15 僕と父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんと智花は夕食を食べはじめた
僕と父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんと智花は夕食を食べはじめた。夕食は海老とか、海老に黄色い花がのっていたりして、おいしかった。父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんは、たくさんのビールを飲んだ。父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんは、僕と智花にもビールを飲ませようとした。僕は真面目なのでビールを飲まなかったけど、智花はそんなに真面目じゃないので、少しビールを飲んでいた。食べるものがなくなっても、大人たちはビールを飲んでいたので、僕はうっとうしくなってきて、窓際の椅子に移って、外を見ていた。しばらく外を見ていたら、窓ガラスに智花の姿が映ったので、僕は智花を見た。
智花は僕の前の椅子に座った。
「伸時」
智花はビールを飲んだので、顔が赤くなっていて、さっきまでよりもっとすごいことになっていた。
「なに」
「散歩に行きたい」
「行けばいい」
「伸時も行こう」
「どうして」
「わたしは、夜の温泉街を浴衣で歩くのが、やってみたい」
「やってくればいい」
「だから、伸時も行こう」
「いやだ」
「どうして」
「外に出ても、たぶん、そんなにおもしろいものはみつからないと思うし、それより僕は、温泉旅館で浴衣で卓球が、やってみたい」
「それは、帰ってきてからやるから、ちょっとだけ、散歩に行こう」
「いやだ」
智花は渋い顔をした。
「伸時がそんなに嫌がるのなら、わたしはひとりで散歩をしてくるわ」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
智花は、散歩に行ってしまった。
僕は、智花が散歩に行くのをここから見ていようと思ったけど、ここの窓からだと中庭しか見えないので、智花が旅館の玄関から出て行くところは見られなかった。
そのまま二十分くらい外を見ていたら、智花の父さんに、伸時くん伸時くん、智花ちゃんがいないけど、どこに行ったか知っているかい、と聞かれたので振り向いた。
「智花は、夜の温泉街を浴衣で散歩しに行った」
父さんが、なに、と叫んだ。
「智花ちゃんを、ひとりで行かせたのか」
「そう」
「どうして、伸時もついていかなかった」
「僕は、卓球がしたいから」
父さんが座布団から立って、歩いて僕に近づいてきて、僕の耳たぶを引っぱった。
「ばか、ばか、伸時のばか」
「痛い、痛い、どうしてそんな、智花みたいな怒りかたをする」
「智花ちゃんが、いまどういう状態か、忘れたか」
「はっ」
僕は、重大なことに気がついた。
父さんは、僕の耳たぶから手を離した。
「智花はいま、湯けむりエフェクトにビールまで加わって、星取ったマリオ状態だった」
「星取ったマリオ状態の智花ちゃんが、ひとりで外に出たら、どうなってしまうと思う」
僕は頭を抱えた。
「それを答えるのは、つらすぎる」
「智花ちゃんは、うかれた男子大学生に、ナンパされることになる」
「うう」
僕は机に頭をつけた。
「それは、たしかに、僕がばかだ。智花は、僕も一緒に行こうと言ったのに、ついて行かないなんて、僕は、ばか三回言われるくらいの、ばかだ」
「いまならまだ、間に合うかもしれないから、早く智花ちゃんに電話をしろ」
「わかった」
僕は智花に電話をかけた。父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんは不安そうに、智花に電話をかける僕を見ていた。隣のみずばしょうの間から、荘厳なメロディが聴こえてきた。
智花の母さんが立ち上がった。
「この、ツィゴイネルワイゼンの着メロは、智花の携帯の着信音だわ。智花はもう、みずばしょうの間に、帰っているのかもしれないわ」
智花の母さんは座布団から立って、みずばしょうの間へ向かった。智花の母さんが戻ってくるまでのあいだ、僕は、意外と壁が薄いのだなと思っていた。
智花の母さんは、智花の携帯電話を持って、とぼとぼと戻ってきた。
「智花は……、携帯を……、持っていかなかったみたい……」
智花の母さんは、畳の上に崩れ落ちた。僕も、畳の上に崩れ落ちた。畳の上で、智花のことを考えた。
「いなくなって初めて、その人の大切さがわかるという言葉の意味が、僕にもわかったような気がするような気がしないでもない」
智花の父さんが、僕の背中を叩いた。
「伸時くん伸時くん、智花ちゃんは、もしかしたら、まだナンパされてないかもしれないから、いまから智花ちゃんを捜しに行こうよ」
「いまの智花なら、絶対にもうナンパされていると思うけど、捜しに行く」
父さんが、父さんも、智花ちゃんを捜すぞ、と叫んだ。
でも、ひぼたんの間のふすまが開いて、智花が入ってきた。智花は、浴衣の上に、白いカーディガンを羽織っていた。
智花の父さんが、智花ちゃん智花ちゃん智花ちゃん、と叫んだ。
智花の母さんが、智花、そんな状態で外に出て、よくナンパされなかったわね、と言った。
智花は眉をひそめて、それからちょっとあごを動かした。
「ナンパされたから、嫌になって、帰ってきた」
智花の後ろには、うかれた男子大学生が、三人もいた。
智花の父さんと父さんと僕は立ち上がった。
「うちの智花ちゃんをナンパするとはいい度胸だ」
「うちの隣の智花ちゃんをナンパするとはいい度胸だ」
「僕と九年半も付き合っていて、山田メダルを作るほどの智花をナンパするとはいい度胸だ」
「言うなばか」
「帰れ」
「帰れ」
「いなくなれ」
うかれた男子大学生たちは恐れをなして、ひぼたんの間から出て行った。
うかれた男子大学生たちがいなくなると、智花は、ポットからお湯を出して、お茶を入れて、座布団に座った。
母さんが、智花ちゃん、あんなうかれた男子大学生たちにナンパされて、よく無事に帰ってこられたわね、と言った。
智花は、お茶を飲んで、湯飲みを置いた。
「あのうかれた男子大学生たちは、すごくしつこくわたしをナンパしてきたから、わたしは身の危険を感じて、部屋に女の友達が二人いるから、みんなで一緒にあそびましょう、って嘘をついたの」
智花の母さんが、智花を抱きしめた。
「怖かったわね」
「ちょっとだけ」
僕は、智花の隣に行った。
「智花、ごめん。僕がついていけば、こんなことにはならなかった」
智花は首を振った。
「伸時のせいじゃないわ。わたしが、湯けむりエフェクトの力を見くびっていたのがいけないの」
「僕は、湯けむりエフェクトの力に気づいていたのに、智花についていかなかった」
智花は座布団から立った。
「わたしは、懲りずにもう一度散歩に行くわ」
僕も座布団から立った。
「僕も行く」
父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんが、いってらっしゃい、と言って、手を振った。