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墓を掘り返す者


 その墓地は密林の中にあった。最果てにある荒れ果てた漁村から、中年の徒歩で約三時間というところである。私は切れのいいスコップと大きなトランクを携えて行ったので、その目安よりも若干多くの時間を要した。この墓地はこの地方でもっとも古くから在るという噂で、葬られている遺体の中には、名のある人物も幾人か含まれていたはずだ。


 私がなぜこの地を訪れたのか、については、その多くを語らない方がいいだろう。人間の弱さが生み出す欲望にそそのかされて来ただけであり、それ以外の大した理由があるわけではない。私はすでに若くはない。もう老年を迎えつつあり、これから自分が行う汚れた行為が、例え世間の非難を浴びたとしても、あるいは、盗掘を第三者に見咎められて、警備兵に捕らわれる羽目になったとしても、特に深い後悔が生まれるわけではない。人間という生き物は、遅かれ早かれ、いつかは犯罪を犯すものである。この私にも、ついにその時期が来たというだけなのだ。


 実を言うと、私はすでに犯罪に手を染めている。この地へたどり着く以前の中継地の宿において、ひとりの老人を易々と刺殺した。その理由は自分がこれから行う、墓場荒らしという行為を、その老人に批判されたためである。だが、ただそれだけでは殺人には至らなかっただろう。本当のところは、その老人の外見とだみ声と威圧的な態度が気に喰わなかったのである。胸部が血まみれになったその惨殺死体を宿の小部屋に置き去りにして、私はその後の旅を続けてきた。人を殺すという行為は初めて体験するが、慚愧の念など特に湧かないものだ。


 この国に暮らす大多数の人間は、墓荒らしという行為を強く非難するが、それは自身が幸福であるからだ。家族があり、友人があり、潤沢な資産があるからである。私のような天涯孤独、無一文の身になってみれば、脅迫、強盗、殺人、裏切り、その他の犯罪が、自分にとっていかに身近なものかが理解できるだろう。家を持たぬ浮浪者は、何もしなければ、空腹に殺されてしまう。とにかく、今日一日を生き抜くことが大事なのである。若い時分であれば、凶器を握りしめて銀行や富裕層の邸宅にでも押し入ったであろう。しかし、齢五十を超えたこの肉体に、そのような力仕事ができるはずはない。犯罪の被害者に遺体を選んだのは、そのくらいの理由からである。私にはもう生存していくための選択肢が他に存在しないのである。私を批判する者たちも、やがて歳を取り、同様の境遇に立てば、きっと同じような心理に至り、同じような行動に走るはずである。


 そういえば、先ほど、この手にかけた老人が面白いことを話していた。


『墓荒らしなどをして、よしんば大金を手に入れたとしても、そんな汚れ切った人間に幸福な未来など待ってはいない。すぐにその身を滅ぼすだろう』


 その老人が最後まで握りしめていた拳銃は、確かにこちらを向いていた。しかし、発射はされなかった。発射されなかったはずだ、この通り、私は無傷で生きているのだから……。


 なるほど、彼の意見を正論と褒めたいところだが、そんなことで私の心の暗雲を霧散することはできない。この犯罪を潔く諦めた場合、私には自殺しか残されていないのだ。例え、あの爺が私を殺していたとて、その未来の行きつくところは、結局、殺人や強盗しか残されていなかっただろう。


 目的の墓地には紫色の霧が漂っていて、視界はかなり悪かった。しかし、どんなに酷い状況でも後に引くことはできない。私は墓地の中心へ続く細い道を慎重に進んだ。枯れたイチョウ並木の先に、白い礼拝堂が建っているのが見えていたが、その近くには人の気配はまったくなかった。


 このような奥地にまでたどり着くのは、おそらく自分だけだろう、という思惑は残念ながら外れていた。奥へ進んでみると、その広い墓地には、ふらふらと彷徨い歩くいくつかの人影があったのだ。しかしながら、それが人間であるはずはない。人間がこの地へ無事にたどり着くはずはない。消えかけた轍を頼りに進んで来たここまでの過酷な道のりは、私が一番よく知っている。彼らは成仏できぬ死体か、もしくは疲れ切った我が身がなせる幻想である。


 やがて、その人影のいくつかがこちらを見やった。奴らが亡霊だとしたら、ぐずぐずしてはいられない。選択の余地もない。黄泉に引きずり込まれる前に行動を起こさねばならない。私はナイフを握りしめ、彼らに斬りかかった。磨き抜かれた凶器が、ひとつの肉体に斬り込まれたはずなのだが、その人影は微動だにせず、倒れなかった。彼はこちらを振り向くと、不気味に笑った。


「そうか……、おまえもここまで来れたのか……。さて、どうしても、宝物が欲しいのであれば、三つの棺桶を開けてみるがいい。それ以降の盗掘は神への冒涜となり、必ずやおまえの身を亡ぼすであろう」


 男の姿はその言葉を残してかき消えた。周囲でこの様子を見ていた、他の影たちも、「開けてみな、開けてみな、怖くなければ開けてみな」という暗い声を残すと、やがて、夢幻となって消えていった。


 私はひとつの大きな墓石の前に立った。そこには『アジャラ二世ここに眠る』と彫られていた。過去の偉大なる王族なのかもしれないが、知ったことではない。ためらうことなく、その墓を掘り返してみた。しかし、その棺桶の中に遺体はなかった。土砂の中を手探りで掘り起こすと、いくつかの埋蔵品を探し当てることができた。金の鎖のついた懐中時計、モロッコ革の黒い財布(中には数十枚の旧紙幣)、豪奢な帯剣などである。私は夢中になって宝物を奪うと、震える両手でそれらを自分のトランクに詰めていった。これこそ望んでいた品々だ。これらはすでに過去となった偉人たちの役には、まったく立たないだろうが、今まさに生きている私の未来のためにはなるだろう。


「この国に多くの貢献を成した私の墓が、こんな凡夫に荒らされるとは……。恨めしい……」


 どこからか、そんな無念の声が聴こえた気がしたが、私はさして意に介さなかった。


 その隣にあった二つ目の貴族の墓も同じように荒らしてやった。プラチナの鎖腕輪、ダイヤのイヤリング、白銀のブレスレット、金を散りばめた鼈甲製の嗅煙草入れなどを発見した。戦利品が増えていくごとに、私はそうした不謹慎な行為に熱中していった。いつしか、有頂天になっていた。これらの宝物を町まで持ち帰って換金すれば、しばらくは働かなくてもいいくらいの暮らしができる算段が立ってきた。この盗掘の現場さえ誰にも見られなければ、明日からは普通の市民として立派に生活していけるようになるだろう。


 そこから少し進んだ草葉の陰に、三つ目の墓を見つけた。花崗岩で造られた今度の墓石は、ずいぶん新しいもののように思えた。だが、ここに埋められている人物の名前は、どこにも見当たらなかった。夜明けはすぐそこまで近づいていた。付近の住民どもに我が姿を見られることを恐れ、急いでその墓地を掘り進めた。しかし、その墓の地下を掘り進めるごとに不思議な感覚に襲われるようになっていた。土砂は何者かによって綺麗に整えられており、棺桶は染みや傷も少なく、まだ新品のようで、まるで、ついさっき埋められたような雰囲気であった。しかし、古い棺も新しい官も、盗掘という最悪の行為の前には何の関係もない。どのような不安感も私の欲望を止めることはできない。私はその棺桶の蓋を勢いよく開けてみた。


 その内部には胸を刺し貫かれた老年の男性の遺体が収められていた。その顔には見覚えがあった。先日、私が自分の手で刺し殺した宿屋の爺に違いなかった。今度こそ凍りつくような寒気に襲われた。息が止まる思いだった。私は恐怖を押し殺そうとするように、その棺の蓋をすぐに閉じた。私より先にここにたどり着いた者がいるとは考えられず、この男がどのようにここに運ばれたのかは、まったく不明だった。誰かが自分の背中を見つめているような気がして振り返ったが、背後の木の枝には、不気味な目つきをしたカラスたちがとまっているだけだった。私はいたたまれない気持ちになり、すぐにこの地から立ち去ろうとした。しかし、棺桶の中からは、暗いがよく徹る悪魔のような声が響いてきた。


「どうせなら、棺桶をもうひとつ開けていきな。あんたは欲望よりも真実が欲しいんだろう?」


 その言葉の意味はすぐには分からなかった。まだ、埋められる前と思しき、四つ目の棺桶の蓋が、そのすぐ隣に見えていた。私はそれを無視して逃亡することも考えた。しかしながら、真実を望む自分の手は、その桐の箱の蓋にまで自然と伸びていた。不思議だ、この上なく恐ろしいのに目の前の棺桶から逃げることは叶わないような気がしていた。この頃になると、自分という者の存在にまで疑問を持ち始めるようになっていた。私は呼吸さえも押し殺し、その四つ目の棺桶を開いた。


 もちろん、その内部には拳銃の弾丸に胸を貫かれた自分の遺体が横たわっていた。これがすべての真相であった。『彼は』死の恐ろしさに目を見開き、その口元からは、未だに真っ赤な血液が溢れ出ていた。そうか、銃は撃たれていた。私はあの時すでに死んでいたのだ。盗掘のためではない。自分の墓場に収まるために、ここまで旅をしてきたのだ。そう思い至ったとき、私の肉体は、まるで粘土のように溶けていき、役目を終えた亡霊のひとりとして、この墓地の地下に気体となって吸い込まれていく。思えば、この呪われた地は命ある者を許さないはずだ。例え、どんな強靭な人間であっても、永久にここから逃れることは叶わないのだ。

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。他にも多くの短編小説がありますので、良かったらご覧ください。よろしくお願いします。

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