37.お友達?
送付されていた警察機関からの書類。封を開け、記載されていた担当支部へ連絡を入れた。礼儀正しそうな若い声に、母との対面の決心がついたことを伝えた。
20数年越しの再会は、想像していたよりも煩雑な手続きがいるらしい。対面の日程調整や、事前に身元の最終確認が必要である等の説明を受けた。早急に連絡をしなかった事で各機関に手間をかけさせたかと思うと、樹希は若干申し訳ない気持ちになった。
ともあれ、順調に話は進んでいく。聞くと、自分の実母であるという榊原杏奈は、樹希との対面にあたって専門家の同席は必要ないとしているらしい。こちらの身元確認には泰然の協力が要りそうではあるものの、外部機関とのやり取りが増えることはなさそうだ。
警察から母親との連絡先交換を提案された際、言葉に詰まってしまった。訝し気な反応をされるかと思ったが、「躊躇われるのであれば、今無理にする必要はありませんよ」と気遣ってくれた。よくわからないが、案外と樹希のようなケースが多いのかもしれない。情けない反応をしてしまった事を恥ずかしく思いつつ、そんな考察をしていた。
「では、明後日の正午ですね。木津根町、駅改札を出てすぐ右手の喫茶店へお越しください」
その案内を最後に、電話は切られた。本来なら警察署内での対面が多いそうなのだが、お互い身元が明らかとなっている事や同じ人物からの被害者であること、何より杏奈本人が希望したらしい。樹希としても、なるべく見知った場所の方が気が休まるので、ありがたかった。
「案外、あっさりと手続きが済んだな」
呟き、樹希は部屋の真ん中で大の字になる。きわめて淡々としたやり取りに、実感はないがある意味現実味を感じられた。
ふと手を天井に向けて伸ばし、ひらひらと翻しながら眺めてみた。掌にうっすらと残る線状の傷跡が生々しい。榊原に刺された際、刀身を強く握ったときにできたものだ。痛みは既にないが、この跡は当分消えそうにない。右手に走った烙印を眺めながら、樹希は顔をしかめた。掌の傷に母親。否が応でも自分と榊原悠介との繋がりを連想させられる。一生涯にわたって樹希を苛み続けると思うと、気分が悪くなってきた。
「…仕事に出よう」
泰然からは時間をもらっていたが、これ以上1人で燻っていても気が滅入るだけだ。それに、今日できる事はすべて終えた。気を紛らわせる為にもと、境内へ出ることにした。
手続きはつつがなく済んだ事、身元保証の為に明日泰然の協力がいる事を伝え、樹希は奉仕に戻った。表情の硬い樹希を心配していたが、動いている方が気分が良いからと押し切った。心配してくれている手前申し訳なかったが、1人でいても精神衛生上よろしくないし、何より最近そうして休ませてもらいすぎている。
昔ほど身寄りのなさを誹るものは多くないが、息子だからと甘えている姿を快く思わない者も多いはずだし、なにより禰宜の立場として示しがつかない。
「これまで俺が頼りにしてこなかった反動なんだろうかなぁ」
身内にはとことん甘いんだからと、樹希は苦笑した。
境内を歩いていると、佐々木がよろよろと荷物運びをしていた。両腕と体を使って器用に支えているが、あれで前は見えているのだろうか?危なっかしくて見ていられなくなった樹希は佐々木に声をかけ、手伝いを申し出た。「いいんですか!?」と喜びをあらわにして、両手で抱えている荷物の上半分を押し付けてくる。
「まったく、こんなに大荷物を一度に運ぶと危ないだろ」
「何度も往復するのが面倒で…今日に限って台車が全部使われてるんだもん」
備品の見直しも必要かと、相槌を打ちながら考えて歩いていく。ふと、昨日宵華が彼女から洋服を借りた事を思い出した。
「そうだ。昨日は宵華に服を貸してくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「あれくらいお安い御用ですっていうかぜひまたお手伝いさせてください!」
「お、おお…」
樹希が礼を述べると、須々木は飛び跳ねんばかりの喜びを見せた。その様子に思わずたじろいでしまう。
「私、前から宵華さんとお近づきになりたかったんです!まさかこんな風にお役に立てるなんて思ってもみませんでした」
あの時は急な申し出だった手前、迷惑ではなかったかと心配ではあった。よもやここまで感動されるとは思わなかったが、本人が幸せそうなので考えない事にした。
「借りた服は洗って返すよ。一応タグは確認したけど、特別な洗濯がいるアイテムはなかった?」
「そんな、別にいいのに!」
断られたが、そういうわけにもいかない。宵華が自分でも手入れができるようになりたいと言っていたと伝えると、一転して快く教えてくれた。元々素直でよく指示を聞いてくれる子なのだが、もう一段階手綱を握りやすくなってしまった気がする。
幸い高いブランドのものは合わせていなかったらしく、普通の洗濯機で洗ってよいらしく、自分や宵華でも十分に対応できそうだ。
「助かったよ。宵華にも確かに伝えておく」
「こちらこそ、作業を手伝ってくれてありがとうございました!私もファッションの事ならいつでも相談に乗りますよ!」
運んでいたのはお守りなどの販売品だった。販売所内の巫女さんに手渡したのち、改めてお礼を言い合っていると、そこに宵華が通りかかった。ゆったりと歩いている所を見るに、今は暇を持て余して散歩でもしているのだろう。
樹希が声をかけるとすぐにこちらに気づき、顔を綻ばせながら手を振って寄ってきた。と思いきや、隣に立つ須々木を見て少し表情がぎこちなくなる。まだ樹希以外と接するのは慣れていないようだ。
「樹希。…と、須々木、さん…」
「宵華さん、お疲れ様です!はああ、宵華さんに名前を呼んでもらえるなんて…!」
宵華の硬い表情など気にもならない様子で、須々木は感動に悶えている。それでいいのだろうかと思ったが、樹希はあえて触れない事にした。
「お疲れさま、宵華。時間をありがとう、おかげで無事に約束を取り付けられたよ」
「それならよかった。…それで、なぜ彼女と?」
「社務所への道中にばったり会ったんだよ。荷物運びが大変そうだったんで、手伝ってた」
「そうなのね。須々木さん、ご苦労様」
宵華がほほ笑むと、須々木はさらにテンションを上げた。もはや好意を通り越して、崇拝の域に達していそうなほどの感情である。
「それから、借りた服の取り扱いについて聞いてたんだ。また後で説明するよ」
須々木は隣でキャーキャーと言っているが、いちいち反応していては話が進まなそうなので放っておく事にした。この子なら気にしないだろう。それどころか、須々木は「早苗って呼んでくださいー!」等と宵華にすり寄り始めており、宵華は宵華で若干引き気味だ。いつまでも構っているわけにもいかないので、須々木に仕事に戻るよう注意する。我に返った須々木は半ば申し訳なさそうに頭を下げながら、自分の持ち場へと戻っていった。
嵐のようなアルバイトが去っていく様を、樹希と宵華は茫然と立ち尽くしながら眺めていた。まさか須々木がここまで宵華に対する好意を爆発させる子だとは思わなかった。
「…まあ、仲良くはしてくれそうだよな」
「樹希以外の人間の友達がアレだなんて、頭が痛いわ…」
人間との交流のハードルは高そうだ。