Lv.9
世界なんてクソくらえだ。
わたしゼータ・ミネス=フィーレがそう思ったのは、13歳の冬だった。
イデアル王国の南部で起きた爵位争い。伯爵マハトーン家による『子爵潰し』と呼ばれる抗争に巻き込まれる形となったわたしの両親は、抗争の弾圧に巻き込まれて死亡した。
残されたわたしは行き場を失い、マハトーン家が弾圧に成功したことで南部は圧制状態に。独り身となった者に対しては新たな奴隷制度を加えるとの形を取り、イデアル王国南部は実質的なマハトーン家の独裁政治となった。
わたしは両親を失った悲しみを埋める暇もなく、たった一人でイデアル王国中央都市へと足を向かわせた。
静寂の月下、路頭に迷う視線。
誰も助けてくれない孤独の世界に、わたしは涙を流しながら静かに歩き始める。
1日目は、何も考えずに歩き回った。
自分はまだ子供だから、もしかしたら誰かが助けてくれるかもしれない。
そんな希望を持って歩き回った。
2日目は、お金に余裕がありそうな人に声をかけ始めた。
空腹で抜けていく体力に、本能でヤバいと感じ取る。
夜には、体中についた靴の跡を見て泣いた。
3日目は、ゴミ箱を漁り始めた。
そうしないと生きて行けない、死にたくない、死ぬくらいなら生ごみも食べる。
でも、お腹が苦しい。
4日目、私を助けてくれるという人が声をかけてきた。
うれしかった、やっとこの苦痛から解放されるんだと思った。
だけどその人は娼婦の関係者で、わたしの体を売り物にする気だった。
5日目、道行く人に声をかけるのをやめた。
冷たい目で見られるし、蹴られることもあった。せっかく助けてもらえると思っても、体目的の人達ばかりだった。
6日目、体に虫が這いつき始める。
生理的な嫌悪感も、恐怖も感じなくなって、自分が人間じゃなくなっていく感じがした。
もう希望なんてない。
7日目、雨が降ってくれた。
ずっと空に向かって顔を上げていたせいで首がいたい。
雨の味は、涙のようにしょっぱかった。
8日目、もう限界。
自分で自分の感情が抑えられなくなって、わたしは何度も地面に頭を叩きつけた。
笑ったり、泣いたり、叫んだりを繰り返して、いつの間にか意識を失っていた。
9日目、体中の震えが止まらない、寒い。
ぽつぽつと降ってくる雪が燃え尽きた灰のようにみえて、全身を痙攣させながら身を屈めていた。
10日目、わたしは全てを投げ捨てようとしていた。
もう体なんてどうでもいい、とにかく食べものが欲しい。このままだと間違いなく死ぬ。死ぬのはいやだ、こわい、死にたくない、死にたくないよ……。
47日目、表情が動かなくなった。
助けてと感情が爆発しているのに、表情が死んだように硬直している。
水溜まりに映った自分の顔をみて、もう何もかも手遅れなんだと確信した。
「うぅ……っ」
枯れた涙腺から雫は落ちず、枯れた喉から声も出ない。
視界がグラリと歪んだ冬の夜。
わたしはもう、奴隷でいいと思い始めていた。
すると、遠方の広場から大きな声をあげている男性が視界に入る。
「だれかー! 金くれよー! 頼むよー! 1万だけでいいからさぁー!」
道行く人に声をかけまくる男。
羞恥心などまるでない、全力全開で金をせびるヤバい人。
第一印象はそんな感じだった。
「おか、ね……?」
そして、この時のわたしは考えが上手くまとまっていなかった。
お金があればご飯が食べられる、ご飯が食べられればこの寒さもしのげる。
そう思ったわたしは、とにかく助けてほしい一心で男の方へと近づいて行った。
「あ?」
そして男の裾を掴むと、体力を振り絞って声をかけた。
「ぁ、の……おね、がい、しま……ごは、たすけ、おか、ね……ぁ……」
「あー? 目ん玉ついてんのかお前、俺は今見ての通り金欠なんだが? 金なんか持ってるわけねぇだろ」
「なん、でも……なんでも、します、から……っ。おね、がい……っ」
理屈なんてどうでもいい、合理性なんて欠けていてもいい。
死地へ片足が埋まっているわたしは、お金の持っていない男に向かって必死に助けを求めた。
「なんでも? ほー? じゃあその服脱げよ」
「は、ぃ……」
男の要求に対し、わたしはすぐに服を脱いだ。もう、何の恥じらいもない。
冬の肌寒い風が全身を劈く、体が何かしらの症状で震え出す。
──しかし、その震えは一瞬で止まった。
「……え?」
裸になったわたしの上に被せられたのは、何重にも重ねられた分厚いモフモフのコートだった。
何が起きたのか分からなかったわたしは、キョトンとした顔で男を見上げる。
「なんだ、文句あんのかよ?」
「え? え……?」
見るからに新品のコートは、男物ではあるが相当な値がつくことは一目で分かった。
男の片手には、わたしが今着ているコートが入っていたであろう空の袋がある。
「あの……おにい、さん……きんけつ、って……」
「そうだが?」
「え……? これ……は……?」
「知らね、空から降ってきたんじゃね?」
「え……?」
動揺に飲まれてまともな言葉を返せない。
空から服が降ってくるわけもなく、わたしはただただポカンとした表情を浮かべていた。
いや、今はそんなこと関係ない。お礼、お礼を言わなきゃ……。
「あ、あの……」
「あー? 腹減ったから飯も食わせろって? 無茶言うなよ、そりゃいくらなんでも強欲だぜ。まぁ今日は寒いからな、ポケットに手でも突っ込んで暖まってろや」
そう言ってそそくさと背を向けて去っていく男。
そして再び「だれか金くれよー!」と空の袋を振り回して街中へと消えていった。
「……ありがとう、ござい、ます……っ」
去っていく男の後ろ姿をみて、わたしはいつ振りか分からない笑顔を浮かべた。
肌寒い風が靡き、おもむろにポケットに手を入れる。
すると、チャリ、と硬貨の音が耳に入った。
「……えっ?」
ポケットの中から聞こえる硬貨の音に、思わず中身を拾い上げる。
中に入っていたのは、金色に輝く金貨が10枚。月夜に照らさせて黄金色に輝いていた。
その額──10万である。
「あ……ああ……っ……!」
思わず、涙がこぼれた。
希望を前にした子羊のように、全身を震わせながら泣き崩れた。
ただただ無くさないように硬貨を握りしめ、我が子のように胸の中へと押し付ける。
たった一度の懇願で人生を救ってくれた人。どん底だった未来を、灰色に染まった世界を、彼は事情も聴かずに手を差し伸べてくれた。
これが、わたしとフールさんの初めての出会いだった。






