7 セルジュという男
晩餐会の後でのお茶の時間になり、ここでフィオナたちお付きにも小休憩が与えられた。
長時間立っていることには慣れているがそれでも、ふくらはぎがぱんぱんになるし足の裏も痺れてくる。
(アナスタジア様がお戻りになるまで、ちょっとリラックス……)
休憩室のソファに座ってこっそり靴を脱ごうとしていたら、ドアが外からノックされた。
「中に誰か……あっ、あなたは」
「……」
げっ、と言わなかっただけ自分は偉いと、フィオナは思った。
ドアを開けた姿勢のままこちらを見ているのは、赤毛の騎士――セルジュだった。
ソファの座面に足を引っかけようとしていたフィオナはさっと脚を下ろし、スカートの形をそっと直してからセルジュに強気な微笑みを向けた。
「ごきげんよう、フェレール様」
「あ、ああ。すまない、身仕度をしようとしていたのか」
「少し足が疲れたと思っていただけなので、お気になさらず。すぐに出て――」
行きます、と言おうとしたフィオナだが、途中で思い直した。
(これはもしかしなくても、彼のことを知る絶好の機会では!?)
敵を倒すにはまず、相手を得ることから始めなければならない。これまでは離宮勤めのメイドたちから聞くだけだったので、ここでセルジュの人となりを知っておくべきだろう。
恋愛云々を抜きにしても、皇太子の側近である彼のことを知っておいて、損はないはず。
「……フェレール様も休憩されるのでしたら、一緒にいかがですか?」
「え、いいのか?」
「もちろん。皇太子殿下が重用なさる騎士様とは、是非とも懇意にしたく思っておりましたので」
そう言ってフィオナがホホホ、と笑うと、なぜかセルジュは少しおもしろがるような眼差しになってから後ろ手にドアを閉めた。
「そういうことなら、喜んで。……俺としては、あなたとはもっと深い仲になりたいと思っていたところだし」
「あら、噂ではあなたは恋愛に堅実な方とのことなのに『深い仲』なんて、聞く人が違えば勘違いするかもしれませんよ?」
「おや、手厳しい。麗しい女性の忠告、胸に刻みましょう」
「そうなさいませ」
果たして軽いのは口だけなのか尻もなのか、なんて毒を吐きそうになったがそれはさすがに堪えて、フィオナはテーブルにあったティーセットを手に取った。ご自由にどうぞ、ということらしく、フィオナが来たときに使用人が置いていったものだ。
「お茶を淹れますね」
「嬉しいな、ありがとう。あなたのような美人に注いでもらえるのなら、最高の一杯になるだろうね」
「それはそれは」
まともに相手をするのも面倒なので、適当に流しておいた。
フィオナの本職は侍女なので普段はお茶を淹れたりはしないが、作法として一通りのことは身に付いている。そういうことでフィオナがお茶を淹れてカップに注ぐと、それを飲んだセルジュは目を丸くした。
「これはうまいな。茶葉の渋みをあまり感じない」
「茶葉は蒸らし方によって味が変わります。また、茶葉によって最適な蒸らし方が違うので、銘柄を見極めることが大切なのです」
「そうか。さすがだな」
フィオナの向かいに座るセルジュは、にかっと笑った。色男風の雰囲気漂う彼だが、笑い方は案外無邪気だった。
「……ご結婚されて数日経ったけれど、妃殿下の方はどんなご様子なんだ?」
セルジュに尋ねられたので、仕事の話であることに安堵しつつフィオナは微笑んだ。
「毎日楽しそうにお過ごしです。皇太子殿下が手配してくださった講師の皆様も熱心な方で、離宮の使用人たちも真面目な働き者ばかりなので、充実されているようです」
「それはよかった。……その、殿下がなかなか妃殿下を寝所に呼ばれないことだけど」
「フェレール様」
ぴっ、と右手を挙げて、フィオナはセルジュの言葉を制した。
「その点について、アナスタジア様が気にしてらっしゃる様子はありません」
「そうなのか?」
「お若い二人のことですから、急いても仕方ないでしょう。……ただアナスタジア様は皇太子殿下とお心を通わせることを熱望してらっしゃいます。今すぐ、ということは叶わずとも、いつか殿下が素直なお気持ちをアナスタジア様に向けてくださるようになれば十分でございます」
フィオナの言葉を聞いたセルジュはしばし考え込んでから、小さく笑った。
「……なるほど。どうやらアナスタジア様もあなたも、殿下のお心を察してくださっているようだな」
「なんとなく、ではありますが」
「それはよかった。……臣下としては、主君だろうと何だろうと尻を叩いて叱るべきなのかもしれないが……」
「周りが急かしたことでお二人の仲がこじれてしまっては、元も子もありませんからね。ただアナスタジア様が皇太子殿下に歩み寄りたいと思われていることは、フェレール様もお知りおきください」
「もちろんだ」
しっかりうなずいてから、セルジュはふと目尻を垂らして照れたように頭を掻いた。
「……なんというか、ちょっと安心したな」
「お二人のことですか?」
「いや、あなたのことだよ。妃殿下に付き添ってオルセンから来た侍女ということで、どのように接すればいいだろうかと考えていたのだけれど、こうやって話すことができてよかった」
「そうですね、私もそう思います」
この言葉に関しては、皮肉でもお世辞でもない素直な気持ちだ。
(……少なくとも、見た目ほど軽い人間ではなさそうね。皇太子殿下への忠誠心も本物みたいだし)
……だからといって「素敵! 抱いて!」となるわけではないので、警戒するに越したことはない。
フィオナはカップに残っていた紅茶を飲み干してから、立ち上がった。
「もう行くのか?」
「そろそろアナスタジア様のお茶の時間も終わりかと思うので」
「そうか。……脚、疲れているんだろう。ゆっくり休むように」
「お気遣いに感謝します」
「当然のことだ。……それから、さ」
ティーセットを部屋の隅にあったミニキッチンの方に運んだフィオナは、振り返った。
ソファに座っているセルジュは頭を掻き、照れたように笑ってフィオナの方を見ていた。
「俺のこと、姓じゃなくて名前で呼んでくれるかな?」
「……。……その必要はないかと」
「そ、そっか。あ、それじゃあ俺もあなたのことを、姓で呼んだ方がよかったか?」
「それはご自由にどうぞ」
「よかった! じゃあ、フィオナさん。今日はおいしいお茶をありがとう。またな」
「……ええ」
フィオナはうなずき、セルジュに背を向けて部屋から出た。廊下に立っていた兵士が言うに、アナスタジアたちのお茶ももうすぐ終わるとのことなので、そちらに向かう。
(……。……もしかして、彼の中での私への好感度、上がってしまった?)
歩きながら、そんなことを考えてしまう。
姓ではなくて名前で呼んでほしいと、照れたような表情で言ってくる。
恋愛経験に乏しいフィオナでも、セルジュが自分に対してよい印象を抱いているということが伝わってくる。
(いや、だからといって恋愛関係になるのとは違うわよね?)
確かにセルジュのことは悪い人だとは思わないが、それはそれ、これはこれ、だ。
アナスタジアと協力して皇太子の事故死を防ぐことができれば、アルシェリンド帝国は平和なままでいられる。もしかすると小説では他に選択肢がなくてセルジュと結ばれたのかもしれないが、今なら他の選択肢だってあるはず。
(むしろ私としては、恋愛に強い関心があるわけではないし……やっぱり、セルジュとは距離を取りたいわ)
となるとやはり、彼からの好感度をむやみに上げるべきではない。
(アナスタジア様は、セルジュは私の素っ気なくてクールなところが好きになるのかも、とおっしゃっていた。それならやっぱり、彼が遠慮するという積極的な女性の振る舞いを真似るべきね)
よし、とフィオナは心の中で拳を固めたのだった。