悪魔の皇子《ルドルフ・アドリューシュ》
戦場に、一人の男が立っていた。
硝煙と曇天。
鼠色の雨が降り注ぐ。
「―――殿下。……ルドルフ皇太子殿下」
鎧を纏った騎士たちが、男を見上げた。
「準備が整いました」
「―――ああ……」
魔物の血が蒸気となって、空へと立ち上る。
男は剣をまっすぐに天へと掲げた。
血よりも濃い、彼の紅髪が、灰色の風に揺れる。
長いマントが旗めく様は、伸びる影と相まって、まるで巨大な獣が蠢くように見えた。
その男―――帝国第八皇子、ルドルフ・アドリューシュは、皇族の血を引く精悍さ、そして若き青年としての危うさ、その両方を携え、自らの兵たちを見下ろした。
「俺たちは今この瞬間より帝国への叛逆を始める。
―――邪神の傀儡と化した現皇帝アルバ・アドリューシュの首及び、魔道へと堕ちた第三皇子派を含む皇族貴族共の首を一人残らず、アーノルドの神へと捧げよう」
ゾッとするほど冷たい声は、なんの感情も感じることができないだろう。しかし戦場においてそれは、兵士たちにとっての絶対的な運命を意味していた。
ルドルフにの言葉に応え、騎士の一人が叫んだ。
「帝国の新たな赤き大翼、ルドルフ・アドリューシュ皇帝陛下に、我々の命を捧げます!」
「「「我々の命を捧げます!!」」」
歓声が上がった。
男は、燃えるような青い瞳で、空の先を見つめた。
「俺がお前たちへ……この過ちを、証明しよう」
*
王城。
会議を終え、臣下たちが噂話を始める。
「……聞いたか?」
「慌ててどうした?」
「あの魔境戦線より、第八皇子が帰還するそうだ。
凱旋式が執り行われるらしい」
「第八皇子が帰還? あれは、死んだのではなかったのか?」
「それが……魔境を制圧し、蛮族の首を取ったと……」
「そんな……」
「まさか! あの《《狂った悪魔の子》》が、王城に入ると?」
「そんなもの、王妃殿下が赦しはしないだろう!」
「帝位継承権はどうなる? ……皇帝陛下は、このことをご存知なのか?」
「皇帝陛下は……この暦のうちに、第三皇太子殿下へと、帝位を継承されたいとのお考えだったはずだ」
「ああ、道理で……最近教会の人間が王都に入ってきていた」
「神聖国より聖女様もお越しになるとか」
「なんと! あの聖女様が……」
「聖女と第三皇子とのご結婚は、既に決定事項と言える」
「では……新皇帝の時代が来るということか」
「……はは。あの悪魔皇子に果たして、この王城で座る席があるのかどうか」
*
王都が燃えていた。
爆発と共に、城壁が崩れていく。
蒼きドラゴンの旗を一つずつ騎士たちは引きずり下ろし、真紅の鷹神の旗が掲げられた。
空は赤く染まっていた。
「は……叛逆だ!!」
「兵士は……近衛兵はどうしている?!」
「新皇帝ルドルフ・アドリューシュに王冠を!」騎士たちは叫んだ。
「アーノルドの神を裏切った、謀反人たちに罰を!!」
「皇子たちはどこだ?!」
地中深く。
王城の地下。
ルドルフは血を分けた兄弟たちを、一人ずつ、一人ずつ、剣で貫き、薙ぎ払っていく。女も子供も関係無く。皇族は全て。彼の手で葬った。
闇に浮かぶ白い柱が、まるで墓標のように立っている。
爆破によって流れ込んだ地下水が足元を濡らし、殺された皇族たちの血を、洗い流していった。
最後に残ったのは、金髪の一人の男だった。
「も、もう……見逃してくれ……私になんの力がある?
何ができる? 皇帝なら、お前がなればいい!! 私は、私はもう――」
「《《なんの力があるか》》?」ルドルフは笑った。ゾッとするほど、冷酷な声だった。
「《《あなたは皇子ではないですか》》、兄上」
「悪魔……ッ!! 来るな悪魔があ……ッ!!」
血よりも更に濃い赤の髪。
燃えるような蒼の瞳が、獲物を追い詰めてギラギラと光った。
「お前は皇族を殺したのだッ!! 神に叛く重罪を!!」
「俺の半分は、あなたと同じ血でできていることを、兄上。お前はよく、知っているだろう?」
ルドルフは、指で頬についた帰り血を拭った。
「お前は神の元に生まれた責任を取るだけだ。俺と同じように」
男は歯を剥き出した。
「皇族を皆殺しにし!! それでも飽き足らず!!
本物の悪魔が……悪魔の血が皇帝になるなど!!」
唾を撒き散らした。
「許されるとは思うな!!」
目は血走っていた。
「お前は、お前の存在そのものが、間違いだったのだ!!」
男はかつて、高貴な人間だった。
「神は赦しはしない!!」
「――神の赦しなど」
ルドルフは、静かに答えた。
「最初からそんなもの、俺は望みはしない」
魔境戦線を勝ち抜き勝利へと導いた戦場の英雄――
後に『暴虐の皇帝』と呼ばれる、アーノルドの第八皇子ルドルフ・アドリューシュはそうして、帝国の血族たちを一人残らず虐殺し尽くし、皇位簒奪を遂げた。
アーノルド帝国暦1347年のことである。