17話.接ぎ木は悲劇となりうるか
「須……さん、…急車を!それ……、樹…の…処…も頼…ま…!」
「あ、は、悠人…僕は、…んなつ……じゃ……悪い…は……神……」
遠くで泰然の声が聞こえる。榊原も何か言っているが、よくわからない。それよりも、手と腹が熱い。それに、なんだこのまとわりつくような鉄臭さ。一体何が起きている?
…須々木さんが奉納の為の小太刀を持ってきた。不備があったとかなんとか。まったく、昨日のうちにちゃんと確認しないとダメじゃないか。
そして、隣にいた榊原が、須々木さんに詰め寄って…嫌な予感がしたんだ。それで、思わず神主さんの方へ走って…
……そうか。俺は刺されたのか。
そこまで考えて、膝立ちのまま自分の腹部を見下ろした。ぼやける視界の中、自分の手には真っ赤に濡れた小太刀の刀身を握っており、脇腹からは血が流れ出ている。
思ったよりも痛みはないし、思考も冷静な気がする。しかし身体に力が入らない。血の流れる所から、自分の体温まで抜け出ていくようだ。
自分は大丈夫だと、伝えなければいけないのに。声が出ない。次第に息が苦しくなってきて、そのままの姿勢で蹲ってしまう。
榊原はどうしている、こんな事をして、早く捕まえなければ。
…耀君、始まらない例祭に心配してるだろうな。
宵華。宵華の声が聞きたいな…
……ああそうだ、神主さん。ケガ、してないかな。榊原の話がショックで何も聞いてなかったけど、あの人、こういう時には結構強気というか、無茶するんだよな…
「父さん…俺……」
なんとか言葉を絞り出したけど、これ以上はしんどい。少し横にならないと、もう体を支えられないな。非常事態なのに、なんだか申し訳ないけど。少し休ませてもらおう…。
「樹希!」「兄さん!」
社務所の惨状を目の当たりにして、思わず悲鳴を上げてしまった。
泰然が忘れ物を取りに向かったはいいものの、やけに戻りが遅い事が気にかかった。そのうち、アルバイトの須々木が奉納品の不備に気付き、泰然に報告してくると言って、彼の行方を、社務所の方面から戻ってきた他の神職に尋ねているのが聞こえた。
泰然は社務所にいたが、見知らぬ男の人と揉めていたという返答だった。喫緊の相談事だからと、須々木は構わずに駆けていったが…
嫌な胸騒ぎがした。数日前の、樹希の父を名乗る気色の悪い男。樹希によく似た顔。あの男が脳裏にちらついて落ち着かない。
耀も同じことを考えたようで、こちらに視線をやっていた。むしろ、彼の方がよっぽど気がかりだったかもしれない。祭事にそぐわない、その緊迫した表情がそれを物語っていた。
幸い、奉納品の不備のおかげで例祭はまだ始まらない。嫌な予感が当たっていませんようにと祈りながら駆けつけたが…そこには、地面に血を滴らせうずくまる樹希の姿があった。
「榊原ぁ…!」
「宵華さんは兄さんを!こいつは俺が抑えるから!」
ショックと怒りで我を忘れそうになった宵華にそう言いながら、榊原に組みつく耀。その姿と言葉かけに冷静さを取り戻し、樹希のそばに駆け付ける。
彼の身体を水平に横たえ、傷口の確認。深くはないが出血が多い。おもむろに傷口付近の血液を指ですくいとり、口に含んだ。
(…毒物は含まれていない。まずは安心した)
口腔内に含んだ血液に毒性の成分の味は混じっていなかった。となれば止血と、もしかすると輸血が必要になるかもしれない。
巫女装束の袖を引きちぎって傷口にあてがい、強く圧迫した。樹希が痛みにうめき声をあげる。良かった、まだ意識がある…!
「樹希、今何とかするから…!須々木、救急に電話中ね?」
「はい!」
ちょうど電話をかけている須々木に宵華が声をかけ、さらに告げた。
「B型。Rhは+って伝えて」
「えっ」
「樹希の血液型!いいから伝えて!」
「は、はい!血液型はB型の、Rh+だそうです!」
ちょうど容態を伝えているタイミングだったようだ。声を荒げた宵華に少し怯みながら、間違いなく伝えてくれた。
「樹希、大丈夫?ちゃんと起きててね?今救急車が来てくれるから」
ああ…とか細い声で返事をする樹希にひとまずの安心をしながら、周囲の様子を窺った。
外では、逃げようとしていた榊原を、泰然と耀の2人で取り押さえているようだった。できる事は一通り間に合った。あとは、助けが来るまで樹希の意識が途切れないよう、声をかけ続けるだけだ。
程なくして、警察と救急が到着した。榊原は傷害または殺人未遂の容疑で現行犯逮捕。樹希は、傷が重要な臓器から外れていた。迅速な対応も手伝って、治癒までの期間も短くなるだろうとの事だった。
警察も救急も、思いのほか到着が早かった。警察については、泰然が事態の収拾に際して、事前に電話を繋げていたらしい。榊原の予想外の攻撃性に、刃傷沙汰まで発展させてしまった事を悔やんでいるようだったが。
「良かった…」
宵華は救急隊から樹希の無事を聞いた途端、体中の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「良かった…ほんとうに、よかった…!」
とめどなく涙が溢れて止まらない。宵華は周囲を憚ることなく、声をあげて泣いた。
出会った時には幼く、対して興味を抱くこともなかった樹希。その彼が今や、こんなにも自分を揺さぶってくる。
それはまるで、初めて愛したあの人に向けたような。寿命を前に成す術もなく看取ったあの人に抱いていたような。いつしか遠い記憶の彼方に置き去りになった、あの頃の気持ちだった。
第2章、次回か次々回くらいで終幕の予定です。
そろそろ書き貯めたストックがなくなってきました。なるべくペースは落とさないよう努力しますが、毎日更新は難しくなるかもしれません。ご了承いただけると幸いです。