13 「智花」
「智花」
智花は振り向いた。そして僕の首の向こう側からはみ出ている甲羅を見た。
「やっぱり、伸時も甲羅を買ったのね」
「やっぱり、甲羅を買ったのは智花だったか」
「こんなに素晴らしい甲羅が三千円で売られていたら、買わないわけがないわ」
「僕もそう思う」
「お父さんとおじさんは、一緒じゃないの?」
「僕と父さんとおじさんは、鯉とかに餌をやっていたけど、父さん以外は飽きたから、別行動を取ることにした」
「そう」
「母さんとおばさんは?」
「あの二人は、お菓子の試食をしてばかり」
「大人だから」
「たぶんそう」
「智花はいま、何をしている」
「わたしはいま、アンバランスな古城を訪れた記念に、記念メダルを買おうとしている」
智花は体を少し横にずらして、僕にメダル販売機を見せた。
「それはいい。僕も買いたい」
「うん。それはいいのだけど、いくつもの悩みがあるの」
「どうした」
「まず、名前を刻むとき、日本人らしく、名字、名前、の順番にするか、それともローマ字だから、外国人ぶって、名前、名字、の順番にするか、ということ」
「うん」
「次に、名字と名前、あるいは、名前と名字のあいだに点を打つか、スペースを空けるだけにするか、ということ」
「うん」
「そして、何より問題なのは、名字を、『GOTOU』にするか、『GOTOH』にするか、『GOTO』にするか、ということなの」
「なるほど」
「問題が多すぎて、どうしたらいいか、わからない」
智花はしゃがみ込んでしまった。僕は智花の肩をぽむぽむ叩いた。
「そんなに、悩まなくてもいい」
「伸時……」
「立って」
「うん」
智花は立ち上がった。
「まず、最初の問題だけど、智花は日本人だから、外国人ぶる必要はない。よって、名字、名前、の順番にすればいい」
「わかったわ」
「次の問題。これはちょっと難しいけど、僕はスペースのほうがすっきりしていていいと思う。点を打つとごちゃごちゃした感じになるし、後藤アンド智花みたいな感じにもなる。スペースのほうがいい。あるいは、☆でもいい」
「☆は、わたし的にはないから、スペースにするわ」
僕はうなずいた。智花もうなずいた。
「そして、最後の問題だけど、これは本当に難しい。後藤は『ごとう』だから『GOTOU』が正しいような気がするけど、読み方は『GOTOH』のほうが近い。でも『GOTO』は『ごと』だし、『ゴートゥー』だし、強盗みたいだから、やめたほうがいい」
「そうね。『GOTO』はやめにするわ。私もほんとうは、『GOTO』はないなって、思っていたの」
僕はうなずいた。智花もうなずいた。
「『GOTOU』か、『GOTOH』か。『GOTOU CHIKA』はちょっとかっこ悪いし、『GOTOH CHIKA』はちょっと調子に乗ってる感じがする」
「もっと言うと、『CHIKA』にするか『CHICA』にするかでも、迷っているの」
「それは、好きなほうでいいと思う」
「だったら、わたしは『CHICA』のほうがかわいいから、『CHICA』にしたいわ」
「だったら、『CHICA』にすればいいと思う」
「そうする。そうなると、やっぱり最大の問題は、『GOTOU』か『GOTOH』ね」
「そうなる」
僕は考えた。智花も考えた。後ろに子どもが並んできたので、僕と智花は横にどいて、順番を譲った。
智花はため息をついた。
「どうしてわたしは、後藤っていう名字なの」
「それは、智花の父さんが、もともと後藤だったから」
「こんなことで悩むなら、私も山田とかのほうがよかったわ。山田なんてどうやっても『YAMADA』にしかならないもの」
「だったら、智花も『YAMADA』にすればいい」
「どういうこと」
「僕と智花は、いろいろあったけど、もう九年半も付き合ってるから、このまま二人とも他に好きな人ができなければ、二十五歳くらいの時に結婚する可能性が高い」
「わたしは、結婚は、二十八歳くらいでしたいわ」
「じゃあ、二十八歳くらいで結婚する可能性が高い。そうなると、智花は山田になる可能性が高い。だから、『YAMADA CHICA』でメダルを作ってもいいと思う」
智花はしばらく、難しい顔をしていた。
「もしわたしが、『YAMADA CHICA』でメダルを作ると、お父さんが悲しんで、おじさんが喜びそうな気がするわ」
「たぶんそうなる。でも、隠してしまえば、おじさんは悲しまないし、父さんも喜ばない」
智花はまた考えていた。考えているうちに、子どもがメダルを作って帰っていった。
智花はメダル販売機の前に立って、お金を入れた。
「じゃあ、わたしはいま、山田を名乗るわ」
「どうぞ」
「でも、わたしは伸時のことが好きじゃないから、できれば伸時じゃない人を好きになって、伸時じゃない人と結婚したいわ」
「僕も、智花のことが好きじゃないから、できれば智花じゃない人を好きになって、智花じゃない人と結婚したい」
「でも、いままでわたしは伸時じゃない人を好きになることはなかったから、もしも二十八歳になってもこのままだったら、そのときはあきらめて伸時と結婚するわ」
「僕も、二十八歳になってもまだ智花と付き合っていたら、あきらめて智花と結婚する」
メダル販売機がガンガンいって、文字を刻まれたメダルが出てきた。僕と智花はメダルを見た。メダルには『YAMADA CHICA』と刻まれていた。
「うう……」
智花はしゃがみ込んでしまった。
「どうした、智花」
「何だかこれは、相合い傘的な感じがして、想像以上に恥ずかしいわ。こんなこと、するんじゃなかった」
「山田智花」
「わー」
智花は耳をふさいだ。
「みそ汁を作ってくれないか」
「わー」
智花はメダルを握った手で僕を殴った。
「悔しいから、伸時も、『GOTOU SHINJI』か『GOTOH SHINJI』で、メダルを作れ」
「どうして、僕が婿養子にならないといけない」
「婿養子にならなくてもいいから、とにかく作れ。冗談で名字を交換したみたいな感じにするために、後藤を名乗れ」
「わかった」
僕はメダル販売機にお金を入れて、文字を刻ませた。メダル販売機がガンガンいって、文字を刻まれたメダルが出てきた。智花が、僕より早く、メダルを取った。
メダルを見て、智花は青ざめた。
「どうして、『YAMADA SHINJI』って書いてあるの」
「これは、僕は婿養子にはならないという、意思表示」
智花は頭を抱えた。
「これは、さっきまでより、相合い傘的な感じがするわ。最悪だわ」
「山田伸時山田智花」
「わー」
智花は耳をふさいだ。
「パンツを洗ってくれないか」
「わー」