3話.訃報
投稿時点である程度の書き溜めがあったので、少しの間は毎日ペースでアップできそうです。気が向きましたら、拙作をどうぞお楽しみください。
「…何かあったな?今日」
一杯目のグラスが空いた頃に、樹希がぼそりと話しかけた。
普段から宵華は飲兵衛で、毎日のように小酒館で酒浸りである。が、大酒ぐらいの彼女がここまでの酩酊状態になる事は珍しかった。いつもなら、通りかかる樹希にかける声もはっきりしているし、歩けないほど酔っぱらっている事はまずない。
そして、彼女の腕に抱かれた人形。ブロンドの髪に澄んだ青い瞳の、かわいらしいフランス人形だった。所々にあるほつれや修繕の後が、年代物のように感じるが…
(こんな人形、宵華が持っていた事なんて一度もないぞ…)
見た事もない人形を、宵華はこの間、手放そうとしなかった。その違和感が、樹希には気がかりであり、果たしてそれは事実だった。
「今日ね」
樹希の言葉に目を伏せた宵華は、尻尾を力なく垂らしながら、小さな声で話し始めた。
「お焚き上げ供養の時に、よく知ってる人形が持ち込まれたの」
「人形?これの事か?」
宵華のそばに座る、そのフランス人形を指差す。宵華はその質問に首肯で答えた。
「昔、よくこの神社で遊んでた子がいてね。その子が大事にしてた人形。ご供養をお願いしたいって、お焚き上げの依頼」
その人は小さな頃、親に連れられてこの神社を訪れ、以降よく遊びに来ていたらしい。義務教育を終え、大学を出、社会人となってからも、足しげく継寂乃杜に参拝に来ていたのだという。宵華は懐かしげに話した。
もっとも、その時の宵華の印象としては、「よくもまあ飽きることなく、毎日のように来る子供だ」というような、極めて醒めたものだったそうだが。
「最近…っていっても、10年くらい前なんだけど。ぱったり足が途絶えてて。今日の依頼者リストで名前を見て、思い出したの。久しぶりに会えるって思ってたんだけどね」
日中、なにやら機嫌がよさそうにしていたのは、事実だったようだ。旧友…と呼べるほどでないにせよ、昔馴染みと会えると思い浮足立っていたのだろう。
名義はその子ではあったが、実際に訪れたのはその娘さんだったそうだ。彼女の話によると、ちょうど参拝の途絶えた年から病気を患っており、以降緩やかに病状は進行していったらしい。そうして歩くこともできなくなったその人は今朝、静かに息を引き取ったのだという。
娘さんが言うには、その傍らには人形が、2通の手紙を添えて置かれていた。1通は『この人形と共に、継寂の狐巫女に挨拶を言いたい』という旨の、娘さんに宛てられた手紙。そしてもう1通は…
「穏やかなお顔だったって…でも、もうあの子が来る事は無くなったんだな…っていうのも思い知っちゃって。正直、あの頃は別に思い入れがある子って訳でもなかったんだけどね。あの子の手紙を読みながらそんな事を考え始めたら、なんだか寂しくなっちゃった」
本来ここ継寂乃杜神社では、供養した人形はお焚き上げまでしてしまうのが通例だが、彼女は泰然に無理を言って、この友人の形見を引き取ることにしたらしい。ご供養の直前に駆け出して行ったのも、泰然に打診しようと急いていたと考えると、合点がいく。
苦笑しながら話す宵華の声は震えており、徐々に鼻をすする音が聞こえてきた。
「そう、か…」
当時こそ冷淡であれ、昔馴染みには変わりない。そんな人を、言葉を交わす機会も与えられずに亡くしたのだ。
彼女自身、行き場のない感情を持て余したに違いない。だからこそ、彼女も浴びるように酒を飲んでいたのだろう。自分を慰める為の言葉も見つけられずに。そんな彼女に、一体どんな言葉がかけられるだろうか。
一瞬の逡巡の末、樹希は宵華の手を優しく握りしめていた。
「それは、辛かったな。…きっとその人は、最後の最後に、お前に会いに来たんだな」
本当に慰めにもならない。それでも何かを言わずにはいられなかった。
しかし涙を湛える宵華は一瞬目を瞠り、樹希を見た。そしてふわりと微笑み、彼の肩に頭を預けた。銀鈴が小さく鳴り、柔らかな耳と共に樹希の首元をくすぐった。
「…ありがと」
もう1通の手紙。宵華に宛てられたそれは、会いに行けなくなった謝罪。そして最後に何としても親友に会いたいと、会って顔を見てお別れをしたいという思いが込められていた。
姿は違えど、最期にその人は、親友として確かに宵華に会いに来てくれたのだ。
「気にするな。…ほら、今度こそ乾杯だ」
樹希が、宵華の持つグラスに自分のそれを突き合わせた。軽やかなガラスの音が、館内に響いた。