14話.父と父
社務所では、既に泰然が事務仕事を始めていた。大所帯での訪問にやや驚きながらも、3人を出迎える。
「おや、朝早くから大勢で。何事ですかな?」
立ち話もなんでしょうと、静かに3人を見回しながら席を促す泰然。ただならぬ雰囲気を感じながらも態度を崩さない彼の胆力に、樹希は幾ばくかの安堵を覚えた。
促された席にドカッと座る榊原。その遠慮のない態度を横目に、樹希と宵華の二人はその場に立ったままでいた。宵華の手と尻尾が、樹希に触れる。その温もりに、樹希は心強さを覚える。
「神主さん」
「泰然。境内で不審な人物を発見した。榊原といい、樹希の実父と名乗っている。事情聴取のため、こちらに連れてきた」
意を決して話そうとした樹希の言葉を遮るようにして、宵華が経緯を簡潔に説明した。
榊原は、貼り付けたような笑みを崩さないが、社務所までの道中何も手を出してきていない。それが樹希にとっては、かえって不安を煽るような態度に感じられた。
「榊原悠介といいます。お見知りおきを」
「これはご丁寧に。この神社の宮司を務めております、天野泰然と申します」
大仰な身振りで名乗る榊原と、鷹揚に応じる泰然。
「早速ですが榊原さん。まだ境内を開放してもいない早朝から、どういったご用件でお見えになられたのですかな?」
話を切り出したのは、泰然からだった。榊原も頷き、応答する。
「非常識な時間にお邪魔したことは謝りましょう。こちらで、ずっと探していた息子が世話になっていると耳に挟んでね。いてもたってもいられずに来てしまったんですよ」
何せ、20年も行方不明だったものだから、と話す榊原。喜んだり悲しんで見せたり…ころころと表情を変えるその様子が、樹希には芝居がかって見えてしまうのは、先ほどの衝撃のせいだろうか。
「なるほど。それでその息子というのが、彼だと?」
「そういう事です」
事情は分かりました、と泰然が頷きながらも、しかし、と続ける。
「榊原さん、あなたの事情は理解致しました。しかしながら、樹希―」
「悠人だ」
唐突に榊原が泰然の言を遮った。その顔には笑顔が張り付いているが、額には青筋が浮かび、口元もピクピクと震えている。しきりに足を揺すり、明らかにイライラとした様子で、榊原はさらにつづけた。
「なんだ、皆揃いも揃ってイツキイツキって。この子にはそんなセンスのない名前じゃなくて、悠人っていう立派な名前がある。折角僕が付けた名前を無視するなよ」
まくしたててから、ハッと我に返ったようになった榊原。「…失礼、一応名付けはしたので、違う名前で僕の子を呼ばれると、違和感がどうしても」と、3人の視線に慌てて笑顔を取り繕う。
名前ひとつで、こうまで不快感を隠そうともしないのか。それに、先の突拍子もない行動といい、今ので問題なく仕切りなおせるとでも思っていそうな態度といい、さながら我儘な子供ではないか。そして自分を含む目の前の3人を、まるで配慮しない言動。
榊原はこの短時間で、樹希がこれまで出会ったことのない人間性を垣間見せた。隣に立つ宵華から感じる温もりが、樹希の中で急激に冷めていく。狂気にも映る榊原のそれに、樹希は経験したことのない戦慄を覚えていた。
そんな自分に視線をやりつつ、泰然が応じる。
「失礼致しました、彼の本名を先に伺うべきでしたな。申し訳ない。我々としても名前がない事には不便でしたので、これまでこの子を樹希と呼んでおりました。…して、悠人君でしたか。彼は新生児の頃に神社の入り口で捨てられていました。それから20数年、私が育ててきました」
一旦の謝罪はしつつも、泰然も言を曲げなかった。一度咳払いをして言葉を切り、続ける。
「榊原さん。貴方の事情もよく考えているつもりです。20年余りもの間、行方不明だったご子息を探していたという事、そのご心労は察するに余りあります。しかし私にも、育ての親としての矜持と責任がある。…貴方の主張が事実だとしましょう。しかし彼と血縁関係にある事を、ここで証明できますかな?」
泰然の返答に榊原は、出生届は出ているだの、戸籍を見ればわかるだのと並べ立てるが、実物はと問うと言葉に詰まってしまった。見る見るうちに気持ちの悪い笑みは鳴りを潜め、代わりに冷や汗と青筋が顔を見せた。
父子の証明ができないこの時点、この場においては、榊原と樹希との関係性は他人も同然である。
「見る限り、荷物もお持ちでないご様子。今ここでは、そのような書類をお持ちではないのでしょう。彼の保護者としては、血縁を証明できない今の貴方に、はいどうぞと彼を引き渡すことはできません。続きは、諸々のご用意ができてから伺いましょう。今回の不法侵入に関しても咎める事は致しません。本日の所は、お引き取りを」
榊原からは、ぐうの音も出ない様子だった。身体をブルブルと震わせ、蒼白な顔をさせる彼は、その苛立ちを隠そうともせずに「…失礼する!」と吐き捨てて社務所を出て行った。宵華と樹希、泰然の3人で、彼が境内から出ていくまでを見送る。
榊原の背中が見えなくなった所で、ようやく樹希は身体の緊張を解くことができた。情けないことに、足が震えて立っているのがやっとのありさまだ。
「神主さん、ありがとう。…まさか、不審者のターゲットが俺だったなんて…」
「樹希…」
気づかわしげに樹希を支えてくれる宵華。泰然も樹希の頭に手をやり、話してくれる。
「気にするな。樹希、私はどんな時も、お前の味方だ。安心して頼りなさい」
「…うん、ありがとう」
昔。まだ樹希が小さかった頃はいつも、こうして頭を撫でられていた。まるで、あの頃に戻ったような気持ちだった。あの頃から幾分か痩せた手は、それでも樹希に安らぎを与えてくれた。
その頃、榊原は肩を怒らせて帰路についていた。今日、会社では重要な会議があった気もするが、どうせいつもと変わり映えのない報告会だろう。
自身の会社の些事よりも、息子の事で彼の頭は一杯であった。
「杏奈め、あんなものを用意しやがって…僕の立場はどうするつもりだ…!」
思考を巡らせる榊原の脳裏には、昨晩自宅で見つけた、妻が用意したのであろう離婚届の書類が浮かんでいた。もちろん破り捨てたし、そんなものを調達した女には躾をしておいた。
しかし、所詮は紙。何度でも用意できてしまうものだ。急いで証拠を揃え、あの忌々しい神主から我が子を回収しなければ。
ふと、自分の手に何かが絡まっている事に気づき、榊原は足を止めた。見ると、そこには数本の髪の毛。毛根も残っている。自分のものよりも長く、質も違うようだ。
今日接触した相手は、息子の悠人。あれを抱きしめた時に絡みついたのか。
「…そうだ、いい事を思いついたぞ」
頭に浮かんだアイデア。これならあれが息子だという証明も容易い。榊原はほくそ笑んだ。