あるヤクザの秘密
「おいコラ、てめえはどこのチンピラだ? 誰に断って、ウチのシマでシャブ売ってんだあ?」
金髪にスカジャン姿の若者の襟首を掴んでいるのは、これまた金髪の若者だ。ただし、スカジャンの若者と違い天然の金色なのである。肌は白く、顔は端正で欧米人のように彫りが深い。着ているスーツには、スカジャンの返り血が付いている。
スカジャン男はボコボコの顔で、鼻血を流しながらもニヤリと笑ってみせる。
「てめえ、俺にこんなことしてただで済むと思ってんのか……ウチの組長はな、必ずてめえを殺すぞ」
「組長? 上等だよ。俺はな、福井組の徳田だ。その組長さんとやらに、いつでも来いって言っとけや」
言うと同時に、徳田はスカジャンを殴り倒した。見た目からして、ヤクザにもなれない半端者のチンピラだろう。こんな奴を叩きのめしたからといって、組長なる人物が出てくるはずがない。
トリンドル徳田はヤクザである。
名前を見ればわかる通り、アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフだ。もっとも、両親は彼が幼い頃に亡くなっている。アメリカを旅行中に、銃の乱射事件に巻き込まれてしまったのだ。その後、彼は祖父に当たる福井組組長の福井光徳に引き取られ、ヤクザとしての道を歩み始める。
徳田は、ヤクザの世界でたちまち頭角を現した。今では、二十五歳という若さでありながら福井組の稼ぎ頭となっている。若い組員からの人望も厚い。もっとも、彼は犯罪には手を出さない。むしろ、まっとうな商売の方で儲けている。しかし、福井組の縄張りを荒らす者には、容赦なく暴力で報復する。
その後、徳田は車に乗りあちこちの店を回る。こまごまとした用事を片付け、自宅へ帰った頃には午後十時になっていた。
徳田は、今も組長の福井と一緒に暮らしている。福井は昔気質のヤクザであるが、家はこじんまりしたものだ。昭和のアニメに出てきそうな、二階建ての一軒家だ。二階の一室が、彼の部屋である。いつもなら、帰ると同時に祖父に挨拶するが、十時ともなると眠っている。福井は、夜の八時に寝て朝五時に起きるような男なのだ。
そんなわけで、徳田は真っすぐ部屋に行く。スーツを脱ぎ、ジャージに着替えた時だった。
突然、二階の窓ガラスを叩く音がした。何者かはわかってる。人間なら、わざわざ二階によじ登って来たりはしない。
窓を開けると、そこには一匹の三毛猫がいる。
「なんだよ三毛子、今日は疲れてるんだ。お前と遊んでる暇はないんだよ」
猫に向かい、面倒くさそうに言った。すると三毛子は、にゃあと鳴く。
徳田の顔が歪む。くるりと背中を向けた。
「知らねえよ。猫の世界の揉め事は、猫同士で解決してくれ。なんで人間の俺が首突っ込まなきゃならねえんだよ」
言った途端、三毛子が背中に飛びついて来た。ジャージのフードに爪を引っかけ、にゃあにゃあ鳴いてくる。
徳田は溜息を吐いた。どうやら、離してくれそうもない。
「わかったわかった。今行くから、ちょっと待ってろ」
徳田には、秘密がある。
初めは、気のせいだと思っていた。動物の語る言葉が理解できるなど、あるはずがない。彼は、それを人の言葉だと思っていた。遠くで話している人間の言葉が、様々な音に混じって聞こえて来るのだろうと解釈していた。
だが、ある日を境に変わる。
両親が死んだ日、彼はひとり泣いていた。その時、目の前に黒い猫が現れる。猫は、こう言った。
(人間の子供が泣いているのか)
ひとり言のようだった。以前なら、気のせいだと思っていただろう。だが、今は違っていた。猫でもいいから、話し相手が欲しかった。
「パパとママが、死んじゃったんだって……」
猫に語りかけると、彼は足を止めた。
(おや、珍しい。我らと会話できる人間が、まだ残っていたのだな)
その時、徳田は自身の秘められた能力に気づく。やがて、彼は様々な動物と会話をするようになった。付近の動物たちの間で、徳田は有名人になってしまった。
時おり、徳田の家に動物が訪問することもある。ほとんどの場合、彼らは手に余る厄介事を解決してもらうためにやって来るのだ。
彼がまっとうな商売で儲けられるのも、動物たちの情報をうまく活用しているからである。したがって、動物たちからの頼みを無視する訳にもいかないのだ。
そして今、徳田は夜の公園にいる。彼の前には、数匹の猫がいた。
「つまり、アレクの縄張りにニャー丸組のジョニーとヴァネッサが入り込んで、ニャンゴロウにぶちのめされた。だからニャー丸は怒ってる……これで、間違いないな?」
徳田の言葉に、大柄なキジトラ猫がにゃあと鳴いて答える。すると、大きな黒い猫がウウウと唸り声をあげた。威嚇の声だ。
このキジトラはニャー丸、黒い猫はアレクだ。どちらも、群れを仕切るボスである。アレクの群れとニャー丸の群れは対立関係にあり、小競り合いの絶えない状態だ。今回もまたトラブルになっており、アレクの愛人いや愛猫である三毛子が、顔役の徳田に間に入ってくれるよう頼みに来たのである。
「まず、アレクの縄張りを荒らしたのはジョニーとヴァネッサだ。それは、ニャー丸組の方が悪い。しかし、ニャンゴロウもやりすぎだ。という訳で、喧嘩両成敗。これでどうだ?」
言った途端、アレクとニャー丸の双方が不満そうな声をあげる。徳田は、渋い表情で背負っていたリュックを降ろす。
中から、モンペチゴールドの缶を取り出した。猫専用の、超高級なウエットフードの缶詰だ。見た途端、アレクもニャー丸もぴたりと黙り込む。
「頼むから、俺の顔を立ててくれ。今回の件は、このモンペチゴールドで手打ちだ。いいな」
言いながら缶詰を開け、持ってきた皿の上に中身を移す。すると、その場にいた猫たちは食べ始めた。その姿を、徳田は優しい表情で見ている。
やがて食べ終えると、ニャー丸は無言のままさっさと消えた。アレクはこちらを見上げ、にゃあと鳴いた後に去って行く。アレクの子分であるニャンゴロウも、にゃあと鳴いて帰って行った。
ひとり残された徳田は、苦笑しつつ空き缶と皿をビニール袋に入れてリュックへと戻した。
「礼は言わないぞ、って……本当に意地っ張りな奴らだなあ」
翌日の夜。
人気のない荒れ地で、徳田は車を止めた。辺りを見回すが、誰もいない。どういうことだろうか。
「おいコラ、来てやったぞ。出てこいや」
言ってみたが、周囲はしんと静まりかえっている。
徳田は首を捻る。組の事務所に、徳田宛ての封筒がきていた。中身を開けると、なんと果たし状である。場所を詳細に書いた地図とともに、決着は一対一の勝負でつけたし……などと時代がかった文面だったため、ひとりで来てみたのだ。しかし、人の気配はない。もしや、知り合いがサプライズか何かを仕掛けているのか……などと思った時だった。
突然、恐ろしいまでの殺気を感じる。直後、とんでもない轟音が響き渡った。
振り返ると、車がひっくり返っている──
「お前が、トリンドル徳田か」
ひっくり返った車のそばには、緑色のスーツを着て、同じく緑色のハットを被った巨大な男が立っていた。くわえタバコで、じっとこちらを見ている。どうやら、この男がひとりで車をひっくり返したらしい──
徳田は怯みながらも、言い返した。
「そういうお前は誰だ?」
「権藤組組長、権藤薫だ。お前が、いつでも来いと言ったんじゃないのか」
その言葉を聞いた瞬間、徳田の顔から血の気が引いた──
権藤薫……身長百九十センチ、体重百六十キロ。ステゴロ(素手の喧嘩)では日本最強と言われている男だ。鍛えること、武器を使うことを良しとせず、生まれ持った天性の力のみで闘う……そんな生き様を貫く漢である。
その武勇伝たるや、凄まじ過ぎて都市伝説と同レベルの扱いを受けている。いわく、対立する外国人マフィアのアジトに単身で乗り込み、素手で三十人以上を病院送りにした。抗争の際にマシンガンで撃たれたが、その日のうちに病院を抜けだして報復した。動物園から逃げ出した五百キロの灰色熊を素手で殴り倒して気絶させ、動物園まで担いで行き引き渡した……などなど、幾多の伝説の持ち主である。
正直、徳田はでたらめだと思っていた。ちょっとした喧嘩自慢に尾鰭が付き、大袈裟に伝わっているのだろうと。だが、本人を前にして確信した。
この男は、本物の怪物だ──
「お前、ウチの人間を痛め付けてくれたらしいな。挙げ句に、いつでも来いとも言ってらしいじゃねえか。遊んでもらうぜ」
権藤は、重々しい口調で言った。徳田は、思わず顔をしかめる。
「だからなんだって言うんだよ!」
怒鳴ると同時に、殴りかかる。徳田とて、ステゴロで負けたことはない。先制攻撃で数発入れれば、勝てるはず──
どのくらい殴っただろうか。かれこれ数十発は入れた。その打撃を、権藤は避けもせずに全て受け止めた。
にもかかわらず、権藤は微動だにしてない。平然としているのた。
「次は、こっちの番だな」
ボソッと呟く声がした。次の瞬間、徳田は宙を舞う──
気がつくと、地面に倒れていた。権藤の強烈なボディアッパーを喰らったのだ。とっさに腕でガードしたものの、肋骨はへし折れている。腕も折れてしまった。凄まじいパンチ力だ。かつてトラックに跳ねられた時よりも、強烈な衝撃力である。
徳田は立ち上がろうとした。が、体が言うことを聞いてくれない。ガハッという呻き声を発し、再び崩れ落ちる。
「まだ終わりじゃねえぞ。ケジメは、きっちりとらせてもらう」
重々しい口調で言いながら、権藤は近づいて来た。このままだと殺される、と思った時だった。
突然、目の前に小さな動物の影。それも、二匹いる。
アレクとニャンゴロウだ──
「お前ら、何やってる……来るな……」
徳田は呻いたが、二匹はどく気配がない。背中の毛を逆立て、権藤を睨んでいる。
いや、アレクとニャンゴロウだけではなかった。その場に、続々と猫が集まって来ている。三毛子、ニャー丸、ジョニー、ヴァネッサたちが現れたのだ。猫たちは威嚇の声をあげながら、権藤と向き合っている。
「バカ、お前らじゃ勝てねえ……」
徳田は呻き、立ち上がろうとした。が、腕と肋骨の痛みに耐え切れず崩れ落ちる。
その間にも、次々と猫が集結する。神社に住む茶虎の茶太郎、ひときわ体の大きなニャムコ、便利屋に飼われているカゲチヨ、尾形さんちのマオニャン、工場に住むルルシー……あちこちの猫たちが集まり、徳田の周りを囲んでいる。さらには、アレクと同じ家に飼われている雑種犬のシーザーや、ミニチュアブルドックのロバーツまで来ていた。彼らは、権藤に敵意ある視線を向けている──
「お、お前ら……」
徳田の胸に、熱いものがこみあげてくる。彼は体の痛みも忘れ、立ち上がっていた。
その時。異変に気づく。権藤の様子がおかしいのだ。さっきから、ぴくりとも動かない。
どういうことだ……と首を捻り、恐る恐る近づいて見る。
直後、とんでもないことが起きる。権藤の巨体が、目の前で倒れたのだ──
翌日、徳田は喫茶店にいた。折れた腕をギブスで固定させ、首から吊っている。彼の前には、権藤がいた。お子様ランチを食べながら、凄まじい形相で徳田を睨んでいる。
実のところ、徳田は笑いをこらえるのに必死だった。
「いいか、お前んとこの縄張りでシャブ売ってたバカは破門にした。あいつが勝手にやったことで、組は関係ねえからな。あと、これは俺なりの誠意だ。受け取れ」
お子様ランチを食べながら、権藤は分厚い封筒を差し出す。中には、札束が入っていた。
「は、はい。ありがとうございます」
徳田は頭を下げ、封筒を受けとった。途端に、権藤の手が伸び徳田のネクタイを掴む。
「これで手打ちだ。いいか、あのことは誰にも言うな」
「も、もちろん言いません。権藤さんが、猫が苦手だってことは誰にも──」
「殺すぞ」
低い声で凄まれ、徳田は震えながら頷いた。目の前の男が自分より年下だとは、到底信じられない話だが事実なのだ。
すると、権藤はニッコリ微笑んだ。
「これからは、よろしく頼む。仲良くしようや」
権藤との話が終わった後、徳田は公園のベンチに腰掛けていた。今回は、いろんな意味で疲れた。しばらく動きたくない。
ふと周りを見ると、若いカップルだらけである。地元の若者たちにとって、有名なデートスポットなのだろうか。ひとりでベンチに座っている徳田は、明らかに浮いていた。
居心地の悪さを感じ、ぷいと横を向く。すると、どこからともなく猫が現れた。黒い猫だが、アレクとは違う。毛並みが綺麗で、体つきもしなやかだ。顔つきも上品である。だが、何より異なる点は……尻尾が二本生えていることだった。
その黒猫は、恐れる様子もなくベンチに飛び乗ってきた。徳田の膝の上に、馴れ馴れしい態度で座り込む。
徳田は苦笑し、黒猫の背中を撫でる。
「何だお前、ひとり寂しい俺を慰めてくれんのか。ありがとよ」