2 日曜日なので朝からランニングをした
日曜日なので朝からランニングをした。公園で六日ぶりに見た死んだカラスは六日前より毛並みが悪くなっていた。黒が汚れて、白っぽくなっていた。ちょっとかわいそうだったけど、死んだカラスが死んだのはもう三ヶ月も前のことだと思うから、仕方がないことかもしれなかった。
家に帰ったら、智花が僕の家のインターホンを何回も押していた。すでに父さんが玄関から出てきているのに、智花はインターホンを押し続けていた。
僕は智花の肩を叩いた。
智花は振り向いて僕を見た。いらいらしているみたいに見えた。
「どこほっつき歩いてた」
「サッカー部が休みだから、ランニングをして、死んだカラスを見てきた」
智花は僕の肩を突き飛ばした。僕は後ろによろめいた。
「こんな日にか」
「日曜日だから」
「瑞歩と、小池くんと、シベリアワールドに行くのを忘れたか」
「智花ちゃんと伸時、シベリアワールドに行くの?父さんも、行きたいぞ」
「忘れてない。いまから行く」
僕は家の中に入った。智花も家の中に入ってきた。僕がシャワーを浴びて着替えが終わるまで、智花は母さんと話をしていたようだった。
「おまたせした」
「おそい」
智花は僕をにらんだ。
「十時に、金宮町の駅にいないといけないのに、あと二十分しかない。どうしてこんな日に、走ったりする」
「僕は控えの右サイドバックだから、本物の右サイドバックが休んでいるときにも練習しないと、本物の右サイドバックになれないから」
「もう、走らないと、間に合わない」
「父さんに言って、車で送ってもらえばいい。父さん」
父さんがのこのこ歩いてきた。僕は父さんに、父さん、金宮町の駅まで車で送って、と頼んだ。
父さんはやっぱり智花を見た。智花は父さんから目をそらした。
「智花ちゃんが、おじさんの頭のてっぺんの薄くなりかけのところに、ふーって息をかけてくれたら、車で送ってあげるよ」
父さんはにやにやした。
智花が頭を抱えた。
「おじさん……、昔は、もう少しまともだったのに……」
「父さん、目を閉じて」
父さんは目を閉じた。
僕は父さんの頭のてっぺんの薄いところをふーってした。
父さんは、智花が父さんの頭のてっぺんの薄いところをふーってしてくれたと思ったみたいで、僕と智花を金宮町の駅まで車で送ってくれた。
それでも金宮町の駅に着いたのは十時十分だったので、すでに瑞歩と小池くんが、僕と智花を待っていた。僕が瑞歩と小池くんに会うのはこれが初めてだったけど、智花が迷わず近づいていったので、僕はその二人が瑞歩と小池くんだということがわかった。瑞歩は思ったよりも髪の毛が長くて、小池くんは思ったとおり背が低かったが、二人ともやさしそうな顔をしていた。瑞歩と小池くんは二人きりだったので、かなり気まずそうだった。智花が、瑞歩と小池くんに、遅れてごめんなさい、と謝った。僕も、瑞歩と小池くんに、遅れてごめんなさい、と謝った。瑞歩は、作り笑いをしていた。小池くんは、いいよ、いいよ、気にしないで、と顔の前で手を振りながら微笑んでいた。そして智花の左側をちらりと見た。智花の左側には、父さんが立っていた。左側に父さんが立っているので、智花はかなりいらいらしていた。
智花が僕に耳打ちをした。
「伸時、このままだと、おじさんがついてきて今日が台無しになってしまうから、早くおじさんを追い返して」
「わかった」
「ほんとうに、早くして。この会話をしていることすら、めんどくさい」
「わかった」
僕は父さんを見た。父さんは、にやにやしていた。
「父さん帰れ」
「え」
父さんはびっくりした。僕が父さんに命令をすることは滅多にないことなので、父さんはかなりびっくりしていた。
「父さんがいると、みんなの楽しい気持ちが台無しになるから、早く帰れ」
「え」
父さんはおろおろした。智花は父さんをにらんでいたけど、瑞歩と小池くんは、そこまで言わなくても、という感じの顔をしていたので、僕も言い過ぎたような気がしてきた。
「おみやげを買ってくるから、今日は家に帰れ」
父さんはしばらく考えていた。
「智花ちゃんも、おじさんにおみやげを買ってきてくれる?」
智花がすごく嫌そうな顔をした。智花が、買ってこない、と言いそうだったので、僕は智花の右足の外側を軽く蹴った。智花は嫌そうな顔で僕を見てから、父さんに、買ってくる、と言った。
父さんはうれしそうに、何回も飛び跳ねた。
「やったー、やったー、智花ちゃんは、おじさんに何を買ってきてくれるの?」
「3Dメガネを買ってくるわ」
「伸時は、父さんに何を買ってきてくれるの?」
「僕も、3Dメガネを買ってくる」
「それでおじさんは、合わせて6Dのおじさんになるわ」
「6Dって、どれくらいすごいの?」
「ギネス級にすごいわ」
父さんは何故か褒められたと勘違いしたみたいで、照れていた。首の後ろを手でかいていた。
「じゃあ、楽しみに待ってるよ。智花ちゃん、伸時、瑞歩、小池くん、いってらっしゃい」
父さんは車に乗って帰って行った。僕は切符を買いに行こうとしたが、智花は首をひねっていた。
「どうした、智花」
智花はぼんやりした目で僕を見た。
「おじさんは、どうしてか、瑞歩と小池くんの名前を知っていた」
「そういえば」
「どういうことだと思う」
僕は考えた。考えていたら、わかった気がした。
「これは、言わないほうがいいかもしれない」
「どうして」
「智花にとって、とてもつらいことだから」
「覚悟はできているわ。言って」
「父さんは、智花の部屋を盗聴している」
智花はぶるぶると震えた。
「そんなことが……」
「それだけなら、まだいいけど」
「どういうこと」
「父さんは、智花の部屋を盗撮しているかもしれない」
智花は両手で口を押さえた。そのまま倒れそうになっていたので、僕は、智花の背中に手を添えた。
「吐きそう……」
「まだわからない。違うかもしれない」
「ううん。あのおじさんなら、やりかねない。わたし、いつかはこんなことになると、思っていたの……」
「智花は、気分が悪い?」
「わたしは、気分が悪い」
「気分が悪いときは、ベンチに横になるといい」
智花はかすかにうなずいた。
「ベンチまで、つれていって」
僕は智花の肩を支えながら、ベンチまで歩いて、ベンチに智花を寝かせた。瑞歩と小池くんは、心配そうな顔をしていた。瑞歩が、伸時くん、智花はどうしたの?、と僕に聞いた。僕は、自分の父さんが盗撮をしていたなんて言うのが恥ずかしかったから、智花は車に酔ったのだ、と答えた。小池くんが何かを言いかけたところで、智花ががばっと起き上がった。
「そういえば、わたし、さっき伸時の家の前で、瑞歩と小池くんの名前を口に出したわ」
「そうだっけ」
「うん。『瑞歩と小池くんとシベリアワールドに行くの忘れたか』って言ったわ。それで、おじさんがついて来ちゃったから、間違いないわ」
「ということは、父さんが瑞歩と小池くんの名前を知っていたからといって、父さんが智花の部屋を盗撮していたことにはならない」
「そう。でも、盗撮していたとしてもおかしくない。あのおじさんだもの。むしろ、盗撮していないほうが不自然」
「でも、いくら父さんでも、智花の部屋を盗撮していたのがばれたら、智花の家との関係がぎくしゃくするから、そこまではしないような気がする」
「伸時は、おじさんを信じるの?」
「うん」
「どうして」
「僕の父さんだから。それに、いままでは言わなかったけど、父さんが、昔から智花のことをかわいく思っているのは変わらないし、智花が思春期になったから、だんだん気になるようになっているだけかもしれないから、父さんは盗撮をしていないと思う」
智花は腕を組んで考えていた。
「智花は、父さんが嫌い?」
「わたしは、おじさんが嫌い」
「やっぱり」
「でも、顔も見たくないほど嫌いでもないわ」
「やっぱり」
「帰ったら、コンセントカバーを外してみるわ。何もなければ、おじさんは無実」
「それがいい」
瑞歩と小池くんは、早くシベリアワールドに行きたそうだった。