5 僕と智花はシベリアン・デス・マウンテンに向かった
僕と智花はシベリアン・デス・マウンテンに向かった。シベリアン・デス・マウンテンはシベリアワールドの目玉アトラクションなので、シベリアワールドの中心地点にあった。シベリアン・デス・マウンテンは、高さ百メートルからほぼ垂直に落下して、池の中に突っ込んで、池から上がったとたんにレールが途切れていて、ジャンプするようになっていた。そしてそこからまた落下してスピードを上げて、四連続回転をする仕組みになっていた。
シベリアン・デス・マウンテンを見上げた僕と智花は、開いた口がふさがらなかった。
「すごい……」
「すごいわ。シベリアン・デス・マウンテンは、やっぱりすごいわ」
「こんな器具に乗ることができるなんて、わくわくする」
「わたしも、一秒でも早く、処刑されたいわ」
僕と智花はシベリアン・デス・マウンテンに乗る順番を待つ列に並んだ。看板を見ると、ただいま九十分待ち、と書いてあって、待つのがもどかしく感じられたが、今日は日曜日なので、おとなしく列に並んで九十分待つことにした。僕と智花はそれほどおなかが空いていなかったが、並んでいる間におなかが空くといけないので、ピロシキを買って、ピロシキを食べながら列に並んだ。
列に並んでピロシキを食べて、十分ほどは、僕も智花も喋らなかったが、十分経ったら智花が喋りだした。
「さて、ここで、わたしがどうして、電車の中で、伸時の膝にグランドタイガーを連発したかを、説明するわ」
「たのむ」
「わたしは、伸時があのとき、小池くんに、小池くんは彼女がいるか、と聞いたから、ああ、これはまずい、伸時の口を封じないと、まずいことになってしまう、と考えて、グランドタイガーを放ったの」
「どうして、智花は、僕が小池くんに、小池くんは彼女がいるか、と聞いたことを、まずいと考えた」
「わたしが今日シベリアワールドに来たのは、シベリアン・デス・マウンテンに乗るためだということは、さっきばれてしまったけれど、でも、瑞歩と小池くんをくっつけたいのは、ほんとうなの」
「うん」
「そのためにわたしは、瑞歩と小池くんをくっつける計画を立てているの」
「なるほど」
「そして、小池くんに彼女がいないのは、わたしはすでに調べてあるの」
「そうだったのか」
智花はうなずいた。
「もしさっきの電車の中で、小池くんが伸時に、僕はいま彼女はいないよ、なんて言ったりしたら、伸時はそれを聞いて、なんて言うつもりだったの」
僕は頭の中でその会話をシミュレーションした。
「僕は、小池くんに、だったら瑞歩と付き合ったらどうか、と尋ねたと思う」
「そんなことになってしまうと、わたしの計画は台無しなの。でもわたしは、伸時にそれを直接言うわけにはいかなくて、だからわたしは、伸時の口を封じるために、グランドタイガーを放ったの」
「そうだったのか」
「そうだったの。でも、伸時には、悪いことをしたと思っているわ。わたしのグランドタイガーのせいで、伸時がサッカーができなくなったら、わたしは、一生伸時に合わす顔がないから」
智花はしょんぼりした。僕は智花の肩をぽむぽむ叩いた。
「そんなに、気にしなくてもいい」
「伸時……」
「グランドタイガーは痛かったけど、もうひとりで歩けるくらいに回復したし、明日になったら走れるから、選手生命に影響はない。ほんとは少し怒っていたけど、理由を話してもらえたから、怒る理由はもう何もない」
「そう言ってもらえると、気が休まるわ」
「それで、智花が考えた、瑞歩と小池くんをくっつける計画は、どんなの」
「わたしは、わたしと伸時と瑞歩と小池くんの四人で観覧車に乗るふりをして、先に瑞歩と小池くんを観覧車に乗せて、わたしたちは乗らずに閉じ込めちゃおうと考えている」
「なるほど」
「観覧車が一周するころには、瑞歩と小池くんはくっついている」
「なるほど」
「この考えはどう」
「策士」
「ということは」
「グッドアイデア」
「夕方か、夜になったら、計画を実行に移すわ。そのほうが、ロマンチックだもの」
「すごくいいと思う」
「でも、いまは、とにかく、シベリアン・デス・マウンテンが、楽しみだわ」
「楽しみだ」
九十分後、僕と智花は、とうとうシベリアン・デス・マウンテンに乗ることになった。シベリアン・デス・マウンテンは四人並びの列が十個つながっていて、僕と智花はその六番目に案内された。手荷物をかごに入れてから、智花が右端に座って、僕が智花の隣に座って、僕の左に座った二人は知らない人だった。
僕と智花はシートベルトをきちんと締めた。
智花は、どうしてか、少し残念そうにしていた。
「どうした、智花、怖じ気づいたか」
智花は首を振った。
「わたし、一番前がよかったのに」
「贅沢を言ってはいけない。何番目に座るかは運だから、いまは六番目でも、いつか一番前に座れる日が、きっとくるから」
智花は僕をじっと見た。
「そうね、わたしが間違っていたわ。真ん中が好きな人もいるくらいだから、六番目でも、楽しいわ。それに、これは、あのシベリアン・デス・マウンテンだから。ずっと乗りたかった、シベリアン・デス・マウンテンだから」
ビビビビビ、という音が鳴って、シベリアン・デス・マウンテンが始動した。シベリアン・デス・マウンテンはホームから外に出て、ぐんぐんレールを上っていった。周りに見えるどの建物より、高いところまで上っていった。
「すごい、すごい、智花、すごい。観覧車が、下に見える」
「やばいわ、伸時、わたし、いまさら、かなり怖くなってきたわ」
「下から人が、いっぱい見ている」
「公開処刑」
「公開処刑」
シベリアン・デス・マウンテンは、さらにレールを上っていった。これ以上上ったら危険だというところを越えても、上っていった。
「これは、スキージャンプでたとえると、フライングヒルだわ」
「K点のKは危険のK」
「K点のKは危険のK」
とうとう一番前が下り始めたらしく、僕と智花は混乱した。
「落ちる、落ちる、いまにも落ちるわ」
「怖い、怖い、乗るんじゃなかった」
「死んでしまう、死んでしまう、伸時と一緒に死んでしまう」
「止めろ、止めろ、止めることができるなら止めろ」
ついにシベリアン・デス・マウンテンがすごいスピードで下り始めた。それは、父さんだったら髪の毛が全部抜けて後ろへ飛んでいきそうなほどの、すさまじいスピードだった。
「うわー」
「きゃー」
シベリアン・デス・マウンテンはほぼ垂直に下って、池の中に突っ込んだ。実は池にはトンネルができていて、シベリアン・デス・マウンテンはトンネルの中を通ったので、僕も智花も誰も濡れなかった。トンネルを抜けると、レールが途切れた部分なので、シベリアン・デス・マウンテンは飛んだ。前のほうは新しいレールに乗ったけど、後ろの三列くらいは乗らなくて、シベリアン・デス・マウンテンは少し後ろに下がり始めた。あまりの恐ろしさに、僕は智花のふとももを掴んだ。智花も僕のふとももを掴んだ。でもシベリアン・デス・マウンテンを電気の力がフォローして、再び前に進み始めて、僕と智花はほっとしたが、それからシベリアン・デス・マウンテンは一度も減速せず、予定どおり四回転して、ねじれながら落ちたりして、ドリルみたいになっていって、そのうちどう動いているのかすらわからなくなって、最後にまたスピードアップして、ホームに戻った。
シベリアン・デス・マウンテンが止まってからも、僕と智花は、しばらく動くことができなかった。
「あ、あああ……」
智花は口を開けて震えていた。
「智花…、生きているか……」
僕の声も震えていた。
智花は震えながら僕を見た。
「伸時……」
「うん……」
「伸時……、泣いてるわ……」
僕は目をこすった。目をこすった指に涙がついた。
シートベルトが自動で外れて、僕と智花はシベリアン・デス・マウンテンから降りた。シベリアン・デス・マウンテンから降りた智花は、よろめいて、倒れそうになっていた。僕は智花の体を支えようとしたけど無理で、智花より先に倒れてしまった。見ると、他の人たちも、のたうち回ってもだえていた。でも他の人たちの心配をしている余裕なんて、僕と智花にはあるはずがなかった。
智花はよろよろと立ち上がった。
「これは……、想像をはるかに超える、とてつもなく恐ろしい器具だわ……」
僕もよろよろと立ち上がって、うなずいた。
「こんなに怖かったのは、九歳のときに、智花の母さんが大事にしていた……、あ」
「それは、言わなくてもいいけど、わたし、きゃー、って悲鳴を上げたのは、たぶん、初めてだわ」
「僕も、初めて聞いた気がする」
僕と智花は階段の手すりに掴まって、なんとか地上へ降り立った。
「乗ってから考えると、こんな恐ろしい器具に乗せられた人が、一年間にひとりしか死なないなんて、逆に人間の生命力のたくましさに感心させられてしまうわ」
「まったく、智花の言うとおりだ」
僕と智花は、フェンスの前のゴミ箱の隣のベンチになんとかたどり着いて、座った。
「乗ってから考えると、こんな恐ろしい器具に何十回も連続で乗せられた悪いことをした人が、死ぬんじゃなくて、生きたまま死ぬというのは、まだラッキーなんじゃないかと思えてくるわ」
「まったく、智花の言うとおりだ」
僕は目をこすった。
「伸時、いつまで泣いているの」
「だって、すごく、怖かったから。泣かない智花は、えらいと思う」
「わたしは、涙も涸れ果てたわ」
「言い方が、かっこいい」
僕はベンチに手をついて、空を見上げた。太陽が目に染みた。
「このまましばらく休んだら、これからのことを、考えよう」
「考えよう」
「伸時は、もうシベリアン・デス・マウンテンには、乗りたくない?」
「智花は、もうシベリアン・デス・マウンテンには、乗りたくない?」
「じつは、そんなことはないわ」
「僕もじつは、そんなことはない」
「だったら、考えるまでもないわ」
「そのようだ」
「このまましばらく休んだら、もう一度、シベリアン・デス・マウンテンに乗ろう」
「そうしよう」
「そうしよう」