25話.箕山組
和真に連れられるままに歩くのは、ビルとビルに挟まれた狭い路地。一見人が通るように整備されたようには見えないその路は、以外にも綺麗に掃除されており、身構えていた悪臭や汚れなどは一切なかった。おもてなしの心が箕山組のモットーらしい。
そうして細道を通ること数分、小ぢんまりとした扉が一行の目の前に姿を見せた。扉には、小さいながらも達筆な文字で「箕山組事務所」と書かれている。…どこか香ばしい雰囲気があるのは気のせいだろうか?
「お待たせしました。ここが僕ら箕山組の事務所や。事務所言うても活動は幅広いから、管理職の寮みたいになっとるけどね」
そう言って和真は扉を開ける。すぐ迎えたのはロビー兼応接間のような空間だった。道中と違わず、小綺麗に整えられている。樹希たちのような、急な来客にも対応できるようになのだろう。箕山組という組織の、ひいては狸人の高いホスピタリティがうかがえる様相のように感じられた。
「なんだか、いい匂い…」
くんくんと宵華が鼻を利かせている。確かに、お香のような香りがする。
「おっ、宵華ちゃんお目が高い!これ、最近仕入れたお香なんや。組の中でも結構評判でな、こうやって焚かせてもろてんねん」
ほんま、いいご縁に巡り合えたわ、と嬉しそうに和真が答えた。神社ではこういった品を使っていないので、宵華にとっては新鮮なのだろう。自室用にいくつか欲しいと、和真にねだっている。いかにもといった高級そうな香りの品だ、後で財布の中身を確認しておかなければ。
そうしていると、奥の方から「誰や、和真か?」という声と、豪快な足音が聞こえてきた。和真がそちらに顔をやり、「親父、ただいま!お客さん連れてきたでー」と話しかける。
「お客様やて?今日は何も商談はなかったはずやが…おお、こりゃ珍しい!」
顔を覗かせたのは、体格も恰幅も良い中年の男性だった。威圧感を感じそうな体形だが、人の好さそうな顔がそれをいい具合に緩和させてくれている。狸の耳に尻尾もついており、さらに愛嬌を醸し出していた。
宵華に視線をやりながらその男性はそう言い、ついで樹希とも視線を合わせてくれた。にこやかな顔に、こちらの緊張も幾分かほころぶ。
「天狐のお嬢さんの宵華ちゃんに、そちらは継寂の息子さんの樹希君ですな?儂は箕山組の組長名乗らせてもろてます、箕山六右衛門言います。以後、よろしゅうおたの申します」
六右衛門は、2人に大きな手を差し出して握手を求めた。宵華はそれにおずおずと応え、樹希も続いた。差し出された各々の手を、六右衛門は両手で丁寧に握る。
「ええ、よろしくお願いいたします。急な訪問で申し訳ありません」
「そないな事気にせんでもええ、ええ!元々この時間は暇なんです。和真、お茶をお出ししてんか?」
来賓用のソファに2人を促しながら、自分は簡単な腰掛に座る六右衛門。入口に見た香ばしさなどかけらも感じられないどころか、身振り話し振りを見るほど、彼の組が醸し出す気持ちの良さが伝わってくるようだ。
「ありがとうございます。…僕たち、名乗りましたっけ?」
「ああすんません、急な事で驚かれましたやろ。和真からも聞いてはると思いますが、一応お2人の事は千里眼のお嬢さんから伺っとりましてな。その時に知ったんですわ」
千里眼の天狐という人物は、ここ箕山組事務所に2人の事を伝えに来たらしい。
「継寂の神社から姉の天狐と神主の息子が来る言われましてな。天狐のお嬢さん…宵華さんの方は都会が初めてやさかいトラブルに遭うやろから、助けてやってくれという事でしたわ。儂ら狸人としても、天狐の皆さんを無碍には扱いたくありませんで、息子に助け舟を出させた次第です」
「息子…?ああ、和真さんが」
「そうです、アレは儂の息子です。まあ若輩モンで未熟なところもありますが、ようしたって下さい」
言われてみると、2人の人のよさには通ずるものがある。次代の組長といったところだろうか。
そのうち、和真がお茶を持って戻ってきた。ご丁寧に、上等なお菓子まで付けてくれている。
「おお和真、ちょうどお前の話をしとった所や。改めて自己紹介して差し上げぇ」
六右衛門の促しに「えぇ?もうしたからええよ…」と言いつつも、和真は樹希たちに向き直る。
「改めまして。箕山六右衛門の息子、箕山和真です。普段は親父の仕事の手伝いやったり、事務所の渉外みたいな事やらしてもろてます。どうぞよろしゅう」
和真の自己紹介に、樹希と宵華も改めて挨拶をする。それをうなずきながら見届けた六右衛門は、和真にやや厳しい目を向けた。
「しかし、わざわざこっちにお連れしたらあかんよ。ご用もないのにいきなり組長と会うたら、えらい緊張しはるやろ」
「せやけど親父、天狐の姐さんの紹介や。箕山組としてもご挨拶せんわけには…」
和真の返答に、まあそうか…と六右衛門は口ごもる。先ほどから、2人は天狐である宵華や、その妹という人物をやけに意識している気がする。樹希は、その疑問をぶつけてみることにした。
「ところでお二人とも、ずいぶんと天狐の事を気にしてらっしゃるようですが…?」
「ああ、樹希君はご存じあれへんのも無理はないか。何を隠そう、箕山組をはじめこの地域の狸人は、天狐の一族とは昔からふか~い関係がありましてな…昔話になるんですが、よろしいか?」
そう語る六右衛門は、穏やかな顔つきながらまじめな口調であった。断るのも憚られたため、樹希はうなずいた。追放された身である宵華としては複雑だろうが、否定しないところを見ると、樹希と同じ態度のようだ。
「おおきに。…さて、天狐が長命なのはご存じですな?今の族長さんも御年900歳を数えるくらいやったかな、その族長さんのさらに先代の頃から狸人は、まあ言うたら天狐の皆さんとは対立関係にあったんですわ」
900年、という数字に、樹希は思わず閉口してしまった。宵華ですら500年という、人間にしてみれば想像もつかないほどの長生きなのに、族長という人物はその倍近く生きているというのか。そしてその長く遠い過去の果てに、今こうして対面している人物と宵華、その祖は争っていたというのか。
「ああ、そないな怖い顔しはらんでも、抗争とか、直接的で大規模なものはなかったと聞いとりますわ」
そんなに顔に出ていたのだろうか、六右衛門は慌てて言い繕った。その言葉にほっと胸を撫で下ろしたのは、隣の宵華だった。それもそうかと樹希はひとり恥ずかしくなった。彼女であれば当事者の一族だ、顔が引きつるのも無理はないだろう。
さて、と六右衛門は仕切りなおすように咳払いをした。
「儂も六右衛門の名を継いで間もないもんで、ほとんど先代や先々代組長からのまた聞きではあるんやけどね。…むかしむかし、天狐と狸人とは地域の信仰をめぐって対立しとりました」
お芝居でも聞かせるかのような出だしとともに、六右衛門は話し始めた。