31話.お洗濯
思いを打ち明けあった樹希と宵華。離れがたいと思う反面、改めて互いの顔を見合わせると、気恥ずかしい気持ちもあった。
(宵華って、こんなに可愛い顔してたっけ…?)
(なんだか、樹希がまるで別の人みたいな感じがする…)
「少し冷えてきたね。そろそろ帰り支度しましょ」
「あ、ああ。そうだな。ちょうど酔いも醒めてきたし、頃合いだ」
普段飲みなれないワインなどを口にしてしまったせいで、酔いが早いのだろう。気恥ずかしくなったのは、外気にあたり続けて醒めるのも早かったのだ。知ってか知らずか、同じ言い訳を考えた2人は、宿舎へと戻ることにした。
道中、宵華は尻尾を樹希に近づけたり、遠ざけたりとさ迷わせていた。何百年と生きた我が心ながら、まるで生娘のような事をしてしまっている事に気づき、火照った顔がさらに熱を持ってしまった気がする。
人を愛すなど、過去に幾度もあったはずなのに。心を封印した期間が長すぎて、その時の事をうまく思い出せない。
(浮かれてる風に見えてないかしら…かしらって何よ、もう)
とりとめのない思考を巡らせていると、尻尾も所在なく揺れているようだった。不意に、樹希の手に尻尾の先が触れた。
ピクリと一瞬震えた彼の右手は、ゆっくりと、しかし意を決したように宵華の左手に絡んできた。冷たい空気で冷えたその手の内から、暖かな温度が宵華に伝わってきた。気持ちは思い出せなくなっていたが、その温もりは体が憶えていた。
「触れてると、なんだか安心するね」
きっかけをくれた樹希の手の指に、自分の指を優しく絡ませる。樹希の手は戸惑いながらも受け入れてくれた。顔は恥ずかしくて見られないが、その感触から彼も同じ心持なのだろうと察せられた。
「…そうだな。俺には初めての感覚だ」
ぎこちない手の動きとは裏腹に、樹希の声色は穏やかだった。その声に、宵華自身の気持ちも安らいでいくのが分かる。
共に歩いて行って、宵華の人生が少しでも幸せだったと、2人で胸張って言えるようにしたい―――隣に並び歩く人は、そう言ってくれた。彼に置いて行かれる不安と恐怖が消え去ったわけではないが、宵華の記憶に強く、樹希という存在を刻み込んでくれるのならば。それを信じてみようという気持ちになったのも事実である。樹希は、自分を孤独から救ってくれるのではないかと…
ともあれ、宵華の心は久々に躍っていた。尻尾はゆらゆらと揺れ、耳も耳飾りについている銀鈴を軽やかに鳴らしている。闇と静寂が支配する夜の境内にて、酒を飲まずとも孤独に苛まれずに済んでいるのが、宵華には嬉しかった。
酒は好きだが、醒めた時の虚無感は好きではない。昼夜問わずに襲い来るあの気持ちだけは、いつになっても辟易してしまうものだった。
「今日はあんまり飲んでなかったみたいだけど、良かったのか?」
「うん。今日はあんまり。別に飲まなくてもいいかなって」
樹希も気になっていたらしくそう尋ねてきたが、宵華の返答に「そっか」と短く返した。
他愛無い話をしている内、いつの間にか宿舎に着いた。古くみすぼらしい見た目のこの建物も、今の宵華には風情があるように見える。我ながら現金なものだ。
一旦樹希と別れ、自分の使う部屋へ入る。扉を閉め、身に纏う物をどんどんと脱いでいく。サラシと褌だけの姿になってから、首と肩を軽く回す。ボキボキと関節が鳴った。洋服などという慣れない物を着たおかげで、体中が凝り固まっているようだ。
(ほとんど話した事もなかったけど、別に怖がられたりしなかったな)
朝の須々木とのやり取りと、彼女の柔らかな態度を思い返した。樹希の時ほどではないにせよ、やはり自分との距離を感じない、畏怖や打算ではない感情を向けられた事は、宵華には予想外だった。洋服選びから着せてもらうまでの間、自分は呆気にとられてなすがままだった事まで思い出してしまい、我が事ながら吹き出してしまう。
案外、昔とは神格を持つモノへの態度というものは変化してきているのかもしれない。樹希と関わってから初めて気付いたが、そういえば泰然もそうだ。畏まった口調ではあるものの、自分が祀られるようになった当時にされたような態度とは何か違う。あれはさながら、親が子にするような…慈しみに近いのかもしれない。
「…人間との関わりも、まだ捨てたものじゃないのかも」
そう思うと、フッと心の滓が落ちたような気がした。
「そういえば、どうやって洗えばいいんだろう…?」
寝間着用の浴衣を羽織りながら、視線を洋服にやった宵華はふと我に返った。須々木に返すには、当然清潔にしておく必要はあるだろう。しかし肝心の洋服の取り扱いが宵華には分からない。
「小袖と同じ扱いでいいのかな…」
考えたところで答えが出るはずもない。貸してくれた当の本人に尋ねるわけにもいかない前に、夜も更けてしまっている以上、須々木はおろか他の女性も神社にはいないだろう。
「樹希に聞いてみようかな」
男性に女性の服について尋ねるのもナンセンスな話のように思えるが、致し方あるまい。
先程までの甘い感情はどこへやら、目下の問題を解決すべく隣の部屋へ向かった。




