3 僕と智花と瑞歩と小池くんは特急電車でシベリアワールドへ向かった
僕と智花と瑞歩と小池くんは特急電車でシベリアワールドへ向かった。シベリアワールドは貝田野市にあるのだが、金宮町の駅から貝田野市のシベリアワールド前駅までは、特急電車で一時間ちょっとかかるとのことだった。日曜日なので、電車の中は混んでいて、最初は僕も智花も瑞歩も小池くんも座れなかったが、三つ目の駅で僕の前に座っていた人が二人降りたので、僕は早い者勝ちだと思って、椅子に座った。僕の隣には瑞歩が座った。小池くんが、伸時くん、と手招きをした。
「こういうときは、女の子を座らせてあげないと、だめだよ。智花ちゃんに席を譲らないと」
「え」
僕は驚いた。そんな決まりがあったなんて知らなかった。
「そうなのか」
「そうだよ」
「智花、そうなのか」
智花はゆっくりとうなずいた。
「じつはそう」
「僕はこれまで、智花と電車移動するときは、ばんばん席を取ってきたけど、それは間違いだったのか」
「じつはそう。伸時は、わたしの席を取るたびに、周りの人から、ああ、何か残念な子だわ、今日はすごくいやなものを見ちゃったわ、って、思われていたのよ」
「そうなのか」
「そうなのよ」
僕は椅子から立った。智花は僕が立った椅子に座った。僕は左手でつり革を掴んだ。
「伸時、ありがとう」
「めっそうもない」
智花と瑞歩は座ったままで話をはじめた。僕は小池くんと立ったままで話をはじめた。
「小池くんと話をすると、勉強になるようだ」
「めっそうもないよ」
小池くんは、僕の発言を堂々とぱくったうえで笑った。
「小池くんは、何組だ。僕は二組だ」
「僕は四組だよ。智花ちゃんと瑞歩ちゃんと一緒だよ」
「ということは、智花と瑞歩と小池くんは同じクラスで、僕だけが二組なのか」
「そうだよ」
「小池くんは何部だ。僕はサッカー部だ。ポジションは、右サイドバックの控えだ」
「僕はNASA部だよ」
「なさぶとは、何の部だ」
「アメリカ航空宇宙局についての研究をするクラブだよ。山田くんは、ジェミニを知ってる?」
「ジェミニ計画か」
「あれ?知ってるんだね」
「スカイラブのラブは、ラボトラリーの略だということも知っている」
「ラボトラリーじゃなくて、ラボラトリーだよ」
「それにしても、NASA部という部があることは知らなかった。部員は何人いるのだ」
「二十人くらいかな」
「そんなにか」
「みんなNASAが好きなんだよ」
「小池くんは、ラーメンが好きか」
小池くんは苦笑いをした。
「僕は初対面の人全員に、その質問をされるよ」
「気を悪くしたか」
「めっそうもないよ。僕は小池だからね。ラーメン大好きのイメージを持たれるのはしょうがない。でもさ、伸時くん、ラーメンが嫌いな人って、そんなにはいないよね」
僕はラーメンが嫌いな人を思い浮かべようとした。ラーメンが嫌いな人はひとりも思い浮かばなかった。
「ラーメンが嫌いな人は、僕の知り合いでは、ひとりもいない」
小池くんは満足そうにうなずいた。
「僕もラーメンが好きだよ。でも、大好きで毎日食べるほどじゃないし、行列に並んでまで食べたいとは思わない。普通に好きだよ」
僕は思わずうなった。
「小池くんは、僕の友達にはいないタイプのようだ」
「伸時くんも、僕の友達にはいないタイプだよ」
「今日が終わった後も、仲良くしてくれるとうれしい」
「僕もそう思うよ」
小池くんは僕に手を差し出した。僕と小池くんは握手をした。それで僕と小池くんは、かなり打ち解けたことがわかった。
「小池くんは彼女はいるか。僕は智花と九年半も付き合っている」
「タイガー」
「あう」
いきなり、僕の前に座っていた智花が、僕の膝を両手で殴った。
「タイガー、タイガー」
「あう、あう、智花、やめろ、何故電車の中で、タイガーショットを放つ」
「ちがう。これは、グランドタイガー」
「あう、何故電車の中で、グランドタイガーを放つ」
瑞歩が、くくっ、と笑った。
「智花は、伸時くんが小池くんとばかり喋ってて、智花と喋ってくれないから、機嫌が悪くなったのよ」
「智花はご機嫌斜めなのか」
「ちがう。わたしは、グランドタイガーの練習をしているだけ。タイガー、タイガー」
「あう、あう」
一時間ちょっとで貝田野市のシベリアワールド前駅に着いた。そのころには僕の膝はぼろぼろになっていたので、僕は小池くんに肩を支えてもらいながら、どうにか改札をくぐることができた。
小池くんは僕に気をつかった。
「伸時くん、大丈夫?」
「ひどい目にあった」
「大変だったね」
僕はうなずいた。
「まるで、拷問のような時間だった」
僕は足を引きずっているのに、智花は瑞歩を引きずって、どんどん先を歩いていって、シベリアワールドの入り口の前で止まっていた。僕と智花と瑞歩と小池くんのなかでは智花がいちばん楽しそうにしていたので、僕は、智花は瑞歩と小池くんをくっつけるという口実で、シベリアワールドに来たいだけだったのではないかと疑った。
「すごいわ。シベリアワールドは、やっぱりすごいわ」
智花が興奮していた。興奮している智花は、僕が追いつくのを待ってから、尋ねてもいないのに、僕にうんちくを述べ始めた。
「この、貝田野シベリアワールドは、ノヴォシビルスク、モスクワ、ヘルシンキ、レイキャビークに続いて、世界で五番目に作られたシベリアワールドなの」
「なるほど」
「シベリアワールド発祥の地であるノヴォシビルスクは、寒いときはマイナス四十度くらいになるの」
「マイナス四十……」
僕は首を縮めた。
「そのため、この、貝田野シベリアワールドでも、開園当初は園内の気温をマイナス四十度に保っていたの」
「でも、そんなことをしたら」
智花はうなずいた。悲しそうな顔をした。
「お客さんが、あまり来なかったの」
「そんな悲しい過去があったのか」
「そう。だから、シベリアワールドの経営者が妥協して、園内の気温を常温で保つようにしたの。そうしたら、大繁盛して、いまでは、日本五大テーマパークのひとつに数えられるまでになったのよ」
「いい話」
僕と智花と瑞歩と小池くんは、シベリアワールドの一日フリーパスを四千五百円で買った。一日フリーパスは青色で、手首に巻くもので、切らないと取れないタイプのものだった。
シベリアワールドの中に入る前に、智花は右手に巻かれたフリーパスをじっと見た。
「どうした、智花」
智花は僕をちょっと見た。
「小学生のとき、遠足で遊園地に行くと、次の日も、フリーパスをつけている子が、クラスに三人はいたわ」
「そういえば、いた」
「わたしも、その三人のうちのひとりだったわ」
「僕も、その三人のうちのひとりだった」
「もうひとりは、誰だったの」
僕は考えた。智花も考えた。
「僕は、思い出せない」
「わたしも、思い出せないわ」
僕は身震いをした。智花も身震いをした。
「もうひとりは、どこに行ったの?」
「わからない」
「もうひとりは、何者なの?」
「わからない」
「もうひとりは、ほんとうに、この世に存在していたの?」
「わからない。何が何だか、わからない」
「なんだか、ここが、マイナス四十度のシベリアワールドのような気がしてきたわ」
「ホラー体験」
「ホラー体験」
気がつくと、瑞歩と小池くんが、すでにシベリアワールドの中に入っていた。
「智花、瑞歩と小池くんが、すでにシベリアワールドの中に入っているから、僕たちもシベリアワールドの中に入ろう」
「そうね。あんまり怖いことを考えると、夜、家の階段を上れなくなるわ」
「智花はまだいい。エリカがいるから、エリカと一緒に階段を上れば、こわくないし、おもしろい。僕はひとりで、階段を上らないといけない」
「じゃあ、伸時が階段を上るときは、エリカを貸してあげるから、電話して」
「わかった」
「エリカが、ひとりで伸時の家に入れるように、玄関の鍵は、開けておいて」
「わかった」