9 智花が花粉症になった
智花が花粉症になった。去年までは花粉症じゃなかったのに、今年から花粉症になってしまった、と智花の母さんが困っていた。花粉症になった智花は、僕の部屋に来てくしゃみをするから、テレビの音が聞こえなくて、僕もとても困っていた。
いまも僕は椅子に座ってテレビを見ているが、さっきから智花が絨毯に寝転んでくしゃみばかりしているので、うるさくて困っていた。
「智花」
「はっくちん」
「出てけ」
「はっくちん」
最近の智花はくしゃみばかりするので、箱ティッシュを持って生活している。マスクをしているが、マスクをしたままくしゃみをするとマスクが使用不能になるので、智花はマスクをあごにしていた。智花の鼻は赤くなって、しかもばりばりになっていた。
「わたし、去年までは花粉症の人のことを馬鹿にしていたけど、今年からは馬鹿にしないことを誓うわ」
「ここから、出ていけ」
智花は寝転んだまま僕を見た。
「どうして、そんなひどいことを言う」
「智花のくしゃみがうるさくて、テレビの音が聞こえないときがあるから」
「我慢して」
「もう我慢できない。花粉症が治るまで、智花には部屋に来てほしくない」
「だったら、伸時もくしゃみをすればいいわ」
智花はティッシュを一枚抜いて、角を丸めて尖らせて、僕に見せた。
「こよりができた」
「まさか……」
智花は僕の座っている椅子の前に膝をついた。
「こよりで、伸時の鼻の中を刺激するわ」
「やめて」
「こわいの」
「こわい」
「くらえ」
智花は僕の鼻にこよりを突っ込んだ。僕は目を細くして、口を開いた。
「へっしょーい」
僕はくしゃみをした。
「へっしょーい、へっしょーい」
僕はくしゃみを連発した。智花の箱からティッシュを抜いて、鼻をかんだ。
「わたしの苦しみを、思い知ったか」
「思い知った」
僕は智花の箱からティッシュをもう一枚抜いた。こよりを作った。
「悔しいから、智花の鼻の中も刺激する」
「やればいいわ」
僕は智花の鼻にこよりを突っ込んだ。智花も僕の鼻にこよりを突っ込んだ。智花は変な顔をした。
「はっくちん」
「へっしょーい」
智花は新しいティッシュで鼻をかんだ。僕も新しいティッシュで鼻をかんだ。
「これは、思っていたよりも、楽しいわ」
「僕も、そんな気がしてきた」
僕は智花の鼻にこよりを突っ込んだ。智花も僕の鼻にこよりを突っ込んだ。智花は変な顔をした。
「はっくちん」
「へっしょーい」
智花は新しいティッシュで鼻をかんだ。僕も新しいティッシュで鼻をかんだ。
「なんだか、とても罪深いことをしているような気がするわ」
「僕も、そんな気がしてきた」
「禁じられた遊び」
「きっと、罰が当たる」
「このままだと、明日は腹筋が筋肉痛だわ」
「それだけで済めばいいけど」
「何か、心配事があるの」
「肺を痛めるかもしれない」
僕は身震いをした。智花も身震いをした。
「お祓いに、行かなくちゃ」
「それがいい」
僕は椅子から立った。
「でも、神社には、スギ花粉が舞っているから、やっぱり行かないことにするわ」
智花はふいうちで僕の鼻にこよりを突っ込んだ。
「へっしょーい」
「あ」
智花が自分の右手の甲を見た。
「くしゃみが、手にかかったわ」
「ごめん」
智花が僕の顔の前に手を出した。
「拭いて」
「それは、できない」
「伸時のくしゃみよ。拭いて」
「智花の手を拭くと、僕が智花の下僕みたいな気持ちになるような気がするし、そうなると屈辱的だから、できない」
「拭いて。わたしの手を拭いて」
「できない」
「早くしないと、手が溶ける」
「僕のくしゃみは、弱アルカリ性だから、手は溶けない」
でも智花は痛そうだった。顔色が悪くなっていた。
「かゆい。いたい。いたがゆい。指の骨が、折れてしまう」
「どうして、くしゃみがかかっただけで、骨折をすると思う」
「くしゃみがどんどん固まって、空気中の何かを吸収して、鉄よりも重くなるの。そうなったらもう手遅れ。わたしの指は耐えられない。複雑骨折で、もう二度と治らない。だから助けて。早く助けて」
僕は慌てて、ティッシュで智花の手を拭いた。
智花は指が折れなくて済んで、ほっとしていた。




