5 カルビさん(仮)はいずこに
アナスタジアとフランソワの結婚式は夜に終わり、普通ならば新郎新婦の初同衾であるが。
「今日は疲れただろうから、自分の部屋でゆっくり休め、ですって」
「なるほど」
「小説のとおりね」
「ですね」
うんうん、とフィオナとアナスタジアはうなずきあった。
結婚式を終えて遅い夕食を取ってから、寝仕度を整えたアナスタジアはいつものように、フィオナ以外の使用人を部屋から出して二人きりで話をしていた。
皇太子妃となったアナスタジアの側にフィオナがべったりなのは帝国側にとってはおもしろくないかもしれないとも思いきや、皆あっさり部屋を出てくれた。
(変な疑いを掛けられているわけではない、と考えていいかしらね)
何にしても、フィオナたちからすると非常にありがたい。こうしないと、秘密の話ができないからだ。
「小説では、フランソワ殿下のお気持ちを知ることができなかったわたくしはずっと殿下とすれ違い、事故が起きてしまうの。そうして殿下がひっそり書いていた手紙を見てやっと、あの方の気持ちを知ることができるの」
可愛らしい寝間着姿のアナスタジアはそう言って、腕を組んだ。
「……本当に、ぎりぎりではあるけれど小説の知識を思い出してよかったと思うわ。そうでないとわたくし、殿下のことを誤解したままになってしまうもの」
(……まあ、あの態度だと誤解してもおかしくないけれどね)
フランソワは優秀で国民からの人気もあるので、むしろなぜアナスタジアに対してよそよそしいのかと皆疑問に思うそうだ。
……それが、十九歳にしてようやく訪れた初恋が原因だと知る者は、フィオナとアナスタジアだけだ。
「アナスタジア様から見た殿下は、いかがでしたか?」
「すっごく素敵な方よ! 元々わたくしはがっしりした体躯の方が好きだし、質実剛健って感じがして見ているだけでうっとりするの」
そう言ってアナスタジアは、頬に手を当てて嬉しそうにはにかんだ。
確かに彼女は記憶云々よりも前から、中性的な男性より大柄な男性の方が好みだと言っていた。だから政略結婚が決まり初めてフランソワの肖像画を見たときから、たいそう気に入っていたのだ。
「……そういうことでこれから、フランソワ殿下の事故死を防ぐための作戦を始めるわ」
アナスタジアが真面目な顔で言うので、フィオナはうなずいた。
「確か事故が発生するのは、アナスタジア様がご結婚なさって約半年後でしたね」
「そう。三の月の星見祭というのが開かれる日よ。この日は本来なら、わたくしたちは揃って本城のバルコニーで星を見るはずなの。でもそれまでずっと心が通わなかったこともあって喧嘩をしてしまい、わたくしは離宮に戻ってしまう。殿下はわたくしと仲直りしようと考えて、帝都近郊の野原に夜のみに咲く花を摘みに行こうとして……手綱の扱い方を誤ってしまい馬が暴走し、崖から落ちてしまうの」
なるほど、とフィオナはうなずく。
「今は九の月の半ばですから、約半年後の星見祭の日までにお二人がきちんと心を通わせることができれば、すれ違いが原因の事故を防げるのですね」
「そういうこと。あの殿下の信頼を勝ち得て本音を話してくださるようになるまでには、時間が掛かりそうだけど……」
アナスタジアは、窓の外を見やった。
「わたくしやっぱり、殿下と仲よくなるのは半年後までお預け、なんて嫌なの。あの方のお気持ちは分かっているのだから、ちゃんと歩み寄りたい。そうして……あの方が皇帝になるための道を、作ってあげたい」
「アナスタジア様……」
「だからどうか、フィオナも力を貸してね」
こちらを見たアナスタジアに言われて、フィオナはしっかりうなずいた。
「もちろんです! オルセンであろうとアルシェリンドであろうと、私はいつでもアナスタジア様が最優先ですからね!」
「ふふ、ありがとう。でもフィオナだってこれから平和に生きていけるのだから、私生活も充実させるのよ? ほら、カルビさんのこともあるし」
「ええ、まあ、それは……」
カルビさん(仮)はアルシェリンド人の騎士とのことだから、間違いなくこの国のどこかにいるはず。
果たして、小説のストーリーとは違う未来になったとしても、フィオナがカルビさん(仮)と結ばれる道があるのかは謎だが――
「そもそも、相手のヒントが少なすぎですよね。カルビなんて名前はないですし……」
「まあ、仮だからね。フィオナは今日一日過ごしていて、何か発見はなかったの?」
「今日はアナスタジア様がお戻りになるまで、離宮内を散策しただけです。途中で、セルジュという騎士に絡まれたくらいで……」
「セルジュ……?」
そこでふと、アナスタジアの動きが止まった。
……嫌な予感がする。
「あの、アナス――」
「フィオナ、セルジュという騎士に会ったの?」
「え、ええ。セルジュ・エメ……なんとかと名乗っていました」
食い気味に聞かれたのでフィオナが応えると、アナスタジアはセルジュ、セルジュ……と口の中で何度もその名前を転がした。
……ますます嫌な予感がする。
「あのー……」
「……思い出したー!」
ばっ、と立ち上がったアナスタジアはきらっきらの笑顔でフィオナを見て、ほっそりとした指を立てた。
「そのセルジュって人こそ、カルビさんよ!」
ぽくぽくぽく、ちーん、と再び謎の音が頭の中で響く。
まずは、言わせてほしい。
「……『ル』しか合っていないじゃないですか!」