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 視界不良あるいは――、


 この様子では電子装備も全滅と思うほかない。

 腕ひとつ動かせずにいる現状、自力での救援要請は不可能に近かった。


 班長補佐が携行する無線機器さえ生きていれば、被害確認の後に救援部隊が、いや……被害規模が大きければ発見されるのはインフラ復旧時になるか。

 幸いにして市街地の復旧は急速に行われるため、こちらの発見そのものは最大生存時間には間に合うだろう。


 あとは自身の状態次第になるが、今のところ思考は安定している。


 生還さえできれば傷病手当付きの引退生活がある。

 そのための生存訓練は受講している。


 耳の脈動が聞こえるため、聴覚はおそらく問題ない。


 流血を起因とする強い脈圧と、全身の倦怠感。

 体勢こそ定かでないものの、顔にしたたる体液から逆さ吊りではないことは判断できる。

 この段階で、意識を失っていたのも短時間だと確信できた。


 任務前に合わせた時計も直近の記憶で示していたのは朝方。

 だとすれば、現在の視界は完全な密閉が原因だろう。


 自分がいた建物は総八階であった。

 崩落時はその三―四階の階段の折り返し部分におり、近隣の地形を考えても、考えられる状況は変わらない。


 瓦礫に囲まれたこと自体は不運だが、最悪にはなっていない。

 仮にこれが地表近くであったなら建物の全荷重を浴びていたことだろう。日常生活における転倒程度の衝撃は緩和できても、それ以上となると基礎部分の強度と完全に衝突する。人命問題さえなければ、一帯の瓦礫をそのまま横並びの重機で押し流してもいいくらいに、地上部とその下では設計強度が異なっているのだから。


 ミイラ取りがミイラになる話ではないが、避難誘導のため部隊が被害に巻き込まれていては世話がない。任務を中断しての緊急の撤退であったが、少なくとも、避難者を連れていなかったというのは幸いだった。


 ――このまま死んで苦しみ損になるのだけは嫌だった。


 外光が届かない視界の隅に、見慣れた白霧が横切った。






 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――






 隊舎に着けば、寮監を連れ立って自室に入る。

 訓練時間とあって他の隊員とは出くわさず。相部屋で自分に割り当てられた空間に向かえば、普段は収納に片付けられていた私物が、今では箱詰めされて机の上に置かれていた。


 犠牲者が多く出た今回は、寮室のかしこで似た光景が散らばっていることだろう。

 復旧作業を優先して、時期的にも部隊の正式な再編成は終わっていない。部屋の再割り当てについても優先度は低く、遺族の引き取りがない者が死亡した場合でも数日は部屋が保たれる。

 私物の保管期限はさらに長いため、自分が外出許可を得るまでには十分足りた。


 教本の類に予備の時計と、その他の小物。

 一つ一つを確認した後には、片脇にあった作業着と下着を紙袋に詰めて箱を抱える。


「それで全部か?」


 数年暮らした部屋を去るのに、多くの時間は要らない。

 精密検査を終えたことで除隊手続きは着実に進むことだろう。付属病院から歩いてきた自分は、病衣姿を脱いだ後も官品の服を再び着ることもない。


 個人用の病室に戻ると、運んできた私物を一度机に広げて次々と棚に収めていった。

 残り短い入院生活で多少暇つぶしになるなら、たとえそれが今後の生活に関わらない紙束だとしても、見慣れた習慣に寄せることは療養の一助になる。

 どのみち箱は返却するため、私物を一ヵ所に固めておく理由もなかった。


 最後まで箱に留まっていた小物の内、キーホルダーだけを取り出せば、病室の収納棚を開けて一着の訓練着の横に置いておいたそれを手にする。


 上下で大きさの異なった球を滑らかにつなげた輪郭で、浅い溝と色の使い分けで、顔や腹の特徴を表現する。手触りや着色からなにかしらの量産品と思えるそれだが、手にする二つは、色落ちの具合も傷のひとつも変わらない。


 区別できない自分に失望していた後には、ため息を出していた。


「大見さん、入室しても構いませんか?」


 病室の扉側から声が届けば、手にあったキーホルダーを箱に隠す。


 現れた女性は、身長は女性平均よりわずかに高い程度、肩にかかる茶髪の先には、名前と共に名札に書かれた外勤という文字が見える。


 加賀医師は自分の担当医でもあり、自分が外出禁止を命じられている間に、数々の手続きを済ませてくれた相手である。


 今回の作戦で大きな被害を出したために、病院側も通常対応では間に合わず、さらに外勤の医師まで集めた。


 とはいえ、当初は昼夜問わずに行われていた急患の収容も、自分が入院した時には収まり、復旧作業による負傷も現地の医療テントで足りている状態らしい。

 現在でも変わらず外勤の医師が勤務するのは交替制を高めた結果で、連日の疲労を思えば、勤務時間の短縮も適切な対応だ。


「先生もお忙しいのに、なにかと面倒を増やしてしまって申し訳ないです」


「これも仕事の内ですから。それより、私物の受け取りの方はどうでしたか?」


「おかげさまで、このとおり。速やかに対応してもらえました」


「それなら良かったです」


 人事科との話し合いを終えて、外出禁止が解かれた翌日が今日。

 除隊が決定した者の私物を保管しておく理由もないため、手続き次第に引き取りを完了してもらいたいのは、双方で納得できる話だが処理が早い。


 手続きが順調に進んだことには、やはり目の前の医師によるものがある。


 外勤といいつつ軍部の手続きを熟知しているのは、元々から連携が深い勤務先なのか、あるいは大量の負傷者が見込まれて一連の処理を一括対応する体制が裏で作られていた可能性もある。


 悲惨な光景を直視しないわけにもいかない軍人は、似たような理由の除隊も多く、数値として示されている以上、当然それに対する福祉も手厚い。


 実働経験もあれば、今回の件でも自主退職にはならなかったはずだが、経過観察の申請を含め、各種の福利厚生が認められたおかげで今後の不安もいくらか減る。何より直近の金が得られたことは分かりやすい安心となっている。


「……正直、検査結果が正常値ばかりで、自主退職で片付けられると思っていました」


「証言の時点で、異常状態にあったのは確実でしたよ。検出できない異常がないとも言えませんし、災害による心的影響は後になって響いてくるものですから。……支援制度も当然のことだと思って休養に専念してくださいね」


「まだ言うには早いですけど、お世話になりました」


「また別の場所でお会いした時には、よろしくお願いしますね」


 人事科にとっても、標準的な対応に留まり苦労が少なかったかもしれない。

 勤務態度は可もなく不可もなく、優秀な技能持ちでもなければ引き止めるほどでもない、ただの平隊員だったという話に帰結する。


「……そういえば、この後は慰霊碑の方に向かわれるつもりですか?」


「はい、そのつもりですけど、呼び出しがあったりしますか?」


「いえ。ただ、良い天気ですから、水分補給は忘れないでくださいね」


 先生が視線を向けた窓側には、薄雲ただよう快晴が見える。

 病院近くの散歩であれば水分補給も難しくないが、周辺を森に囲まれた慰霊碑となると水を持ち歩くくらいの準備は要る。


「今日ぐらいの日に追悼式もあるといいですね」


「そうですね」


 病院の売店で買いそろえた商品の袋を片手に、遊歩道を歩くのもそう長い距離ではない。

 敷地全体に広がる景観林は、都市の景色を隠すには余りある。木陰からの好ましい風を感じる中では、いくらかの来訪者を目にした。


 各所の遊歩道が最後に交わる式典用の歩行路は、まっすぐ慰霊碑へと繋がり、左右に広がる奥の空間では数々の石碑が並ぶ。数日後の予定に向けて清掃作業が進められているところを静かに進み、常時設置された献花台に袋から出した小瓶の酒を置けば、手短に黙祷をささげた。

 今回の犠牲者が未だ刻まれない石碑の余白に、自分の名前が加わらないことを想像して、去るまでにもそれほど時間はかからない。


 慰霊碑からの帰り、遊歩道の途中にあるベンチで休憩しているところで一人の少女に声をかけられる。


「あの、貴方は……いえ」


 聞こえてきた声に視線を向ければ直前の慰霊碑で見かけた少女がおり、その着衣を知り、わずかに姿勢を正す。


 元々民間人の利用が少ないこの場に訪れる者は、犠牲者の遺族か、軍関係の人間に限られる。通常仕様とは異なる無地の軍服に片腕に腕章を付け、およそ成人未満であろう相手は、この基地において特別な立場を有する。


 兵士の階級章と違いあくまで所属を示すだけの腕章だが、その立場や影響力は一般兵より上位にあたる。職務の都合で一方的に知っている相手だ。


 二宮梓。

 そんな少女が自分に声をかける理由が思いつかず、こちらが身構えたのを知ってか相手も動きを止めた。

 ただ、生来と思しき厳しい目つきも弱まり、立ち去るのも難しそうな姿だけがあった。


「ここには、度々訪れるのですか?」


「その……、個人で来るのは初めてです。今回の件があって、どうしても」


「私も似たような理由です」


 少女が伝えようとする事件は、自分との関わりも深い。


 複数地区に渡る機能喪失と、軍関係の多数の犠牲者を生んだ。個人の経験においても記録としても格別した事件だ。

 もっとも、注目すべきは被害状況それ自体ではなく、数ヵ月も前から避難指示が行われていたことなど、現在の対策計画の有効性を確かめる事例となったことにあるだろうが。


 人的被害についても、自分のような人間がいくら犠牲になったところで、眼前の少女の死に比べれば国の損失など無いに等しい。


「――ひと昔は都会っ子なんて言われていましたけど、やっぱり身近に虫を見る機会が不都合な状況ばかりなので、人間にも有益な活動をしていると言われても実感しづらいですね」


「そう言われてみると確かに納得できる」


「まあ、そんな事情もあってか、私が暮らしている建物でも虫避けには苦労はしているみたいで。……詳しく聞いたわけではありませんが、建物に虫が寄らないよう、周辺の外灯は室内より明るいものが使われているそうです。それでも時折虫が入って騒動になりますけど」


 立たせたままの会話は気が進まず、誘った後には少女の姿が隣にある。

 この場にベンチが設置されたのも風通りや陽当たりを考慮してのことなのか、長居に困らない天候に、挨拶程度の会話も続いていた。


「昔は環境保護なんて言って自然林も残していたんですよね。……それを、いざ必要になれば更地にしてしまえるんですから。当たり前ですけど、人間が生きる前提で考えると守れるものは少ないですね」


「きっと、あの頃は怪獣が現れるなんて誰も予想してなかった。方法があるかぎり諦めない賢さがあり、実際恵まれていた。環境保護も人間が長く生存するためにある。想定した用途と異なるからと批判を受けたとしても暴動が起きるよりマシだと思う。一斉移住できる土地が存在しただけで、いくらか効率よく法整備が進んだはずだから」


 持つものだけが生き残る。

 日頃から分かっている事実だとしても、明らかな死を持ち出されてしまうと一転して素直に従うことは難しくなる。反乱や暴動、それらを起こせば生存できるとなれば、どちらにしても保護区などという制度は真っ先に無視されただろう。

 開発された新都市が指標となり移住と再開発が進められたこともまた、歴史をみれば繰り返されてきた話である。


「そうかもしれません。おかげで今の社会が保たれてる思うと、一概に批判もできませんし。難しいです」


「仮にそうならなかったとしても、今頃この会話をする人間が、生き残れた理由に感謝することは変わらないだろうね」


「ですね」


 市街地で街並みにさらされない空を眺められる軍事基地も制度の一つだ。

 軍隊は個人のために活動することはない。国家という巨大集団のためという意義があっても、軍事基地が希少な地域の一部を占有することで、保護の届かない小数を危険にさらしている事実はあるため、環境次第では解体すべき組織となっていたかもしれない。


「少し話し込みましたね。私も散歩途中ですし、このあたりで別れましょうか」


「すみません。初対面なのに長話になってしまいました。けど、楽しかったです」


「また、どこかでお会いしたら、声かけくらいはしますよ」


「私もそうします」


 座り込んでいた体に軽くウォームアップを行う。

 そうして、いざ立ち上がったところで、少女から再び声が届いた。


「あ、絶対安全くん……。大見さん。そのキーホルダーは?」


「……これですか?」


「私も好きなんです。かわいいですよね」


 少女の視線が示したのは、こちらが病衣の前ポケットにしまう携帯端末の飾りである。


「……これ、貰い物なんです」


 過去に自身で調べて正体が分からずにいた。

 二つ目を入手して持ち歩けるようになって最初に気付くのが目の前の少女だったことは、嬉しい反面、これまでの行動に遠回りを感じずにはいられない。


 そもそも初対面の相手にあげてしまえる物に大した価値があるはずもなければ、キーホルダーそれ自体の情報は写真を見せて聞き回るほどの緊急性もない。


 おかげで、答え方が悪かったのか共感できないのが伝わってしまう。どうにか、間に合わせの会話で少女の止まった表情を落ち着かせて、遊歩道を後にした。


 官給品である訓練着を返却すれば、これだけが自己の証明になる。

 たとえ瓦礫の中で本物が発見されてしまったとしても。




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