007
少女は手に携帯端末を出現させる。
形代アイリという魔法少女が通信機を出現させていたことを少女も学んだ。出す直前まで重量を感じさせず、少なくとも手に収まる物品を意図して保管できる。変身時に衣服が入れ替わるのだから似た現象を扱えるのは異常でもなかった。
銃砲を自由に扱っていたアイリのように、それらしい杖を少女も持っている。
少女が持つ端末は、怪獣の出現予想と避難警告を示している。
現在位置は明らかに危険範囲の内側を示しており、建物高所に立つ少女の付近にも白霧が浮かぶ。
避難の発令は一週間前から始まっており、周辺に住民の姿もなければ、避難範囲の外周では軍による侵入規制が敷かれた。支援部隊と出くわさない限り、一人だけの空間がある。
端末に避難指示が長く表示されても、即座に居場所を軍に知られるようなことはない。
避難途中の紛失や位置情報の誤差を考えても、個人が特定できる設計はされておらず、少ない怪獣撃破の後も、追跡機関が個人を特定して自宅に踏み込んでくるような出来事はなかった。
避難警告に遅れた者を特定するような用途は通常ではなく、通信設備が民営で管理されている以上、大災害でもなければ軍との連携もないと、そう少女は考えていた。
腰に留まったアクセサリーへと触れる。
視界は遠方まで通らない。
風にも流されない白霧が周辺の街並みを隠す中で、空は明るさだけを伝える。
霧の発生が怪獣出現の予兆だとしても、今の景色は少女の経験にない。
怪獣の体格に比例して増大する霧も、あくまで表面的なもの。軽い気体を詰めた風船のように、膜のような形でしか霧は発生しないはずだった。
表面の霧さえ抜けてしまえば見通せる空間があるはずなのに、建物下部では霧の海に沈んでしまったかのような光景がある。
脅威度は未公開だが、避難の規模からしてC級以上は確定している。地面近くを霧がおおうという異変まで含めると、敵も特殊な能力を有していると予想できた。
また対処にあたる魔法少女も、戦力予備を含め10人は動員されているだろう、と。
とにかく、地面近くは霧に包まれていた。
道路近くは霧で視界が悪く、不意打ちを避けるためには建物の上階に留まるしかなかった。
だからこそ、少女の気付きは遅れた。
怪獣の体も目視できなければ対処は難しく、地響きを含む破壊音に気付いた時には、遠方で霧の海に沈んでいく建物が見えた。
少女は地上へ降りると、霧に隠れながら怪獣がいるだろう方向へと走った。
確かに敵との距離は縮まる。
進む内に、近くではいくつも建物が地面へと沈み、瓦礫が土煙と共に地表に広がる。
だが、巨体であるはずの相手は見つけられない。
足元が完全に見えない状態であろうと、少女の背丈でも、地上に降りた後でも街の通りの輪郭くらいは捉えられる。建物を一撃で崩壊させるような巨体なら全てを隠しきれるはずもないのだ。
明らかな違和感の原因を突き止めるためにも、少女は近くの建物を駆け上がった。
屋上から見渡す景色は、変わらず地上付近が霧に包まれていた。建物が崩れた区画がまばらに存在し、それどころか自分が通り過ぎた位置でも破壊が行われていた。
まるで敵が複数いるように、破壊の進路と順番が合わない。
被害の範囲に近づきつつあった自分が敵を目視できないのは、霧に身を隠せるだけの敵が複数隠れているから?
そう予想して、足元の揺れに気付いた時。
連続する破壊音に続いて下階から突き出してきた何かによって、少女のいる屋上にも大きな亀裂が刻まれた。
建物を内側から崩すように現れた巨体。
およそ地面から貫いてきたらしい全長に比べて長細い部位は、屈曲することで自ら空けた穴を押し広げた。
その影響は屋上に留まらず、強固な設計で作られた建物も骨と筋肉をつなぐ腱を切られるように、支柱との結合が失われた部位から建物が自身の荷重で崩壊する。
巨体の後退と共に、無数の破片となって崩落した屋上は既に破壊の進んだ階下へ簡単に落ちる。少女は体勢を直すすべもなく、瓦礫と共に崩壊に巻き込まれた。
覚悟した衝撃は来ず、瓦礫に混ざって落下した少女は、柔らかな感触に埋め止められて、落下は減速する。
少女が閉じていた目を開けると明るい空間を視界にとらえた。
付近には自身と共に沈んでいく数々の瓦礫が、落下と逆方向にある白い天井からは次々と瓦礫が落ちてきていた。
まるで水中に落ちたかのように体勢が整えられない。
少女は体をひねる形で見回した一帯には薄紅色に包まれた背景があり、ゆっくりと沈んでいく瓦礫の他には、ただよい入り混じる数えきれない量の触手を見た。
暴れもしない触手は地上でみた姿と異なる。寸胴に見えた形も、円を積み重ねた成長跡と生物みじた歪みがあった。
いくつかの触手は白い天井へと突き進み、その付近から新たな瓦礫を降らせる。その周辺では土砂が混ざって沈んでいく色のにごりが見えた。
広さも定かでない空間に沈んでいく瓦礫。
ゆるやかに沈んだ自分の体も底にたどりつく。
数多ある巨木のような触手は自分と比べるまでもなく巨大であり、沈んだ瓦礫が広く積もる底には触手の根元が存在していた。
それが怪獣だった。