44話.ひどい顔
「ごめん、だいぶ長くなっちゃったよ。田中さんの息子さん、少し時間を遅らせてもいいって。それから父さんの事を伝えて、代わりに俺と耀が同伴する事になった」
「そうか。耀にはもう言ってあるね?」
「うん、それで諸々中途半端だった準備を整えて、こっちに向かってくれてる。到着次第、宵華と一緒に行ってくるよ」
宵華が口を挟む間もなく話が進んでいき、それにうまくついていけない気になる。わが身を押しつぶさんとのしかかってくる不安感を抱いている今の宵華には、仕事の話に入っていく心理的な余裕がなかった。
なにより、樹希が今の宵華の気持ちを推し量ってくれない。その事が宵華にはショックだった。思わず縋るような目で樹希を見てしまうが、気づかれる前にすぐ目をそらした。先方にも都合というものがあり、アクシデントとはいえこちらはその都合を曲げさせている立場である。いくら心の余裕がなくとも、優先すべきは依頼主である事くらいは理解している。神社の顔として、私情を挟むことはできない。
必死に取り繕おうとする宵華の内心を知ってか知らずか、樹希は「…大丈夫か、宵華?」と気づかわしげに尋ねる。よほど顔や身体に表れていたのだろうか、自分を見つめるその顔はいかにも心配していますと書いてあるようだった。
今さらそんな風に、と憎まれ口の一つでも出そうになるが、所詮は自分の気持ちの問題だと何とか堪え、小さくうなずく。
「大丈夫。泰然が倒れたので少し驚いているだけよ。依頼を受けた以上はちゃんと仕舞まで務めを果たさないと」
我ながらうまく誤魔化せたと思う。どことなく腑に落ちない様子ながらも、「それならいいけど…」と口ごもる樹希の手を引き、病室の扉に手をかける。その時、後ろから泰然が声をかけた。
「宵華殿。畏れ多くも貴女には気の重い事を申し上げたかもしれません。しかしこれが転機とならんことを願います」
宵華はその言葉に返事をせず、振り向かないままに部屋を出た。扉をピシャリと閉め、大股で病院の出口を目指す。今は泰然の顔も、樹希の顔も見たくなかった。いや、自分の顔を見せたくなかった。
きっと今、私はとても情けない表情をしている。
病院を出ると、神社で管理している大型バンが到着していた。運転席の窓が開き、耀が顔をのぞかせる。
「おまたせ。ナビも設定してあるから、2人とも乗っちゃってよ」
堆く積まれた後方の荷物に目をやり、「悪いな、準備大変だったろ」と声を掛けながら乗り込む樹希。宵華もその後に続く。ふと助手席の方に目をやると、座面の辺りから細い尻尾がひょっこりと出ていた。
「え?」
ふらふらと揺れるそれを前に、思わず間抜けな声を出して視線を上げる。席に座っているのは、天狐の藍暁だった。
「やっほー、お姉ちゃん。お邪魔してるよ」
にこやかに手を振る藍暁。予想外の闖入者に開いた口が塞がらない。樹希も同じ気持ちのようで、「な、な、なんで?」とどもりながら尋ねている。もはや泰然が入院した事よりも驚いているようにさえ見えた。
「お姉ちゃんが元気にしてるかなー?って思って神社に来てみたら、なんだか面白…じゃない、大変な事になってるじゃない?ちょうど暇だったから顔出そうと思って」
神主さんは大丈夫そうで良かったねぇ、と誰にともなくこぼしながら、藍暁は手に持ったジュースに口をつける。うっすらと汗をかいており、器用な事に尻尾を使って団扇を扇いでいる。
他人事のような物言いにムッとしたが、藍暁の様子や、泰然の搬送から今までの時間を考えて思いとどまる。耀も彼女にお礼を言っているようで、荷物の搬入や、もしかしたら病院への根回しなんかも手伝ってくれていたのかもしれない。
「今からお仕事なんでしょ?私もその近くでする事があるから、ついでに連れて行ってよ」
なるほど、その為の手間賃として付き添っていたのだろう。我が身内ながらちゃっかりしている、と苦笑をしつつ、座席についた。
「2人ともシートベルトはしたね?あんまりゆっくりもしてられないから、ちょっと急ぐよ」
依然として宵華の気持ちは暗く重いままだが、藍暁のおかげで心の内に押しとどめられる程度には力を抜くことができた。とにかくまずは依頼だ。曇り空の下、ぬるく纏わりついた空気を車の空調で吹き飛ばしながら、改めて樹希と現地での打ち合わせを進めた。




