011
通路には常夜灯がともる。
薄い弾力の床に足音は響かず、窓の外に見える葉音さえ聞こえない。館内機器の稼働音を聞く廊下は、大窓から届く夜光が窓の外枠を残して一帯を照らす。
そんな中を歩いていた少女は、休憩用ラウンジに行きつく。
長椅子や机が置かれており、広がった空間の壁際では飲料設備が少ない光を出している。中庭を見渡すラウンジには既に利用者がいた。
「すでに消灯時間を過ぎていますよ」
「すみません」
静かに呼びかける相手に、同じく少女も小声で返す。
端末の発光に半身を照らされる女性の名を胸元の名札から知る。その隙には相手も近づきつつあった少女へ視線を向かわせていた。
「……眠れませんか?」
「はい、慣れない場所なので少し」
女性は作業の手を止める。
「もしかして、アズサさんのメンターの方でしょうか?」
「ええ、その通りです。彼女から紹介がありましたか?」
「いえ、今日の戦場からの帰りに、通話の声を耳にしまして」
「なるほど納得しました」
「私の名前は、安住トモエ、です。ここの研究員ですね」
「研究員ですか?」
「この施設に勤める人の大半がそうです。特にメンターは、同性という理由で各研究所から集められた人材ですから」
少女は安住と名前を交わした後に飲み物の用意を勧められる。壁際の飲料サーバーからお湯を持ち込んだ後には自らの病衣を整えて席に着いていた。
「明日には詳しい説明を聞けると思いますが、堅苦しい場では言いづらい疑問もあるかもしれません。知りたいことがあれば今の内に答えられますよ?」
「それでは、この施設では、どんな研究を行っているのですか?」
「そうですね。端的に言うなら、怪獣対処における運用方法の確立ですね。身も蓋もなく言ってしまうと、貴方がたを研究対象として、その特異性を調べるために、こうして身近に接する形で観察を続けています」
少女の抽象的な質問には難解と呼べない程度の答えが返る。
「特異性と言われると、筋力ですか……」
「ええ、そのとおり。諸々をふくめて身体機能の向上と説明されますが、それが一番分かりやすい共通点ですね。少なくとも競技大会への参加が認められないくらい隔絶したものですから。魔法少女とその他の人間で何が違うのか。誰でも魔法少女になれるわけでもなく、また魔法少女が発現させる能力の違いは何を原因とするのか。これらの解明が研究課題になっています」
「私もこれから調べられることになるんですね」
少女の目は下方に、飲み物を持つ手も止まる。
それでも続く安住の問いに目線はすぐ戻された。
「情報の積み重ねが重要になってきますからね。それこそ手に取るお菓子一つにも興味があります。……大抵は魔法少女になった後の変化ですが、運用上の助けになる知見があります。サツキさんも、魔法少女になったことで生活習慣が変わったりしませんでしたか?」
「変わったと自覚できるものは全く……、ここへ来るまで怪獣退治に出向いていたのも、言って気まずくなるものですけど、以前の私でも、魔法少女ならこうするだろう、と想像していたものなので。生活を変えたことも、その……、元々の性格だと思います」
「なるほど」
「私自身、魔法少女になって短いので、まだ気付いていないだけかもしれません」
「何か困るようなことがあった時には、誰でも職員に伝えてください」
他に誰もいない空間で、会話の合間には無音が伝わる。
安住の飲み物から一線と昇る湯気は、机の隅に遠ざけられた端末の照明により白く目立つ。
「聞き取りが終われば、教育施設に送られることになりますよね?」
「……断言はできません。向こうはあくまで候補生を育てる場所なので、既に魔法少女になった方を受け入れるのは厳しいかもしれません。ですが、保護しておいて放り出すような真似はしないと思います。こればかりは、サツキさんの責任ではありませんから」
少女を保護して間もない今は方針すら決定されていない。
現状では、怪獣対処の現場にいた民間人でしかなく、魔法少女と判明しているために急ぎで保護をしただけ。安住が断言を避けるのも当然だった。
「それにしても、魔法少女について詳しく知っていますね」
「この年頃なら一度は調べたりするものですし、他の地域で避難が行われていることを知っていれば、怪獣や魔法少女に関して全く知らない人の方が珍しいですよ」
「そういうものですか」
安住の感想に、持論を語った少女は弱い頷きを見せた。
「今度は、私の方から質問しても構いませんか?」
「はい。何でも聞いてください」
「サツキさんは、どういった経緯で魔法少女になったか、を教えてもらえませんか?」
その質問を答えるまでに一度、少女は自身に言い聞かせるように質問内容を小さく口ずさむ。
「確信を持てない話になりますが、怪獣の被害にまきこまれた。……というのは答えになりますか?」
「話しづらい話題でしたら、ごめんなさい」
「いえ、誰の責任でもありませんし、現に生きているので問題ないです」
少女の答えは、研究者である安住も予想できた内容でもあった。
眼前の少女に特殊性を見出さなければ、一般における怪獣との接点は災害と扱われるほどの破壊被害しかない。
「……変な言い方ですけど、きっと私は死んだんだな、って気持ちが今もあるんです。だからこそ、こんな体になって生活が変化することも当然で、変わるというなら変わるしかない。この建物まで素直に運ばれてきたことも、諦めがあったからだと思います」
続く言葉で質問に答えると、少女は疑問を返す。
「安住さん。普通の人は、どんな経緯で魔法少女になるんですか?」
「……先に断っておきますが、魔法少女については未だに解明できていない部分が多いです。現行の制度を含め、不安定なまま実践投入している事実があるのは理解しておいてください」
その経緯は少女も知っている。
怪獣対策を魔法少女に頼らざるを得ない現状そのものを。
軍部は諦めた。
唯一の手段をのぞいて、現在まで運用性のある手段を発見できていない。初期には様々な手段で撃退が図られたものの、結果として残されたのは負の遺産だけだった。
殺し切れない特性は当初から知られており、そんな怪獣に対して強固な壁による封印措置が試された。膨大な維持費をかけるそれを低脅威の怪獣全てに行えるはずもなく、ある時点から怪獣は巨大な穴に落として埋められる事となった。
輸送の観点から多くは脅威を喪失する程度に事前に損壊させておき、そうして運び込まれた肉の断片を一か所に投げ捨てる。今日までに判明した怪獣の特性も、かつては区別されないまま雑多に扱われた。その中には、他の怪獣の肉片すら自身の養分にする個体すら存在しただろう。
魔法少女が活躍する現在でも毎年、莫大な維持費を計上する。数々の汚染地区や規制地域に見劣りしない脅威を自ら作り上げてしまった。現状の管理体勢すら決して万全とは言えないものとなっている。
「はい」
少女は頷きと共に答え、少しの間が空く。
「最初の出現が怪獣と同時期と聞けば、どう思いますか?」
「それは……」
暗に示される関係性に、少女の言葉は続かなかった。
魔法少女のみが怪獣の再生能力を阻害できる。その現象に疑問を抱かないわけがない。
怪獣の存在が世間に認知されるようになった現代まで社会の陰で活動していたわけでもなければ、そもそも人々の内で継承されてきた技術でないことは魔法少女になった当人が実感することでもある。
「最初期の怪獣対策は単なる時間稼ぎでしかなかった。損傷を与えて活動不能にするとしても、多くは完全な破壊にいたらない。居住地域から遠ざけるくらいの方法しか通用しなかった頃に、撃破の戦果と共に軍を訪れたのが最初の魔法少女でした」
魔法少女の出現は、怪獣と同様、意図しないものだと言う。
「現在、我々が運用する方法は、その最初の魔法少女から教えられたものです。小数に限られる魔法少女だけでは実現しえない、保護と法制面での協力を見返りに教わったという経緯があります」
そう前置きを終えた安住が、少女の顔色をみた後に本題に入った。
「その魔法少女の始まりは、ある特殊な怪獣の肉を口にしたこと、だそうです。……自身の肉を食べさせた相手を魔法少女に変える、そのような能力を持つ怪獣の保護と運用方法が、現在まで継続されています」
「怪獣の肉を食べる、ですか」
「ええ。個人差はありますが、一定量を取り込むことで魔法少女の力が発現します。少なくとも、現在までそのような特徴を持つ怪獣は他に確認できておらず。そのため、個体の再生力から逆算して、年間に供給できる量にも制限が定められています」
魔法少女が少ない理由は、人選ではなく、魔法少女になる手段そのものにある。それでも教育課程の変更まで行って、多くの人材を集めるほど必要性が認められている。
「最初の魔法少女は、怪獣に望まれて肉を口にしたそうです。その少女に限り、ある程度の意思疎通ができたらしく、輸送車までの自発的に動いたとも記録があります。脅威は小さいと判断されて保護に踏み切ったそうですが、どのみち怪獣への対処法が存在しなかった当時に、保護以外の選択肢はなかったと思いますね」
表情に驚きをうかべていた少女に、安住はとりあえずの部外秘を言付ける。
「そんな経緯で今の環境があるんですね」
「もしかすると、これから教わる内容かもしれません。歴史書ではありませんが、このあたりの経緯を含めた、法学的な教材がありますから」
これからの境遇を聞いた後には少女は話題を変えた。
日勤の安住は今の時間帯にいることを知ってからは、速やかに会話を終えることになった。




