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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
4章.縁は異なもの味なもの
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41話.転機

 社務所の前まで来て、そういえば泰然は自分の実母に対してどのような感情を抱いているのだろうかと、樹希は今更な懸念に思い当たった。神社に関して頑固な所以外は基本的にお人好しなのだが、人道に悖る行為についてはその限りではない。

 息子を捨てた杏奈に対してどう出るのか。樹希の心配は結局杞憂に終わった。


「おかえり、樹希。そちらの方はお母様だね?」

 柔和な表情に違わぬ柔らかい口調で、泰然は樹希と杏奈を迎えてくれた。

「お初にお目にかかります。樹希を預かっておりました、天野泰然です」

「息子が、樹希がお世話になっておりました。母の杏奈です。大変長らく顔を出せず申し訳ありません」

「いやいや。事情は聞き及んでおりますゆえ。貴女が謝ることではありますまい」

 深々と頭を下げて謝罪する杏奈の頭を上げさせる泰然の顔には、樹希の心配していた怒りや軽蔑の念は感じられなかった。

 考えてみれば、母が自分を捨てたのはあくまでも自分を父の魔の手から遠ざけ、無事に生かす事を最優先したが為の事。事情を知る者からすれば、非難する理由もないのだった。安堵のため息をついている樹希を横目に、泰然も同じような説明をしていた。


「あ、樹希。帰ってたの。ご母堂との面会は…ああ、恙なくという感じね」

 境内を歩いていた宵華が、社務所内にいる樹希の姿を認め、歩み寄ってきた。

 樹希を社務所のデスクに座らせ、泰然と杏奈は応接スペースで話をしている。これまでの経緯や今後の対応、樹希自身の意向等々、保護者として諸々の事を話している。樹希は既に話すべきことは話し終えているので、一足先に業務へ戻っているという事だ。

「どうだった?彼女との対面は」

「そうだな、会って良かったと思う。さすがに緊張はしたけど、父親の方とは全然違った。優しい人だったよ」

「そう。良かったわね」

 最近の彼女にしてはいやに素っ気ないと思い顔を上げると、口をへの字に曲げて眉尻を下げている。拗ねているように見えたが、力なく垂れる耳と忙しなく揺れる尻尾を見るに、不安そうにしているという印象を樹希に与えた。果たしてその予想が当たっている事は、宵華の問いから分かった。

「…それで、帰るの?」

「宵華?」

「その…彼女の元に帰るつもり?」

 そうか、と樹希は合点がいった。生き別れていた親子が対面し、その仲が良好であれば、その不安も当然というものだ。樹希自身にそのつもりはない事など、面会の場に居合わせていなかった宵華には推し量る術もないはずだ。

「ああ、そのことなら心配ないよ。母さんにも伝えてるけど、俺はこれまで通り宿舎で暮らす。母さんの所へは時々遊びに行くくらいにしておくつもりだ」

 だからそんな不安そうにしないでくれ、と樹希が言うと、宵華は分かりやすくホッとしていた。

 大げさの一言が口をついて出そうになるが踏みとどまった。最近の楽しそうな宵華を見ていて忘れがちになっていたが、物理的か精神的か、生か死かを問わず彼女は別れというものに敏感なのだった。加えて、今は恋仲になって数日と経っていない。自分の事で頭がいっぱいになっていたのが恥ずかしくなった。

「ごめん。結果一緒に暮らすんだから問題ないって、宵華の気持ちを考えてなかった」

「ううん、ありがとう。でも私、樹希がどんな選択をしてもそれを尊重しようと思っていたわ」

 頭を下げる樹希にそう返しながら、手と尻尾を樹希の手に重ねる宵華。軽やかな銀鈴の音が鳴っており、目を向けずとも彼女の耳が喜びを表現している様子が伝わってきた。


「―――それで、私の父から言付かっていまして…」

 そんなやり取りをしていると、杏奈の口から気になる言葉が聞こえてきた。

 樹希の祖父に当たる人物。顔も知らない人の事がなんとなく気にかかった。母と打ち解けたおかげで、親族に対してアンテナが張られたのかもしれない。

 耳をそばだてていると、やおら泰然がこちらに視線を投げた。こっちに来いという合図のようだ。宵華を伴って寄る。

「樹希にも聞いてもらう方が良さそうだったものでな。一度外してもらったのに悪いね」

「それはいいんだけど。結構大事な話?」

 悪い話ではないがね、と前置きした泰然が話すには、樹希の祖父は今回の事件のお詫び、兼樹希を保護し育ててくれたお礼として、継寂乃杜への経済援助を行いたいと申し出てくれたらしい。

「経営難のウチとしては願ってもない話じゃないか」

「うむ…まあそうなんだが…」

  釈然としない様子で泰然は苦笑した。彼は神社の経営と同じくらい金銭面について頑固で、決して人に貸しを作ろうとしない。樹希を呼んだのも、体よく断りたいのだろう。

「でも確かに、小さいとはいえ1つの神社の支援って結構な金額になると思うんだよな。母さん、その辺はどうなんです?」

「いいのよ。娘が言うのもなんだけど、ウチの会社はかなり大きいから。多少の支援なら十分賄えるの」

 そういえば、喫茶店でもそんな話があった気がする。

「それにお父さんは一度言い出すと聞かなくて。天野さん、いかがでしょう?父と息子の顔を立てると思って、支援を受けてくださらないかしら」

「うむ、そう言われると弱いですな…」

 金銭の話に厳しい泰然だが、家族の話になると弱い。結局押し切られる形で宮司は支援を受ける事を承諾し、その金額に驚愕していた。今日は珍しく父の表情がコロコロ変わるなあと思いながら額面の書かれた書類をのぞき込むと、樹希も目玉が飛び出そうになった。宵華に至っては数字に現実味すら沸いていないようだった。


「では、お気をつけて」

「私の訪問を受け入れて下さって、本当にありがとうございました。今後とも樹希を、息子をよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げ、鳥居の外へと歩いていく杏奈を、樹希、泰然、宵華は見送った。傾きかかっている陽が眩しく彼女の輪郭を照らす。

 そういえば杏奈は宵華の容姿について何も言わなかったが、きっと息子との再会の前に、その子の恩人であり恋人である人物の姿形など些末な事だったのだろう。榊原悠介の事が残念極まりなかっただけに、杏奈の寛容さには救われる思いだった。

「しかし、本当に良かったのかい?樹希」

「いいんだよ。俺はどっちかを選んでもう一方を捨てるのは嫌だったから。ちょうど親元離れて暮らしてるんだし、このままの環境で欲張りたい」

 母に言った事と同じことを、父にも伝えた。2回目はスッと口をついて出てきた気がした。

「支援金、何に使おうか?」

「そうだな。まずは神社全体の設備を新調しようか。ガタが来ている所も多い。従業員の給料も見直したいところだな。そのあたりは耀とも相談しなければ」

 耀は、今日は休暇を取って彼女と遊びに行っているらしかった。どうりで見かけなかったわけだ。

「私、自分の洋服をあつらえてみたいわ」

「宵華殿…」

「一応受け取るお金は神社全体のものだから、それは別で出そうか」

 宵華の注文に苦笑しながら、3人で社務所に戻る。終業まではまだ時間がある。事務作業を従業員に任せっぱなしにしている分、取り戻さなければ。

「今日はよく眠れそうだ」

 何かと多忙な一日になったが、今朝の悶々とした気持ちが嘘のように樹希は清々しい気分だった。その顔を見る泰然と宵華からも笑みがこぼれる。こんな気持ちがずっと続いてくれたらいいと、樹希は幼い子供のような願い事を心の中で呟いた。



 泰然が倒れたのはそれから数か月後、春の足音が聞こえてきたと感じた矢先の事だった。

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