹希も見つめ返して微笑んだ。金色に染まる小さな自分の柔らかな笑顔が見えた。

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