033
転居が続いていた自分にとって、部屋に荷造りの箱が置かれた光景は、むしろ見慣れたものだと言える。大人たちとの会話を優先して入口側に置き去りにしたそれらを通り過ぎて、少々使い慣れた家具に身を落ち着ける。
荷物の開封作業は進まず、部屋の掃除に手をつけた。最後に中身を確認した時には、キーホルダーだけを取り出して棚に置いた。
いざ寝台から見渡してみれば、帰ってきた安心感を感じつつも慣れない自分がいた。
決して短いとは言えない魔法少女の運用期間であっても、終わりを意識しなかったことはない。教育から実戦まで所属を変えてきた彼らも同じだが、自分も最初に覚えた異物感から、この施設での生活が続くことは考えてこなかった。
制度改革のための一時しのぎと言われつつも、自分個人は他の魔法少女と同じく、力が失われるまで保護が続けられる。
そう覚悟して暮らしていた過去を、今では予想以上に短く思えてしまう。
翌日まで与えられた自由時間に自室を離れたのは、わずかな間、換気目的でもなく開けた窓から夕方の冷え込みを感じる頃には、部屋には来客が訪れる。
「戻ってきたんだな」
「うん。今日もお疲れ様」
「夕食はもう食べたのか?」
「まだだよ。アイリのことを待ってた」
部屋の中に誘えば、アイリが話題を持ち出す。こちらが不在の間の出来事といえば必ず思い当たるだろう内容は、望んでいたものでもあった。
「この前、アズサに会ったぞ」
「もしかして街の方で?」
「おう。捕まえようとしたら逆に捕まえられた」
「私の行動、ばれちゃったね」
「まあ良いんじゃないか」
アイリであれば、こちらの関与をまず疑う。
魔法少女の能力を失って移送されたはずの相手が再び力を持って現れる。管理する側は当然として、アイリは自ら一端を経験しているのだ。事実としては怪我の治療のみの結果だが、その経過の中では受けた能力に関する説明も行われていた。
「アズサについては、私の方でも、もう一度会って話そうと思う」
「もしかして怪獣退治に出るのか?」
「たぶん、車に同乗するだけになるのかな」
同行についても、アズサに対する事後責任を含めた特例である。
能力に目覚めた後でも自分は変わらず戦闘向きではない。
「それより、どう? アイリの方に体の問題は出ていない?」
「いたって健康だぞ」
「それなら良かった。効果が弱まったり、元の力まで消えてしまわないか心配だったから」
「怪我が早く治っただけでも得だから全く気にしないぞ。その時だって早い引退になるだけだし」
結局、最後まで魔法少女らしい活躍はできなかった。
それが自分に限った話でもなければ、今の自分の生活さえ届かない誰かがいるとしても、やはり望みは消えてくれない。
「ありがとね。アイリ」
「ん?」
「色々あったけど、ここで暮らせるようになったのはアイリのおかげだから。感謝だけは伝えておきたいな、って」
「大げさだな。今日からまた一緒に暮らすのに」
「うん、そうかも。でも、言える時に言っておかないと機会もなくなるかもしれないから」
個人的に怪獣退治を行っていた自分に、その日の担当だったことで出会った。
相手からすれば短い付き合いだが、施設で暮らして他の魔法少女と過ごすようになっても、自分にとってアイリとの関係は大きいものだ。
「だったら、私も言っておこうかな。サツキは命の恩人だし、毎日感謝しても良いくらいだ」
「ちゃんと長生きしてね」
「約束する」
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怪獣の最初の出現と比べて、被害を大きく減らせるようになった要因に、出現地点を予測できるようになったことがある。調査や観測を続けて、当初は不明だっただろう出現頻度や個体脅威の統計的な指標が定まり、制度による対応が可能となった。
現在では事態が発生した場合、一般人にも避難行動のための必要な情報が提供されている。
あくまで危険から遠ざかるための情報だが、精度に難があっても逆の用途に使えないことはない。とりわけ大規模なものに限れば、正確な時刻こそ知らされないが避難が無駄になることはないのだから。
興味半分に近づこうとすれば、封鎖や避難誘導のために各所に配置された兵士に発見される。まず通常個人では危険地帯への到達は不可能だが、元魔法少女であれば別の話だ。
設営地点を予想し、兵士の巡回間隔を考えれば必要な経路を調べられる。
各地の定点監視によって発見されようと、魔法少女が誇る身体能力で確保は困難であり、ある程度、出現地点に近づきさえすれば戦闘員ではない巡回部隊の追跡は中断される。
怪獣の出現を知らせる霧は既に大きく広がっていた。
遠い空は霧の乱反射により一様に明るい姿を見せており、自分がいたる路地にも、かすかな霧が建物の壁をすり抜けていく光景があった。
集合住宅が集まる一帯で、上階を見れば住民の洗濯物が干されたベランダがある。避難に不要な自転車は駐輪場に群がり、わずかな混乱を思わせる路上に散乱する紙束の数々。
ただ目立つ衣装を身に着け、地面の端に座り込む。
そんな時間の中で、視線の先に待ち人を見つける。
立ち上がる自分に相手は接近を続けた。緊急時の避難のために装着していた通信機に発見を告げて耳から取り外す。
「私を見ても逃げないでいてくれるんだ」
「サツキには、私を止める権利がある」
純白の衣装は魔法少女のようでいて、その姿にかつての力は存在しない。常人に勝る身体性能を持ちながら決定的な能力に欠ける眼前の少女に寄る。
これまでにも足止めをかわしてきた相手が、この瞬間だけは私のために静止を許した。
「久しぶりだね。アズサ」




