6 フィオナの計画
セルジュ・エメ・フェレール。
アルシェリンド帝国でも歴史の古い名門フェレール辺境伯家の次男坊で、現在二十歳。皇太子フランソワとは遠い血縁関係があることもあり、子どもの頃から一緒に過ごすことの多い幼なじみの間柄でもある。
人当たりがよくて気さくな青年で、男女問わず友人が多い。皇太子の護衛騎士ではあるがどちらかというと剣術より戦術を練る方が好きで、フランソワとはよくそれぞれの戦術理論で議論をしているという。
どことなく浮ついた軽い印象があるが父親である辺境伯や跡取りである兄が非常に厳しいこともあり、あんな感じはあるが男女関係はわりと潔癖。
積極的な女性にアタックされることも多いが、「今の俺は、フランソワ殿下が一番ですので」と断っているらしい。
彼の言う「一緒に遊ぼう」は本当に、お茶をしたり観光をしたりするに留まるそうだ。
……という情報を離宮勤めの使用人たちから聞き出して、フィオナはげんなりとしていた。
(嘘よ……あんなちゃらちゃらした人がカルビさんの正体だったなんて……。小説の私は、あの人との間に子どもを作るなんて……)
あちこちに隠し子や愛人のいる恋多き男、というわけではないのは救いだが、ああやって初対面からぐいぐい来られるのは苦手だ。
昨日ちらっと顔を合わせただけでもう、タイプが合わないと肌で感じたというのに、小説の中の自分は一体何をとち狂ってあの男と付き合うようになったのだろうか。
(確かに、皇太子殿下第一のあの人とアナスタジア様第一の私では、気が合うかもしれない。……でもそれは仕事での役割的な面であって、プライベートをあの人と一緒にするなんて考えられない!)
結婚に夢は見ていないとはいえ、もし結婚するなら誠実な人がいいと密かに思っていた。
アナスタジアや祖国のためにアルシェリンド人の貴族と結婚しろ、と命じられたら喜んで拝命するつもりだが、もし自由に選べるのであれば、ああいうタイプの男は最初から選外にするだろう。
なおアナスタジアの方は、「皇太子殿下の護衛? それなら安心できそうね」とあっさりしていた。
そんな無慈悲な、と言いたくなったが、アナスタジアは自分なんかよりよほど重い使命を背負っているのだから、文句を言うことなんてできない。
(明るくて社交的な人らしいけれど、そんな人が一体どうして、私のことを好きになるのかしら……?)
現在アナスタジアはアルシェリンド人の講師を招いて授業を受けているので、相談することはできない。そのためフィオナはアナスタジアのためのドレスを発注したり予定を確認したりしつつ、セルジュのことを考えていた。
(もしかして、フランソワ皇太子殿下が亡くなることと関係があるのかもしれないわね。もしそうだったら、アナスタジア様が未来を変えた暁にはあの人と私が結ばれる未来もなくなる……)
そう思っていたのだが、夜になってアナスタジアとの定例打ち合わせ会議を行った際には、「どうかしらね?」と言われてしまった。
「その人、フィオナだから好きになるのかもしれないわよ」
「私だから……? 私は我ながら、社交的な人間ではないと思うのですが」
「それがいいのかもしれないわ。フィオナが聞いた話では、そのセルジュって人は女性からの恋心を躱しているのでしょう? だから、あなたみたいに仕事に真面目で恋愛にかまけない、クールな年上女性がタイプなのかもしれないわ」
(……な、なるほど。それは一理あるわ)
アナスタジアの慧眼に、フィオナは納得した。
セルジュはフィオナのこの、可愛げのないツンケンしたところがタイプなのかもしれない。
……ということは。
(……私が他の恋する女性と同じようにぐいぐい迫っていけば、タイプではなくなるかもしれない……!?)
押してダメなら引いてみろ、という言葉がある。
フィオナの場合はその逆の、引いてダメなら押してみろ、な対応をすれば、セルジュはフィオナを好きにならないかもしれない。
(……よし! それじゃあ早速、対策を練ってみるわ!)
翌日、アナスタジアは本城に行くことになった。
どうやら皇帝から晩餐会に招かれているようで、皇族と親睦を深めるためにもこういう誘いには積極的に乗るべきだ、と話している。
晩餐会に出席するのはアナスタジアだけでその間フィオナは壁際に控えることになるので、夕食は早めに取っている。
(……そして、結構な確率であの人も出てくるわね)
使用人たち曰く、フランソワは幼なじみであるセルジュのことをとても信頼しているようで、公務や食事会などでもよく彼を連れてきているそうだ。
(もしかすると小説の私も、こういうふうに彼との接点が多くなっていくことでうっかり惹かれてしまったのかもしれないわね……)
そこに皇太子の事故死という出来事が発生し、なんやかんやあって体を許すほどの関係になった……のかもしれない。今はまだそこまで、考えたくないが。
(敵を知るには、いい機会だわ)
そういうことでフィオナは晩餐会に行くアナスタジアに随行し、本城に向かった。
途中すれ違う帝国貴族たちの反応を見るに、アナスタジアのことはきちんと受け入れられているようだ。
アナスタジアにも、「晩餐会中、周りの人々の様子をよく見ておいて」と言われている。幸いフィオナは人の顔を覚えるのは得意な方なので、フランソワや皇帝の近くにいることの多い人物などは、早めに熟知しておきたいところだ。
晩餐会自体は、つつがなく進んでいった。
「皇太子妃はこの国に来て日が浅いだろうから、オルセン風の味付けをさせたのだが、どうだろうか」
「ご配慮に感謝いたします、陛下。このオレンジのソースなんて本当に懐かしい味でございます」
「はは、それはよかった。フランソワ、おまえはどうだ」
皇帝とアナスタジアが和やかに会話する傍ら、フランソワは黙ってカトラリーを動かしており、父親に尋ねられても気まずそうにそっぽを向いた。
だがそこにアナスタジアが突っ込んでいった。
「殿下はどのようなお味がお好きですの? わたくしは苦いものより甘いものが好きで、酸っぱいものも好んで食べるのですが」
「……。……苦い方が、好きだ」
「まあ、そうなのですね! わたくし、子どもの頃から苦みが苦手で……もしよろしかったらわたくしでも食べられそうな味ものを、ご紹介してくださらないでしょうか? わたくしも早く、アルシェリンドの味に慣れたいので」
「……その、分かった。また、いずれ」
アナスタジアの勢いに呑まれたのか、ぎこちないながらにフランソワが応じたため、壁際に立って様子を見ていたフィオナもほっとした。
(よかった……。アナスタジア様くらいぐいぐい行く方が、皇太子殿下にとってはよさそうね)
なんといってもフランソワが未だにアナスタジアと同衾しないのは、嫁いできたばかりの妻のことを思っているからだ。
まだ帝国に慣れないだろう、まだこんな大きな体の夫が側にいても怖いだろう、まだ夫婦の営みをするのは緊張するだろう。
そう思って遠慮して……小説では結局、同じベッドに寝ることが叶わなかった。
(でもこれなら半年後の事故よりも前に、同衾が叶いそうね)
そう思うとつい、ほくほくと笑顔になってしまいそうだった。