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008




 腕を動かすと空間の重みを感じる。

 体を傾けて弾んだ一歩は長く、浮遊の間に触手の横を通り過ぎる。


 確かな光源は見当たらず、影も瓦礫の隙間にしか生まれない。奥行きを感じさせる明るさと、瓦礫が底に積もる音だけが空間を伝わる。


 軽く移動してみると、瓦礫に隠されない部分も多く見つける。

 触手と似た暗い色合いでも、着地しようとした足は軽く沈む。底部分は、地上で建物を突き崩していた触手と同じ体とは思えないものだった。


 突き下ろした杖は簡単に刺さる。

 かき回すだけで表面は破れ、内側の肉が周囲の空間に溶けだす。


 この怪獣は頑丈ではない。

 底部分にかぎらず、触手の根本も手で押せばへこむ。地上ではどうにもならなかった相手も、この空間では少女の力でも傷つけられると知る。


 巨体が相手だろうと、作業量を考える必要はない。

 これまで魔法少女が撃退してきた怪獣にも、強力な個体は存在した。怪獣の出現が止むことはない。今この瞬間にも他の魔法少女が凶悪な怪獣と戦っている。

 任務の中で死ぬこともまた、魔法少女であるはずの少女が覚悟すべき結末なのだ。


 この空間なら確実に攻撃が通じる。

 たとえ、わずかな傷だろうと、積み重ねが成果につながるなら立ち止まる理由もなかった。


 少女は乱立する触手のひとつに、武器を向ける。

 ただひとつ、たとえ手放しても手のもとに出現させられる杖だけを頼り、表皮を破り、内部の肉を傷付ける。切り開く内に容易に切れない硬さに届き、触手内部に構造的な芯の存在を確信する。同時に触手を狙って正解だったと。


 敵の全容が分からない今、優先すべきは攻撃手段の排除だ。

 本体らしき底部分を放置する。間に合わせの対処だとしても自身は着実を選ぶ。少なくとも敵の表面は傷つけられる。攻撃力で劣っている自分は、太さが判明している触手の方を狙うべきであると。


 何より地上を壊しているのが触手なら、被害を減らす助けになる。

 切断できれば、肉体の再生も大きく遅らせることができるだろうはずだと。

 

 敵本体を狙って、半端なところで攻撃できなくなりましたでは困る。人並外れた筋力だけなら重機でいくらでも代用できる。威力に関しても、現行兵器の方が圧倒的である。

 魔法少女が登用されるのは、その各人が持つ特別な攻撃能力ゆえなのだから。


 怪獣の再生を防ぐ上に、活動停止に追い込める特有の攻撃。

 残念ながら自身に全く備わっていない力でもある。せいぜい手と杖を振るう程度、可能なら、地上にいる正規の魔法少女へ伝えたいところだが、帰還する手段は思いつかない。


 少女は決した。


 現状で行うべきは、状況の悪化を防ぐことだと。

 被害の拡大を遅らせて、地上の魔法少女に少しでも時間的な余裕を与える。破壊を止められるわけではなく、事態が収束した時に建物一つでも救えれば良いと。


 この空間から天井を突き抜けた触手は、瓦礫を降らせながら帰ってくる。

 おそらく地上で破壊工作を行ってきただろうそれらは、この空間に戻ると休憩するように宙をただようだけになる。

 触手の活動は交代制であるらしい。数多ある触手をすべて把握できるわけではないが、帰還時に先端を大きく損傷させていた個体は、活動を休止したままに見えた。


 硬い芯をどうにか引き裂き、切り離された一本の触手は宙に浮遊していく。

 ようやく一つ。時間にして十分も費やしていないはずだが、その間の被害を考えると成果は素直に喜べない。それでも、切断面から新しい触手が生え変わるような反応もないため、次の作業に取りかかる。


 空間の底から遠ざからないよう、一度に飛び越えられる距離を手間でも数歩に分けた。隣の触手に移ったところで杖を突き刺した。


 少女が気付けた理由は、触手の根元付近は皆無といっていいほど動きが少ないためだろう。


 活動しない触手が空間中にただよっていても、底と繋がる根本部分は動きようがない。だからこそ、接近してくるような存在には即座に反応できた。


 急ぎ飛び跳ねれば、少女の足元を触手が通過する。

 状況把握のために見回す頃には、次の攻撃も目でとらえていた。


 ただ、大きく距離を取った結果、身動きが取れない中空に跳ねた。

 今度の攻撃は回避できず、触手による突進を受けることになった。


 水中のように重たい空間で、移動による加圧を全身で浴びる。

 敵の勢いは止まず。攻撃から逃れるために、握りこんでいた杖で表面の引っ掛かりを探す。どうにか杖を突き立て腕の力で体を引き上げるも、少女は逃げ出す猶予を得ることはなかった。


 背中から強い衝撃を受ける。

 直後の落下と全身を打つ衝撃をともなって、直前にいた空間から追い出されていた。


 硬い地面に落ちた感触と、近くで重量物が転がる音。液体に濡れた目元をぬぐい、霧に沈んだ市街地を見る。


 謎の空間から脱出した。そのわずかな安堵も続けざまに現れた触手により奪い去られる。こちらの下半身も隠せない厚みの霧からは、次々と巨大な触手が出現した。


 少女が迷わず走りだした背後からは膨大な破砕音が生じる。


 最初に見た頃と異なる。頻度。

 明らかに建物の破壊が集中している事実を前に、危険を聞き分ける余裕などない。

 濡れた衣服の貼りつきも構わず、ただその場から逃げ出す。


 少女の呼吸は詰まり、咳く。

 武器を持たない手は衣服を握りしめ、同時に胸部を押さえつける。

 濡れた靴底で抑えられた走りでは敵の追跡を断ち切らせてくれない。


 音が止まない背後に数十の触手を見る。

 触手は自身の重量で束なり、一塊となって大通りを埋める。およそ道路を割り、触れた建物を側面から削る。こちらを執拗に追いかけるようになった現状でも、巻き込まれた周囲が被害を負う。


 そうして刻々と縮まる距離に少女が諦めかけた瞬間、敵の接近が突然止まる。


 遠ざかった騒音に振り向くと、大量の触手が暴れる中で切断面をさらしており、切り落とされた先端部は勢いを失ったことで大通りに倒れ込もうとしていた。


 切断後も巨大な体積と質量を持つ先端部は、残された勢いで破壊を続ける。

 それでも直前までの狙いを定めた突進より、逃走は容易だった。


 少女が敵の巨体から十分な距離を取った時には、自身の隣に魔法少女が着地するのを見た。


 その手にあるのは儀礼刀。

 軍服に似た衣装で、端正な顔立ちで帽子を被せた髪を後ろに束ねる。

 その相手は、軍病院での検査期間に慰霊碑の前で出会った少女でもあった。


 同一の脅威を相手にする以上、本職との遭遇は不可避に近い。


 だからこそ、不運であると同時に、少女に足りない戦闘力を十全に補うものでもある。

 基地に在留する魔法少女の中で単独としては最高戦力。近況においても、怪獣二体の同時作戦に対して、先に出現していた強力な怪獣を対処した内の一人であった。


「貴方、狙われていませんか?」


 質問に答える間に、魔法少女は距離を取る。

 跳ねた進路へと儀式刀が振るわれ、遠方にあった触手は正面から断ち切られる。


 少女は、すぐに戻ってきた魔法少女に質問の答えを返す。


「……わかりません。ですが敵の本体らしき部分は見ました。半端に攻撃して、警戒されたかもしれません」


「どうやって本体を?」


「建物の倒壊に巻き込まれた時に、瓦礫と一緒に触手が繋がる先の空間に落ちました。重たい水に包まれた空間があり、その底部分で触手が一つに繋がっています」


 地上に戻った後も全身は濡れた状態である。

 少々走った後でも変わらず、服の表面から寄せ集めた液体を示す。


「これだけ時間が経っても、浮上しきっていない……」


 魔法少女は周囲を見回して、そう呟く。


 いくら時間が経とうと、怪獣の本体が地上に現れない。

 出現の前兆として霧が生じるなら、霧の晴れない現状は正しく出現を終えていない。球面状に広がるはずの霧が地表にとどまり続けるのもまた同じ理由に思えるだろう。


 知らない用語を聞き返す余裕は、今の少女に無い。

 敵の攻撃は止まず、魔法少女が現れる触手を次々に切り落としていく。


「可能であれば、このまま敵の標的になってもらえませんか?」


「はい。指示をお願いします」


 魔法少女の提案に対して、少女は速やかに答えた。


 自身にない攻撃手段を目の前の魔法少女が補ってくれるなら、市街地を逃げ回るより被害も減らせる。敵から注目を向けられている現状には価値がある。

 即座に返答できた提案も、現状と何も変わりない。


 とはいえ、身を危険にさらす提案を素直に受け入れると思われなかったのか、提案した側の魔法少女は表情を一瞬止めていた。


「敵が潜んでいた空間は、どの程度の大きさでしたか?」


「底までの深さは建物二十階ほどです、広さに関しては、街規模といっていいのか……見当もつきません」


 少女の発言は聞いたところで疑う内容ではある。

 被害に見合った巨体を持つと予想しても、町を越えるような巨体は想像しない。現状で目視できていないことを含めて、物理的に倒せる相手とはまず思わない。


「少し準備します……。常村二佐、広域破壊の許可をお願いします」


 魔法少女は、視線を外して会話を行う。


 動作だけでも周辺部隊への通信だと分かる。

 その内容に少女は聞き耳を立てた。


 怪獣への対抗戦力となる魔法少女は、相応の破壊力を有する。極端な破壊を生む攻撃となると使用が制限されるのも必然である。特に市街を戦場とする場合、ライフラインの切断が復旧に遅れを生じさせるなど、可能なら避けたい被害も存在する。

 通話の最後に魔法少女が復唱した内容も、おそらく破壊禁止地域の再確認であった。


「……移動します」


 少女は誘導されるまま、見通しの良い交差点にたどりつく。


 途中で襲いかかってきた触手は見事に地面へ転がされた。

 硬度のある触手の先端をたやすく切り落とす。攻撃力は間違いなく、使用に許可が要る攻撃についても十分な威力が期待できた。


「私は、何をすればいいですか?」


「このまま立っていてください。近づく敵は私が必ず斬ります。確実にするために他の魔法少女も呼びました」


 敵の狙いは相変わらずだ。

 あるいは致命傷を与えかねない魔法少女が隣にいることで、敵も注視せざるを得ない状況になったのかもしれない。


 儀礼刀を振るっていた魔法少女も次第に動きが減っていく。

 攻撃範囲は武器の刃長に見合わない。建物の合間から現れた触手は、こちらへ近づく前にことごとく先端部を失う。


 容易に扱えない攻撃であることは、周辺の建物に残る切り傷を見ればわかる。

 攻撃対象を明確に選べるわけではなく、どうにか範囲だけを調節している。敵は突進だけで建物を倒壊させる強度がある。そんな相手を切り落とす一撃の余波が外壁のわずかな亀裂で済むのだから、この魔法少女の技量は高い。

 攻撃が不可視であるという利点も、訓練の間では面倒な特徴だったに違いない。


 また周辺で生じる騒音も、他の魔法少女が戦っている証拠なのだろう。


 決着は近い。


 交差点内の霧が巻き上がれば、その場から触手の先端が現れる。直立する高さは周囲の建物を越え、攻撃は質量だけでも脅威になる。


 現れた巨体に対して、魔法少女は接近しつつ下寄りに武器を振るった。


「 『一閃』 」


 響いた音こそ大きかったが、攻撃を放った者の声さえ隠れないものであった。


 硬い物体が割られたことを確信させる音を聞いた。

 地面に強い衝撃が伝わったのは確実で、遠い騒音に隠れない確かな一撃があった。


 中心から裂かれた触手は力なく倒れる。そして自身が出現しただろう霧の元へ引きずり落ちる。

 質量体が地面を削る嫌な音を、次のひと振りで魔法少女が切り落とした。


「倒せたと思いますか?」


 魔法少女は隣に戻ってきて、そう告げる。


 攻撃の参考になったのは、たしかに少女が提供した情報だった。

 けれど攻撃した者と、敵の本体を知る者。魔法少女が敵の致命傷を確信できないと同時に、少女の側も攻撃の威力を確信できない。

 怪獣の死亡を判断するには例の空間に飛び込むべきなのだろうが、現在では、再び侵入したところで次に帰ってこれるとも限らない。


「待つというのは駄目でしょうか?」


「それしかありませんよね」


 周囲には道路を隠す白い霧がある。

 怪獣が大きかった以上、霧の完全な消失にも時間がかかるはずだ。


 解決策は無いという答えにも、魔法少女はしっかり笑顔を返す。


 周囲の戦闘音も消失したため、敵の破壊活動が止まったのは間違いない。

 事前避難を済ませた地区で、復旧作業すら行われない段階にある。住民も急いで帰りたいとは思わないだろう。


「……ここで待つにも、座る場所くらいは探しましょうか」


「そうですね」


 魔法少女の提案に同調しつつ、周囲を見る。


 一帯は損傷した建物が多い。建物が連鎖的に倒壊する危険もあれば、常人では考えられない休憩場所だ。

 とはいえ、霧に足元が隠される状態も良くない。現場近くで目についた低い建物の屋上で休むことになった。




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