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1  王女の衝撃発言

「フィオナにしか言えないことがあるの」


 ある日主君から告げられた言葉に、フィオナ・ブライスはドレスを畳む手を止めて、振り返った。


 フィオナの視線の先には、きちっと姿勢を正してこちらを見つめる麗しい女性が。蜂蜜を纏っているかのような甘い金色の髪はメイドの手によってしとやかにまとめられ、若草色の瞳は思いがけず強い意志を持ってフィオナを見つめ返している。


 いつもどこかほわほわとしているのが少し心配で、だがそこが彼女の魅力であることをよく知っているフィオナは主君の改まった態度に一抹の不安を覚えつつも、ドレスを整理する手を止めて彼女のもとに向かった。


 ……今この場にいるのは、フィオナと彼女の二人だけだ。そんなときに言い出すこととなれば、謹んで拝聴するべきだ。


「はい、このフィオナに何なりとお申し付けください」

「ありがとう。……これは、来月にわたくしと一緒にアルシェリンド帝国に渡ってくれるあなたにしか言えないことなの。どうか、他の人には……お父様やお兄様、女官長たちにも、内緒にお願い」

「もちろんでございます」

「……。……あのね、フィオナ」


 金色の姫君はそっと身をかがめて、フィオナの耳元に唇を寄せ――


「……わたくしには、前世の記憶があるの」


 そんなことをのたまったのだった。















 フィオナは、オルセン王国第一王女であるアナスタジアの専属侍女である。


 実家のブライス家は伯爵位を賜っており、伯爵令嬢にとって王女専属侍女というのは非常に名誉な職であった。十六歳の頃に出仕を始めてからというもの、五つ年下の王女はフィオナのことをとても慕ってくれていた。


 そんなアナスタジアはめでたくも、隣国アルシェリンド帝国の皇子に嫁ぐことになった。

 大帝国の次期皇妃の座はどの国も熱烈に欲しており、オルセン王や王太子が長年必死に友好関係の構築に励んだ結果、アナスタジアの輿入れと新たな盟約締結を決めることができたのだった。


 十七歳になったアナスタジアはまだどこか幼さが残っており、また相手の皇太子も十九歳と若いこともあって、政略結婚がうまくいくのかと危惧する声も上がっている。

 だが、長年アナスタジアに仕えてきたフィオナは主君の隠れた聡明さをよく知っているし、ここぞというときには腹をくくる潔さと思い切りのよさを身に付けており、そして何より祖国を想う心は誰にも負けない。


 普通、王女の政略結婚にはお付きを連れて行けないものだが、帝国から「身一つで嫁ぐ王女はさぞ心細かろうから、身分の確かな側近を一人だけ連れてきていい」という提案があった。


 そうしてアナスタジアが選んだのが、フィオナだった。


 独身の若い女性のお付きとなると、主君の嫁ぎ先で同じように結婚を命じられる可能性が高い。ただしその相手が、同じ年頃で誠実な男性とは限らない。フィオナも両親もそのことを重々承知の上で、アルシェリンド行きを快諾したのだった。


 ということで、アナスタジアの輿入れを一ヶ月後に控えた今は、オルセン王国はその準備のために大忙しだった。

 アナスタジアもまたアルシェリンド帝国の皇太子妃となるための勉強に打ち込んでおり、フィオナはそんな主君をそっと支えていた。


 ……そんなときにアナスタジアから告げられた「前世の記憶」なる発言に、フィオナは薄紫色の目を瞬かせた。


「……。……失礼しました、アナスタジア様。もう一度、お伺いしても?」

「わたくしには、前世の記憶があるの。そして今わたくしたちが生きているこの世界は、前世わたくしが読んだことのある小説の舞台なのよ」


 聞き間違いか、もしくは恐れ多いことだがアナスタジアの言い間違いかと思ったのだが、何も間違ってはいないどころかますますどでかい爆弾を投下された。


(……前世の記憶? 小説?)


 占いや迷信などに傾倒する人も少なからずいるが、フィオナは元々そういうのをあまり信じない質だったので、にわかには受け入れられなかった。


 どうやらそんな感情が表情に出ていたようで、アナスタジアが困ったように微笑んだ。


「……まあ、いきなりこんなことを言っても信じられないわよね」

「……申し訳ございません」

「いいのよ。でも、何としてでもあなたには信じてもらいたいから……そうね」


 アナスタジアは顔を横に向け、窓の外を見やった。


「……確かもうすぐ、フランソワ皇太子殿下からわたくしへの贈り物が届く予定ね」

「はい。アナスタジア様が国境にてお引き渡しの儀を行われる際に着用することになるドレスですね」


 アナスタジア……とついでにフィオナは、オルセン王国とアルシェリンド帝国の国境にある町にて着替えを行い、アルシェリンドの衣装を纏って国境を越えることになっている。

 王国の人間として暮らしていた頃に身に付けていたものは、家族から贈られた指輪などのごく一部の宝飾品を除いて全て故郷に残して、帝国の衣装に身を包んで国境線を越えることで、これから帝国民として生きていくという意思表明になるのだ。


 フィオナはともかく、アナスタジアの衣装は未来の夫である皇太子から贈られるものと決められている。そのため、このときに着るドレスなどはいち早くこちらに届けられるのだ。


 アナスタジアはうなずき、そして小さく笑った。


「そのときのドレスの柄を当ててみせれば、フィオナもわたくしの言うことを信じてくれるのではないかしら?」

「……確かに、帝国から送られてアナスタジア様の前で箱を開かれるまで、王国民は誰一人としてそのドレスがどのようなものなのか知ることができないですからね」

「そうでしょう? ……ドレスはね、トレーンだけで十メートルはあるの」

「えっ」


 オルセン王国のドレスにもトレーンはあるが、そんなに長いものは見たことがない。結婚衣装になるとやや長めになるが、それでも半径二メートル程度の円形が主流だ。


 もうこの時点でドレスの形状が想像できなくてフィオナが目を点にしていると、アナスタジアは「それからね」と説明を続ける。


「胸元は、こう、この辺まで見えちゃうの」

「な、なんて破廉恥な……!?」


 この辺、とアナスタジアが示すのは、彼女のまろやかな胸元のぎりぎりのライン。

 彼女の言うことが本当だったら隠された部分より見える部分の方が多いくらいで、少しその場で飛び跳ねるだけで大変はしたないことになってしまいそうだ。


「あ、ちなみにフィオナ用に用意されているドレスも、それくらいだから」

「ひっ!?」

「それから色だけど、ちょうどこれくらいの色よ」


 そう言ってアナスタジアが手にしたのは、飲みかけの紅茶が入っているカップ。そこには先ほどメイドが淹れた、ノイチゴのジャムがたっぷり入った紅茶で満たされている。


「……こんなにきつい赤色なのですね」

「胸元のラインにしても色にしてもトレーンにしても、アルシェリンドの皇太子妃としてはそこまでおかしなものではないそうなの。でも、箱を開いたときにわたくしたちは悲鳴を上げてしまった……なんて表現が、小説にはあるのよ」


 うふふ、とアナスタジアは笑うが、フィオナはかぶりを振った。


(アルシェリンドの文化はこことはかなり違うと聞いているけれど……そこまで奇抜なデザインのドレスが、本当に贈られるのかしら……?)


 半信半疑……よりも「疑」の方が比重が大きいくらいだが、アナスタジアは何としてでも、自分の言葉を信じてもらいたいようだ。


「……かしこまりました。では、ドレスが到着してそのデザインを拝見してから改めてその、前世のことについてお伺いしてもよろしいでしょうか」

「そちらの方が、フィオナもすんなり聞いてくれそうだものね。いいわ、そうしてちょうだい」


 そう言ってからアナスタジアは飲みかけの紅茶に口を付けたので、フィオナはお辞儀をしてから先ほど置いたままのドレスのところに戻った。


 このドレスを片付ける作業を中断してここに戻ってくるまで、十分ほど。

 だが、十分では足りないのではないかと思うほど濃い情報を投げかけられていた。


(前世の記憶とか、小説の世界とか……そんなの、信じられないわ)


 今、フィオナが生きているこの世界が、この大地が、アナスタジアがかつて生きていた世界では「つくりもの」だった。

 そんなの、すぐに受け入れられるわけがないし……アナスタジアだって、それくらい予想できただろう。


(でも、それでもアナスタジア様は、私に聞いてほしいと思われている。……それはもしかして、「小説」とやらの内容が関係しているのでは?)


 アナスタジアは少しふわふわしているが、愚かな姫ではない。何か、深い事情があってフィオナに申し出たに決まっている。


 ……きっとあの発言を口にするのにも、勇気を要したことだろう。


(……まずは、もうすぐ届く皇太子殿下からのドレスを見ないと)


 フィオナは深呼吸して、ドレスにそっと触れたのだった。

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