11話.傷跡
2025/09/07 一部描写を若干変更しています。
社務所からの帰り。樹希と宵華は並んで宿舎への道を歩いていた。
宵華は普段、宿舎ではなく小酒館の宿直室を寝床に使っているのだが、当面は樹希と共に宿舎で寝泊りする事に決めたらしい。
不審者の存在が懸念される今、他に人のいない境内で生活する以上は致し方ない。
(普通の状況なら、ドキドキの1つでもするんだろうな…)
嬉しい偶然も、こんな不穏な状況下では素直に喜べない。樹希は複雑な心境であった。
「でも樹希、本当に泰然達の家で寝泊りしないで良かったの?」
宵華が尋ねる。樹希の、天野一家との確執は一旦置いておくべきではないか、という言外の問いも聞こえてくるようだった。
樹希としても、可能な限り固まって生活した方が安全だとは思う。しかし非常時とはいえ、あの家族の敷居をまたぐ資格が自分にあるのか。
「拾い子」「捨て子のくせに」「寄生生物」。天野家の事を考えるといつも、頭の中でリフレインする。
今となっては誰も口にしない言葉。泰然に至っては、そんな事を考えた事すらないだろう。頭では分かっているし、普段のやり取りを見れば分かる。耀だって、あの時既に和解しようと歩み寄ってくれた。
それでも心はいまだ、あの時の傷を引きずっている。物心ついた頃から蔑まれ続け、家族に拒絶され、挙句テレビでは自分を取り上げたかのような寄生植物の解説。幼かった樹希の心を歪ませるには、十分な質量だった。
あの日以来、樹希は泰然を父と、耀を弟と呼ぶ事が怖い。あの家に足を踏み入れる事ができない。
…資格などと恰好を付けたが、要は怖いのだ。彼らはきっと、喜んで受け入れてくれる。だから、後は自分を赦してやれるかどうか。それだけだ。
それだけの事が、この20年できずにいる。
「それでもいいんだけど…今度は宵華が1人になるだろ。それは俺が心配だ」
心の枷から目を逸らし、樹希は都合のいい言い訳を口にした。とはいえ、こちらも本心ではある。彼にとって宵華は、おこがましいかもしれないが同じ境遇に生きた仲間だ。寝食を共にするなら、彼女の方が樹希には気持ちが軽い。
「あら、私なら大丈夫よ。これでも400年以上生きてるんだから。今より危ない時代だってあったくらいよ?」
樹希の葛藤を知ってか知らずか、宵華が胸を張って答えた。狐耳も得意げにピコピコと動く。
「なんだそれ」
その様子に樹希は思わず吹き出してしまった。その内の数百年は引きこもっていたらしい人物が、何か言っている。
しかしおかげで、いつの間にか重く緊張していた身体が解れてくれた。やはり、宵華といると自分は肩肘張らずに済むようだ。
「笑わなくてもいいじゃない」とむくれる宵華に内心感謝しつつ、樹希は謝った。
「ごめんごめん。じゃあ俺に何かあったら、宵華が俺を守ってよ。逆に、お前に何かあったら俺が何とかする」
それでいいだろ?と話す樹希に、「まあ、そこまで言うんなら…」と宵華は口ごもりながら、目を逸らした。
目を逸らしながらも、彼女の尻尾は樹希の腰に優しく触れている。そっぽを向いたまま、宵華はぼそりと呟いた。
「私は、樹希を突き放す事はしない」
真剣な声音に、一瞬体が硬くなった。どうやら、先ほど考えていた事は見抜かれていたらしい。それほど顔に出ていただろうか?
「樹希はね。天野の家の話をする時とか、困った時には必ず袖口をいじるの。昔からそう」
長く接していると、その人の癖が見えてくるものだから、と宵華は続けた。その声は優しげで、しかし遠慮がちな、気遣わし気なものだった。
「私もついこの間まで、独りに囚われてた身だから、偉そうな事は言えないけどね。でも私も、樹希の傍にはいられるから」
「…宵華」
「ごめんね。わざわざ蒸し返すような話でもなかったね」
顔はこちらに向けず、宵華は話を切り上げた。しかしその暖かな尻尾は決して、樹希から離れる事はしなかった。
その時、一陣の風が吹いた。秋口にも関わらずどこかじっとりとした空気を運んできたそれは、何か良からぬものを招き入れてしまったかのような気持ちを2人に抱かせた。
2人の他には、境内には誰もいない。しかし得体の知れぬ感覚が拭いきれないのは、日が落ち切った薄闇の中、自分たちの輪郭が溶けかけているせいか。等間隔に灯っている弱々しい照明程度では、その形を取り戻すことができない。
2人は互いに自分の形を見失わぬようにと、手を繋いだ。指先を伝って互いの体温が伝わり、安堵する。
その温もりが寒々しい風に奪われぬうちにと、宿舎へ足を早めた。