11 春休みなので父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんと智花と僕で温泉に旅行に行った
春休みなので父さんと母さんと智花の父さんと智花の母さんと智花と僕で温泉に旅行に行った。母さんと智花の母さんは主婦だし、僕と智花は春休みなのでたくさん泊まってもよかったのだが、父さんと智花の父さんは平日昼間は働いているし、エリカの留守番も一日が限界なので、土曜日に出発して日曜日には帰ってくる予定になった。
行ったのは隣の県の山の中にある温泉で、電車で三時間もかかった。電車のシートは三人ずつ横に並べるようになっていて、回転させることもできたので、僕の家族と智花の家族は向かい合って三時間も座っていた。智花の家族の背中に向かって電車が走るので、途中で智花が、気持ちが悪い、と言い出した。僕は智花と席を替わってあげようとしたけれど、智花は、わたしと伸時が席を替わると、わたしはおじさんの隣に座ることになるし、そうなると絶対もっと気持ち悪くなるし、うっかり寝たら何されるかわからないから、嫌だ、と言った。本当は、死んでも嫌だ、と言った。それからあとも智花は気持ちが悪そうだったので、僕は父さんと母さんに席を替わってもらってから、智花と席を替わった。
温泉の町に着くと駅前に顔のところに穴が開いている看板が立っていて、父さんがうれしそうに穴から顔を出していたけど誰も写真を撮ってあげようとしなかった。母さんと智花の父さんと智花の母さんと智花がひとり一冊るるぶを持って、これから夜までどこに行くかを議論しながら歩いていった。僕は四人の後ろを歩いていたが、振り返ると父さんがまだ看板から顔を出していた。父さんの体は赤い忍者になっていたけど、父さんの顔はとてもしょんぼりしていたので、僕は父さんがかわいそうになった。そう思うと、父さんは旅先でちょっとうかれてしまっただけなのに、みんなで揃って無視するなんてひどいような気が少しした。たぶん、父さんは、みんなに、いい年してみっともないからやめなさい、って言ってほしいのだと思う。でも、いくらかわいそうだからといって、僕が同情して父さんの写真を撮ってあげると、父さんのプライドにキズがつくので、やめておいた。
「伸時」
いつのまにか、智花が僕の隣に立っていた。
「あれは、やめさせたほうがいいわ。ここから見ると、おじさんは馬鹿みたいだし、このままだとおじさんは、地元の中学生たちにまで馬鹿にされるか、冷たい視線を送られるわ」
僕はうなずいた。
「でも、父さんはあの看板が気に入ったみたいだから、写真を撮ってあげないと、出てこないかもしれない」
母さんと智花の父さんと智花の母さんが、僕と智花の後ろに立っていた。智花の母さんが大きなバッグを地面に置いて、智花の肩に手をのせた。
「智花。おじさんは、智花に、おじさんはもういい年なんだから、子どもみたいなことはやめなさい、って、言ってもらいたいの」
「智花ちゃん智花ちゃん、おじさんに、おじさんはもういい年なんだから、子どもみたいな真似はやめなさい、って、言ってきてあげてよ」
智花が渋い顔をした。
「どうして、わたしがそんなめんどくさくて、屈辱的なことを言わないといけないの。そんなことを言ったら、わたしまで、地元の中学生たちに馬鹿にされるかもしれないわ」
母さんが智花に小さく頭を下げた。
「智花ちゃん、ごめんなさいね。あの人は、そういう人なの。昔から、そういう人なの」
智花の母さんが、智花、このままだと、智花が楽しみにしているアンバランスな古城を見にいくことができないわよ、と言って、智花の背中をトンと押した。
智花は前によろめいて、その次に横によろめいて、僕にぶつかって僕を見た。
「じゃあ、仕方がないから、伸時も一緒に来て」
「わかった」
僕と智花は、父さんが入っている看板に近づいていった。地元の中学生たちがへらへらしながら横から見ていて、智花がすごく嫌そうだった。
「智花は、地元の中学生たちが嫌?」
「わたしは、地元の中学生たちが嫌」
僕は地元の中学生たちを呼んだ。
「地元の中学生たち」
地元の中学生たちが僕と智花に近づいてきた。地元の中学生たちは四人いて、四人ともソーダアイスをむさぼるように食べていた。智花が地元の中学生たちをにらんだら、地元の中学生たちはちょっと怯えてうつむいた。
「智花が嫌だと言うから、こっちを見ないでくれないか」
地元の中学生たちはもごもごもごもご言っていた。地元の中学生たちがもごもご言うのは智花がにらんでいるからだと思ったので、僕は智花に目隠しをした。地元の中学生たちは、もごもごもごもご言うのをやめた。
「だって、あの歳であの看板に入る人は滅多にいないし、しかも無視されてるからおもしろくて、無視してる人もおもしろかったんですもの」
「その気持ちはわからないでもないが、あれは僕の父さんで、智花の父さんはあそこに立っている結構金持ちのおじさんだから、笑いたいなら僕を笑え。智花を笑ったことは取り消せ。さもないと舌をちょん切るぞ」
僕は口から舌をいっぱい出して、ピースの手をしてカニの真似をした。地元の中学生たちは恐れをなして、すいませんでした、と言って帰っていった。
横を見ると、智花が僕を見ていた。
「何かいま、伸時がかっこよかった気がしたわ」
「かっこつけたから」
「もう一回、カニの真似をして」
僕はピースの手を作った。
「かっこいい」
「ちょっきんちょっきん」
「それは、かっこ悪い」
智花はピースの手を作った。
「かっこいい?」
「楽しそう」
「ちょっきんちょっきん」
「ちょっきんちょっきん」