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狐の巫女と捨て子の神主  作者: なんてん
2章.菩提樹の接木
21/48

19話.父親の証明

2025/10/05 一部内容を追加しています。

「そろそろいい時間だし、神社に戻るね。私も色々手伝わなきゃ」

 ピクリと耳を揺らした宵華ゆうかは、時計を見ながらゆらりと立ち上がってそう言った。宵華は神社の守り神としての立場もある。その彼女が長時間神社を空けるのも問題ではあるのだ。

 少々の名残惜しさもあるが、樹希は静かに頷いた。

 銀鈴を鳴らしながら退出する宵華を見届けた後も、樹希いつきは扉を眺めていた。少し顔が熱い。

(宵華は、俺が目を覚ますまで待ってくれていたんだろうか)

 最近宵華が自分に向ける顔は、周囲の人とは明らかに違う。目が合えば微笑むし、不意に鉢合わせる事があるとパッと顔を綻ばせてくれる。こんな状況で考える事ではないと思いつつも、彼女の特別を占有している気分になった樹希は自分の胸が高鳴るのを感じた。



 廊下に出た宵華は病室の扉を閉め、ほっと溜息をついた。

 樹希が、ちゃんと目を覚ましてくれた。

 もちろん、医師や看護師から容態の安定については聞いていた。命に別状はなく、遅くとも夕刻には目を覚ますであろうという事も。

(それでも、この目で見ないと安心できなかった…)

 医師の言葉を疑うわけではなかったが、やはり不安ではあった。それに彼の目覚めには誰よりも早く立ち会ってあげたいという気持ちもあり、宵華はひたすらに待ち続けていたのだった。

 どうにも最近、自覚できるほどには、自分は樹希に対して感情的だ。先の事件の際には、動揺と怒りに我を失いかけた。そして彼の命に別条がないと分かった時など、周囲をはばからずに泣き崩れてしまう始末だ。


「…」

 500年近く生きてきて、制御のできないこの感情を持っている事が必ずしも幸福ではない事は、身に染みて理解している。

 尻尾が揺れ、耳は銀鈴を鳴らし続ける。

 樹希もいずれ、自分の元をる。また無意味な生を送る事になるのだ。そしてその瞬間は、決して遠い先の未来ではない。

(顔が熱い…)

 たかだか20年、自分に臆せず絡んできただけの子供。たまたま自分と同じ、孤独に苛まれる人生だっただけの人間。

(樹希…)

 驚きはした。しかしそれだけだ。これまでも、単なる気まぐれで付き合っていたに過ぎない。言うなれば、ただの退屈しのぎだ。

(あなたを、失いたくはない…)

 自分の感情がうるさい。いずれ訪れる絶望をまた受け入れるというのか。それを正面に見据えた所で、自分の未来は再び色を喪うに決まっているというのに。

(自分の思考が煩い)

 どの程度の時間、そうしていただろうか。面会中に聞こえてきた足音の主が2人。すぐそこまで来ていた。一旦思考をしまい込んだ宵華は彼らと目くばせしたのち、一足先に神社へ戻る事にした。



 一瞬か数分か、樹希が宵華の事をぼんやりと考えていると、再び扉をノックする音が聞こえた。ビクリと体を跳ねさせて「ど、どうぞ」と答える。

 入ってきたのは、泰然たいぜんだった。耀あきらも後ろについて来ている。

「樹希」

「父さん…それに、耀も」

 自然と口をついて出た呼び名。泰然は一瞬息をのみ、わずかに顔を歪ませて笑った。耀も驚いているようだった。

「樹希が目を覚ましたと聞いてな。遅くなってすまない」

「兄さん、傷はもう痛まないの?」

「来てくれただけで嬉しいよ。傷ももう塞がってて、かなり良いらしい。もう1、2週間は入院して様子を見る必要があるみたいだけど」

 手探りをするような会話のキャッチボール。しかし、「親子」としての久しぶりの会話としては上出来だろう。


 …彼らの愛情に罪悪感を憶えるようになっていたのは、いつからだったろうか。耀との喧嘩?テレビ番組?いや、そんなものは気持ちが固まるきっかけでしかない。

 物心ついた時から、自分が「捨て子」と呼ばれている事には気付いていた。その言葉が孕む意味も、兄弟として育てれた自分と耀が違う立場の人間であることも、幼いながらに理解していた。それでも天野の家の世話にならねばならず、その事自体が彼らの評判を貶める事実が、罪悪感や疎外感という形で樹希を徐々に苛んでいったのだ。


「なんだか、懐かしいな…仕事でもないのにこうして3人顔を合わせるなんて、いつぶりだろう?」

 肉親との決別は、もう事実として自分の中にある。今なら、この話にも触れることができる。

「…もう15年ほどにもなるかな。お前が天野の家を出て行ったのは」

「兄さん。あの時は…」

「もういいよ耀。大丈夫、あれはただの事故だ。俺はお前を恨んでないし、むしろ俺が勝手に罪悪感を感じてただけだ」

 謝ろうとする耀を慌てて制止した。

 これは樹希の本心だった。別に恨みなど抱いていない。自分が勝手に罪悪感を背負い、勝手にショックを受け、勝手に出て行っただけの話。

 それでも見放さなかった2人に感謝こそすれ、憎まれ口を叩くなど。

「それでも、きっかけは俺だよ…」

 しかし耀は、どうしても自分を赦せない様子だった。樹希は若干の呆れを笑顔に含ませながら、近くまで来いと彼を手招きする。

 訝しげに近寄る耀をしゃがませ、その両頬を思いっきり抓った。

「いででででで!!」

「ほれほれ、痛いだろ~」

 笑いながら頬をいじめる樹希の腕を必死に引き離し、「いきなり何すんだよ兄ちゃん!」と怒る耀。その様子を、泰然は優しい眼差しで眺めていた。

「これでおあいこって事で。俺はもう自分を赦す事にした。お前も過去の事は水に流して、自分の事を赦してやれよ、耀。…ずるずる引きずってても、辛いだけだったろ?」

 そう言いながら、樹希は耀の頭を撫でてやった。「…うん」と小さく頷く耀の眼は頼りなさげに潤んでいた。


「…父さん」

「……なんだ、樹希」

 くしゃくしゃと耀の頭をひとしきり撫でてから放してやると、樹希は泰然に向き直った。向こうも、静かにこちらを見ている。

「父さんにも、ずっと心配ばかりかけてきた気がする」

「そんな事はないさ。お前は毎日、元気な顔を見せてくれていただろう、それだけで十分だ。…出て行くお前を見ている事しか出来なかった事を、私はずっと悔やんでいたよ」

「俺もずっと、天野家の子供でいる事に罪悪感を憶えてた。テレビでやってた寄生植物…あの姿がまるで、天野家に居座る俺みたいに思えた」

 必要な養分を宿主から奪い、何もリターンを返さない。その姿に、根無し草の自分が天野家に無条件で甘える様子を重ねていた。そして、天野家を出た…父や母、弟へ自分が与えていたものがあったなどとも気づかずに。

「思い出したんだ。俺に接してくれてる時の皆の顔が、笑顔だった事。俺を愛してくれたみたいに、俺も愛を返せてたんだなって。こんな風に傷は負ったけど、ようやく自覚できた」

 榊原が息子に垣間見せた歪な自己愛がそのきっかけだったというのは、なんとも皮肉な話だ。

 あの男にたったひとつ、感謝することがあるならば。それは、自分が天野家の一員である事を自覚させてくれた事だろう。

「意地を、張ってたのかもしれない。…長い間、ごめん。父さん、耀」

 そうして、樹希は頭を下げた。返答はなく、代わりに樹希の身体、そして手は人の体温で包まれていた。父はベッドの上の息子を抱きしめ、弟も兄の手を握っていたのだった。

 呆気に取られている樹希の頭に、さらに泰然の手が置かれる。…ああ、頭を撫でられるのも、15年ぶりになるのか。

 ぼやけてきた視界の中、長い間求めていた温もりを得た樹希は、そんな事を考えていた。


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