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散りばめられた手がかり

公子はご友人のディラン様にだけでなく、宰相であるザッカリー・ハットルーテ公爵にも私を婚約者として紹介しました。

ハットルーテ公爵家も王家の遠縁にあたる家系で、カスティーリ公爵家とは近親関係にあります。

閣下は彼の隣でカーテシーをする私を見てとても驚いた顔をなさいました。


「そうか…知らなかったよ。そうか…それでか…」

「事情は後程ご説明いたします」

「まあ…何となく察しはついた。やれやれ、君も災難だな」

「痛み入ります」


公子が頭を下げると、閣下は苦笑しながら彼の肩に手を乗せました。

私はおふたりの会話の意味を考えます。

浮気がばれたことが災難で、だから休みを取ってまで婚約者のご機嫌取りをしに来たのか…と受け取ることもできます。

閣下は婚約者がいることをご存知なかったようですから、公子に騙されて協力させられていたのでしょう。

ですがもしそうだとすると災難だったのは巻き込まれた宰相閣下の方で、彼ではありません。

部下の不貞を咎めることもなく、むしろ励まそうとしているところも気にかかります。

オーロラ嬢やヴェロニカ嬢にだけではなく閣下にも私のことを悪し様に言って、同情を買っているのでしょうか。

私はいったい公子と関わりのある貴族の皆様からどのような人間だと思われているのでしょう…。

思わず沈んだ顔をしてしまうと、閣下に親し気に微笑みかけられてドキリとしてしまいました。


「朝から晩まで君の大切な婚約者を独占してしまって申し訳なく思っているよ。彼の帰りが遅いのは半分は名ばかり貴族どものせいだが、半分は私のせいだ。彼は優秀だからつい頼ってしまってね。どうか恨まないでくれ」

「い、いえ…」

「閣下、本気でそう思っていらっしゃるのならもう少し手加減していただければと」

「ハハハ、そうできないのはわかっているだろう?本当ならもっと扱き使いたいくらいなのに」

「これ以上は倒れます」

「若いうちから自分で限界を決めてしまうのは良くないよ、ルーイン」


親子ほど年が離れたおふたりですが、気安く冗談を言い合えるのは大叔父と又甥という間柄でもあるからでしょう。

閣下は別れ際まで私に対しても親密に振る舞ってくださいました。


執務室を出ると、私はここへ来た時と同じく何人もの方の好奇の視線に晒されました。

宰相閣下のお部屋は事務室の中にあって、公子と同じ補佐官の方や雑務をこなす事務官や女官が十数名ほどいらっしゃいます。

公子はこちらにいる皆様には私を紹介せず、「見学者を連れてきた」とおっしゃるだけでしたので、余計に何者なのか気になるのでしょう。

見たところ室内には2名の女性がいましたが、おふたりとも下を向いていてどちらがオーロラ嬢なのかはっきりとはわかりません。

一通り説明を受けてお暇しようかと思った矢先、事務室を尋ねてきた方がいました。


「失礼します――っと、またお会いしましたね」


扉の向こうから現れたのは、先程とは別の書類を抱えたディラン様でした。

けれど間もなくしてその後ろから別の男性がやって来ます。

全体的に少々丸みを帯びた狡賢そうな印象の方でした。


「おお!いたのかルーイン君!ちょうどよかった!君に確認してもらいたい文書があるんだが…」


こちらに来なさいといったふうに手招きをした男性に、扉の傍にいたディラン様が声をかけます。


「お疲れ様です、ファラット宰相補佐殿。彼は今日非番ですよ」

「チッ、なんだ貴様は…外務部の小童か。非番だから何だと言うんだ?私に何か関係があるのか?この部署で一番の古株は私だ。今この場で一番偉いのは私なんだよ!部外者は黙っていたまえ!」

「…そうでしたね。差し出がましい真似をしまして申し訳ありません」

「全くだ!先代から30年以上宰相補佐を務め上げる私を嗜めようとするとは!躾がなっとらん!!」

「――ファラット補佐官、彼は私の友人ですから心配してくれただけで他意はありません。確認が必要な書類はどちらですか?」


突然大きな声を出されたことに驚いて体をびくつかせると、公子は私を背に庇いながら男性とディラン様の仲裁に入りました。

貼り付けたような笑みを浮かべる公子に、補佐官様はにやりと意味ありげに右側の口角だけを上げます。


「なんだ、女性を連れてきていたのか?私にも紹介してくれ」

「彼女は見学者です。今日は彼女の付き添いで来ていますので、手短にお願いします」

「生意気な奴だ。口の利き方に気を付けろよ若造…私は君が来る30年前からここで補佐官をやっているんだ。身分なんぞ関係ない。ここでは実力が全てだ!経験のある者が上なんだよ!」

「承知しております。それ程の経験がおありなのですから、私のような若輩者の手は必要ありませんね」

「そ、そうは言っていないだろう。屁理屈を言っていないで早く来い!」


感情的に声を荒げる補佐官様に対して、公子は冷静でした。

こういったやり取りは慣れていらっしゃるのでしょうか。

それにしても…あんなにご自身で経験豊富だとおっしゃっていたのにお手伝いはさせるのですね…。

結局彼はファラット補佐官様の机に呼び寄せられ、彼の仕事を肩代わりすることになったようです。


「すまないルーイン…かえって余計なことをしてしまったな」


ディラン様が眉根を下げながら公子に囁きかけます。


「いや、君の所為じゃない。彼が短気なのはいつものことだ。持ってきた書類は僕から閣下に渡しておくよ」

「いいのか?悪いな…」

「その代わり少しの間彼女を頼めないか?」

「え?ああ…僕は構わないけど…」

「…きっと君に聞きたいことがあるはずだから答えてあげて欲しいんだ」

「…! わかった、任せてくれ」

「ありがとう、助かるよ」


おふたりは傍にいる私にも聞こえないような小さな声でこそこそとお話された後、何故か私を振り返ってにっこりと微笑みます。

いったい何のお話をされていたのでしょうか…。


「リタ、申し訳ないけど少しだけ彼と待っていてくれ。すぐ戻るからね」


公子は私の肩に手を乗せると、頷いた私の額にキスを落としました。

こんなことをされたのは記憶も定かではないくらい幼い頃以来です。

愛しのオーロラ嬢が見ているかも知れないというのに…どういうおつもりなのでしょうか?

心なしか皆様からの視線が先程よりもずっと強くなったような気がします。

その中で一人だけ、あえて私のいる方を見ないようにしている女性がいました。

どことなく横顔や纏う雰囲気がヴェロニカ嬢に似ていて、私は彼女がオーロラ嬢だと確信しました。

髪の色は妹のヴェロニカ嬢と比べると少し濃いめの金髪で、お顔が羨ましいほど小さく、背は私くらいか少し高いくらいです。

利発そうな印象で、どこかふわふわしている(と称される)私とは性格も行動も正反対のように思えました。

周りの方は彼女にもちらちらと視線を送り、反応を確認しているようでした。

もしかしておふたりは職場公認の仲なのでしょうか?

だから公子が連れてきた謎の女性をこれほど気にするのでしょうか?

私が婚約者だと皆様の前で紹介しなかったのは、彼女の立場を慮ってのことだったとしたら…辻褄は合います。

ですがこれはあくまで憶測で、私の思い違いだと言われてしまえばそれでお終いです。

浮気の証拠が掴めそうで掴めないまま、私はディラン様に促されて事務室のバルコニーへ出ました。


バルコニーからは建物で四角く切り取られた中庭が見えました。

中央には人魚らしき石像と噴水があり、庭の周りを囲むように木が植えられていて、木陰にベンチがいくつか置かれています。

後ろを振り返るとガラス張りの窓から事務室の様子が窺い見れました。

公子はファラット補佐官様と何やら真剣な表情でお話をされています。

あの様子ならしばらくは戻って来られなさそうです…。


「驚いたでしょう」


ちょうど私からディラン様に声をかけようと思っていたところに、彼の方から話しかけられて少しドキリとしてしまいました。

声のした方を振り向くと、彼は少しだけ離れたところで手すりに寄りかかりながら苦笑いを浮かべています。


「でもあれが僕達の日常なんですよ。王宮勤めに憧れて頑張って官僚になりましたが、働いてみないと内側はわからないものですね。僕は三男坊で比較的自由に育ちましたから、鍛えられましたよ…色々と。――って、すみません。少し愚痴っぽくなってしまいましたね」

「いえ…私には想像もできないほど大変なお仕事だと思います」

「ありがとうございます。後でルーインのことも労ってあげてください」

「はい…」


彼は私の気持ちを解そうと気遣って、いろいろなお話をしてくださいました。

アリアンナ嬢と初めてお見合いをした時のお話や、アリアンナ嬢に交際を申し込んだ時のお話、公子と二人で薔薇園へ行って奇異の目に晒されたお話、3回目のデートで彼女が転びそうになったのを助けようとして手が触れた時にドキドキしたお話など、ほとんどアリアンナ嬢関連のお話でしたが、楽しい話題に自然と頬も綻びます。

ディラン様は本当に人の好い方で、今日お会いしたばかりなのに不思議とそうではないように思えてきます。

その優しげな笑みを見ていると、この方なら私が何を聞いても正直に答えてくださるような気がしてきました。

私の頭の中にノワイオの街で出会ったふたりの女性の顔が思い出されます。


――幸せは絶望の後にやってくるのよ。

――上手くやんな。頑張るんだよ。

(エクレールさん…店主さん…私、勇気を出してみます)


彼に気付かれないようにこっそり深呼吸をして、逸る気持ちを落ち着かせます。

公子の浮気疑惑の証人候補に選ばれたとも知らず、彼はアリアンナ嬢がフィニッシングスクールでどのように過ごされていたのかを私に尋ねては興味深そうに耳を傾けています。

ちょうど会話が途切れたところを見計らって、私は何気ない風を装って彼に探りを入れました。


「…私もディラン様に公子のことでお伺いしたいことがあるのですが…」

「ルーインの?構いませんよ。僕にわかることなら何でもお答えします」

「ありがとうございます。その…公子がディラン様の他に親しくされている方がいらっしゃるかどうかをお聞きしたくて。お世話になっている方がいらっしゃるなら、こ、婚約者としてご挨拶をしておきたいのですが…」

「? それは彼に直接聞いたらいいのではないですか?」

「お、教えてくださらないのです。必要ないとおっしゃって…」

「ああ…そういうことですか。リターシャ嬢、ここは彼に従っておいた方が身の為です」


こう聞けばきっと何人か親しい方の名前を挙げてくださると思いましたが、予想が外れました。

身の為…と言われるとなんだか物々しく聞こえて戸惑ってしまいます。

彼が笑っているところを見ると恐らく冗談かとは思うのですが、まるで公子が私に危害を加えるとわかっているような口ぶりです。

従わなかったらどうなるのでしょうか。


「ルーインはただ貴女を囲っておきたいだけですから」

「…囲う…というのは、どういう意味でしょうか?」

「え?ああっと…そうか。うーん…そうですね…」


余程答えにくいことなのか、彼は意外そうに目を瞬かせた後で口をもごつかせました。

先程まではすらすらと答えていらっしゃったのに、突然言い淀むだなんて何かあるに違いありません。

その次に発せられる言葉に身構えていると、彼は「まあ、いいか」と楽観的な声を上げ、何か楽しいことでもあったかのように愉快そうに微笑みました。


「この際なのでぶっちゃけてしまうと…彼は可愛い婚約者を他の男性に紹介したくないんですよ」

「……え?」

「ルーインはああ見えて器の小さいところがあるんです。貴女が他の男性に目移りしてしまうんじゃないかと心配なんですよ。僕がそう話していたってことは秘密ですよ?」

「目移り…?私が?」

「あ…すみません!言い方が良くありませんでしたね…どうか誤解しないでください。貴女にその気がないのは彼もよくわかっていますよ。でも中には婚約者がいるとわかっていても近づいてくる悪い男が沢山いるんです。ルーインはそういう輩から貴女を守りたいと思っているんですよ」


ディラン様は何をおっしゃっているのでしょうか?

私が他の男性と仲良していたら公子が嫉妬をするということですか?

他の男性に取られたくないと思っていると?

まさかもまさかです。

それは男性としての矜持が許さないだけで、私を守りたいからなどではありません。


「お言葉ですが、それは思い違いです。ディラン様はご存知ないかも知れませんが、公子は他に好きな女性ができたのです。私を他の方に紹介しようとなさらないのは、私の身を案じてのことではございません。近い内に私達は婚約を解消し、その後彼はその女性と結婚するおつもりなのですから」

「…なるほど。確かに状況は変わったようだ」


言い終わった後、私ははっとして口元を押さえました。

ついむきになって言い返してしまったことが恥ずかしくなります。

私の反論を聞いたディラン様は口の中で何かを呟くと、語りかけるような口調で異を唱えました。


「リターシャ嬢、ルーインは貴女と婚約を解消するつもりはありませんよ」

「え……」

「彼は貴女のことをとても大切に想っているんです…昔も、今も。社交界には内容の真偽に関わらず様々な情報が入り乱れていますから、あまり本気になさらず噂程度に捉えておくと気持ちが楽ですよ。どうしても気になるのであれば彼と話をしてみて下さい。違うと言うはずですから」

「……」

「ルーインが貴女以外の女性とどうこうなるなんてことは絶対に有り得ません。長年の友人である僕が保証しますよ」

「……」


その後、程なくして公子がお仕事から戻られ、それ以上ディラン様とお話することはできませんでした。

王宮へ行けばオーロラ嬢との浮気の証拠を何か掴めるかと思いましたが、予想外の結果に終わってしまいました。

もしディラン様のお話が本当だとするなら…彼はなぜこの3年間お手紙のひとつもくださらず、お会いしてもくださらなかったのでしょうか。

私のことを本当に大切に思っているのなら、そんな冷たいことはなさらないはずです。

『敵を欺くにはまず味方から』とも言いますし、公子が上手く彼を操っている可能性もあります。

引き続き情報収集をしなくてはなりません。

他にどんな方法で証拠集めをしようかと考えていると、皮肉にも公子の方からその機会を持ってきてくださいました。


「リタ。再来月に王宮で舞踏会が開かれるようだから一緒に行こうか」



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