第三話 守りたい場所
部屋に招待され、女将さんがどこかに行ってから五分くらいの時間が経っていた。
襖がゆっくりと開き、女将ともう一人。ガッチリとしたガタイのおじさんも入ってくる。
俺はすぐに立ち上がって、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「おお、そんな気を遣わなくても良いよ。
座って座って」
その言葉に甘えさせてもらう。
テーブルにお茶と羊羹を並べた後、向かい側に座る二人と顔を合わせる。
「とりあえず、食べな」
そう言われて、羊羹を口に入れてみる。
「美味しい……」
上品な甘さが口の中で広がって、すぐにお茶を欲する。
すぐに飲んだ煎茶と混ざり合い、何だか心が落ち着く。
「そうだろう、かなりの自信作だ。
直接味を伝えられるのは、家族ぶりだから嬉しいなぁ」
「もしかして、織原さんのお父さんですか?」
「おう、よろしくな」
気づけば俺は織原さんのご両親二人と、アルバイトの面接をするところまで来ていた。
随分と彼女の家庭事情に踏み込んでしまったのだと、改めてそう感じる。
「それでさ、バイトの話なんだけど。
やっぱり辞めにしないか?」
「え?」
勿論、俺は断ることを決めていた。
それでも、まさかあっちから言われると思ってなくてつい驚きの声が漏れる。
かなりのピンチと聞かされていたから、無理やりにでも引き止められる可能性すら考慮していた。
うーんと、苦悶の表情を浮かべる織原父に女将さんは言葉を重ねる。
「きっと、沙織にお願いされて半ば無理矢理に連れてこられたんですよね?」
あまりにドンピシャで正解を叩き出されてしまった。
織原さんの行動がここまでわかるこの人は、やっぱり彼女のお母さんなんだなと実感させられる。
それから、この旅館の事情を聞かせてくれた。
「この旅館ね、従業員の一人がお金盗んじゃったんです。
信頼されていた方でね、その人が仕事を辞めたのを境にどんどん従業員は辞めていきました。
今は私たち家族と、ちょっとの従業員さんで何とかやってたんです」
そっか、人気のある良い旅館だとレビューされていたにも関わらず、そんなピンチになるのには何か事情があるとは思っていた。
案外、重要な役割を果たしていた一人が抜けるだけで組織というのは崩れ落ちてしまうものだ。
そこから、何とか今もやっているのだから凄いことだとは思うが。
「そして先週、主人が過労で倒れて。
この旅館を閉めようと決めたんです。
でもあの子はごねて、今もこうやってバイトでもいいからって従業員さん連れてこようと必死になってるんです」
こうして目の前にいる二人は、別に元気そうに見える。
だけど当たり前に人間は歳をとって、老いていくのだ。
ずっと続けていくことは、長い目で見ると難しい。
「まあ、そういうわけだ。ここまで来てもらって悪いんだけど……」
「俺、バイトやります」
突発的に口から出てしまったそんな言葉。
これは別に、誰かに同情してしまったからとか。
そんな理由で言い出したわけではない。
何となく、この場所が無くなったら寂しいだろうな。
直感的にそんなことを思ってしまった。
さっきまで下を向いていた織原父が顔を上げる。
「……そういえば、名前すら聞いてなかったな」
「日端慎也です」
「慎也くん、君自炊とかするだろ。手先は器用なのかい」
「はい、人並みには」
きっと自炊すると分かったのは、俺の手を見たからなのだろう。
あの羊羹を作ったであろうこの人は、たぶん料理人なんだと思う。
「あなた、もしかして・・・」
「ああ、この子をアルバイトとして雇おう」
「駄目よ!まだこの先のこととか無くなったら後のこととか決めてないじゃない!」
「もう少し、続けてみないか?」
その言葉を聞いて、目が潤む女将さん。
長く続けてきたこの旅館、手放したくない。
だけど、事情が事情なだけに仕方ない。
旅館を長年背負ってきたであろう女将さんはきっとたくさん考えた末、そんな結論を出したのだろう。
「慎也くん、どうしてアルバイトをしたい?」
「……この場所に一目惚れしたので」
「ハッハッハ!良い理由だ!」
バンバンと背中を叩かれる。
どうやら気に入ってもらえたらしい。
「勿論、もう少し話し合わないといけないし特殊な環境だ。親御さんともしっかり話さないといけない」
「ただ、こちらとしてはお願いしたいです」
二人は気づけば、俺の目をしっかりと見つめている。
こうして、俺のバイト先が急遽決まることになった。
「それこそ、後は沙織を貰ってくれれば良いんだかな」
「へ?」
色々と話を終えて、お土産を持っていきなさいと女将さんがいなくなったタイミング、そんなことを言われる。
「いやいや、知り合ったのも今日ですから!」
「そうなのか?それであんなに仲良いなら良いじゃないか……親としては心配でな。
ペットとかでもいいからもらってやってくれよ!」
「ははは……」
実の娘に、冗談でもあんまそんなこと言うな。
ちょっとの気まずさは、その後すぐにやってきた女将さんによって解消される。
「じゃあ、またお電話しますね」
「はい、お願いします」
今日はもう家に戻ることができそうだ。
何だかんだ凄い時間を過ごした、これからのことを思うとげっそりする。
「あ、どうだったの?」
織原さんが、俺たちのことを見つけて嬉しそうに向かってくる。
「アルバイト決まったよ、また明日ね」
「本当に?ってあ!
それっておまんじゅう?」
気づけば、織原さんの視線はお土産に持たせて貰った饅頭に釘付けだ。
箱を開けて一つ饅頭を取り出すと、彼女の手に置く。
「ありがとう、おいし〜」
頭を抱える女将さんと、マイペースに饅頭を堪能する織原さん。
……まあ、ペットとしてなら。
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