10話.不穏の影
社務所は神社の入口にほど近く、鳥居の向こうにのどかな田舎の風景を望める。素朴ながらも立派な鳥居の立つ入口は西に面しており、2人が着く頃には落ちかけた夕日が鳥居から顔を覗かせ、境内を鮮やかな紅に染め上げていた。
「いつ見ても、ここからの夕日は綺麗なんだよな」
誰に話すともなく、樹希が呟いた。宵華もそれに頷く。
そうして夕日に見とれていると、ふと鳥居の下に見慣れぬ男の影が立っているのを見つけた。1人で参拝に来ていたのだろうその男は、境内に背を向けて遠ざかっていく。夕日の影になり詳細な顔立ちなどははっきりと分からないが、背格好や歩き方を見ても、やはり常連ではなさそうだ。
常連の参拝者が主な継寂乃杜において、顔を知らないというのはまあまあ目につく事ではあるものの、別段不思議な事でもない。
しかし、後ろから聞こえてきた言葉が樹希の意識に引っかかった。
「あの人、今日も来てるわね」
「そうだなあ…これで何日目だろう?別に参拝をしに来てるわけでもなさそうだし、よく分からないなあ。何をしに来ているんだろうね?」
振り返ると、毎日のように参拝に来てくれる常連の、田中さんご夫婦だった。通勤前や帰路でよく来てくれており、樹希とも顔なじみである。
「あの、その話、もう少し伺ってもいいですか?」
「え?あら樹希君。ごめんなさいね、変な事聞かせちゃって」
神職からの突然の横槍に若干の狼狽を見せた田中さん夫婦は、しかし快く話を聞かせてくれた。
田中さんが言うには、あの男性はここ1週間ほど、毎日のように神社へ来ている。早朝から夕暮れ…だいたい今の時間くらいまで、参拝をするでもなく、行き交う人々を眺めて回っているそうだ。
初日こそ「物珍しそうに境内を眺めて回ってるなあ」という程度の認識だったが、2日3日と同じような行動を繰り返している彼を不審に思うようになり、その視線も境内ではなく、人に向けられたものだと分かってきた。
他の参拝者も同様のようで、特に舐め回すように見られていた20代の若者たちは、怯えすらしていたようだ。
「今のところ、何もトラブルになってはいないし、なんとなく誰かを探しているようにも思えてね。神職の皆さんにも伝えるに伝えられなかったんだ」
こんなに続くなら、彼に一言注意でもしておけば良かったかな…と謝罪する旦那さんの頭を、樹希は上げさせた。
「とんでもない。それこそ要らぬトラブルにもなりかねませんでした。それで良かったです。伝えて下さって、ありがとうございます」
しかし、実害が出ていないとは言え、注意が必要のように思える。宵華を見ると、彼女も同じようだった。
「昔。似たような輩がいたわ。その時は、結局賊だったかな。侵略のために神社の構造とか、構成員の事を探ってたみたい。個人的には興味がなかったけど、結構大きな事件だったから覚えてる」
田中さん夫婦の背中を見送りながら、宵華は言った。無表情のようでいて、彼女の尻尾は逆立ち、耳もピンと張りつめたように緊張している。
時代が変わり、男の目的が別にあるとしても。これは今の彼女にとって、あまり看過したくない出来事のようだ。
もともと社務所には用があって来ていたわけだが、どうやら用事は1つ増えたようだ。
「不審者か…実はね、私たちのもとにも通報はあったんだよ」
泰然が難しい顔をして言った。当然といえば当然。1週間も同じ行動をしていれば、宮司の元へ何かしらの通報は行くだろう。
「しかし、特定の年齢層を狙っている可能性というのは新しい情報だ。樹希、伝えてくれてありがとう」
「とんでもない。でも、実害が出る前に何とかしたいな」
それが最大の問題だった。
不謹慎な話だが、何かしらの被害を受けた者がいれば、警察なり何なりに協力を求める事ができる。しかし現状、怯える者こそいはしても、実際に何かの損害を被っている者がいない。これでは、警察も動いてはくれないだろう。
「そうだね。2件3件と通報が入ってきた時点で警察には相談したんだが…やはり、実際に被害が出ていない以上、介入は難しそうだ。耀にも言い含めてはいるが、その不審者の情報を鑑みるに、樹希も耀も何か干渉される可能性は十分にあるからね。当面は気を付けておくんだよ」
泰然の言葉に、樹希はハッとなった。
言われてみれば、相手の目的は何も参拝者に限らない。自分を勘定に入れていなかったが、他人事ではないのだ。
思えば、田中さん夫婦も「20代の若者を舐めまわすように見ていた」と話していた。まさか、自分も気づかぬうちに…?
そこまで考えたところで、背筋に寒いものが走った気がした。
「言うまでもない事ですが…狐巫女殿も、どうかお気を付けください」
「忠告、痛み入るわ」
鳥居前で見せた硬い表情を崩さないまま、宵華も頷いた。
穏やかな空気から一転、剣呑な雰囲気が社務所内を漂っていた。