1話.継寂の狐巫女
撤収と準備の最中、祭祀場の出入口にて、狐の耳と尻尾を生やした女性とすれ違った。宵華と呼ばれる、継寂の狐巫女である。
祭事用の簪で金色の長髪はまとめ上げられ、切れ長の目には深紅のラインが引かれている。鮮やかな口紅も、色白な彼女の肌とのコントラストで際立っていた。
人の姿に獣の耳や尻尾という特異な形容も相まって、均整の取れた美しい姿態は、どことなく浮世離れした印象を周囲の人に抱かせる。その感覚は容姿だけでなく、彼女の起伏の少ない表情からもにじみ出ていた。
彼女は天狐と呼ばれる一族の1人らしい。聞いたところによると、彼らは長寿の一族として知る人からは認知されており、事実として、宵華自身もこの神社の設立時には既に生きていたと語られる。
それは口伝だけでなく、ここの歴史にも宵華という名前やその容姿が記されている事から考えても、本当の事のようだ。中には神格を祖に持つ、神気を帯びており人を遥かに凌ぐ驚異的な身体機能を持つ等、はっきり言って眉唾物のような記述もあるにはあるが。
そんな一族の一員として長い年月を生きてきた事実もまた、彼女の纏う不思議な雰囲気に表れているのかもしれない。
「…樹希」
「宵華、お疲れ様。3人目のご依頼が終わったんだな」
「ええ」
表情を変えず、樹希の呼びかけに最低限の言葉で返す宵華。宮司である泰然や、彼女と付き合いの長い樹希はその限りではないものの、普段から彼女は口数が少ない。
決して機嫌が悪いわけではないのだが、淡々とした態度に敬遠する者は多く、中には反感を持つ者もいる。
「今日は依頼される方も多いから、大変だろ」
「そうでもないわ。今日は、皆持ち込む物品は多くないし。今から撤収作業よね、いつも助かるわ」
「どうってことない。次もすぐにいらっしゃるだろうから、今のうちに休んどけよ」
今日の彼女は機嫌がよいのだろうか。口元に笑みを浮かべて労いの言葉までかけるとは珍しい。
そう思ったのも束の間、後から来たアルバイトの巫女には、普段通りの素っ気ない態度で接しているようだ。
「もう少し喋ってくれれば、飄々とした人くらいに見られるんだけどなあ…」
小さく呟いた樹希は、しょぼくれた様子で歩いてきたアルバイトを励ましながら、次のご供養の準備に取り掛かるのであった。
「樹希くん、お疲れ様。今日は大変だったわね」
「ああ、佐伯さん。お疲れ様です。皆さんのおかげで、奉仕もご供養も滞りなく済みましたよ。ありがとうございます」
最後の依頼者のご供養が終わり、その後片付けをしていると、中年の女性神職である佐伯琴音がねぎらいの声をかけてくれた。
彼女にはいつも、ご供養や神事の立ち合いをしてもらっており、助かっている。いつも痒い所を的確にサポートしてくれる、ベテランの巫女さんだ。
「ところで、今日は宵華様、とても張り切ってらしたの。何か良いことでもあったのかしらね?」
表情までは見えなかったんだけど…と、最後のご供養の前に、宵華がどこかへ駆けていった事を話した。
「宵華が?確かに、それは珍しいな…」
奉仕や祭事で見る宵華は、いつも淡々としており、あまり感情を出さない。供養の前に走り去るなど、少なくとも樹希が祭事の準備や立ち合いをするようになってから、見たことがない。
先ほどのやり取りの中ではわずかに微笑んでいたが、それだって張り切って走り去るほどご機嫌という訳でもない様子だった。
「いい酒でも入ったんですかね?」
「ああ~、確かにそれなら、あれだけ急ぐのも分かるわね」
佐伯が苦笑しながら応じる。淡々としている宵華の趣味ともいえるのが、毎日の晩酌だ。しっぽりと呑む日もあれば、泥酔するほど飲んだくれる日もあるが、彼女が酒を切らす事はまずない。
かといって、祭事の直前に走り去ることがあるかと言われると疑問ではあるが。その点に関しては、佐伯も同感のようだ。宵華は淡々としているが、奉仕に手を抜くことはないのだ。
「まあ、ここで話してても分からないですよね。どうせ今夜も小酒館で酒盛りでしょうし、その時にでも聞いてみますよ」
それもそうね、と佐伯もそれで話題を切り上げ、簡単な挨拶をして自分の後処理に戻っていった。
…とはいえ、普段見ないような挙動をする宵華の事は気にかかった。確かに思い返してみると、今日の彼女はソワソワしていた。
お焚き上げ供養のリストに目を通してからだったか…?その時の、なにか思索にふけるような表情も気にかかる。
「気になるな…」
その後、社務所への道すがらで建物の物陰に目線をやったり、社務所内でも彼女の影を探して視線をさまよわせてみたものの、結局終業まで見つけることはなかった。
「神出鬼没なのはいつものことか…」
もとより、早めに見つかれば幸いという程度だ。樹希はさっさと帰り支度を整えることにした。