源太
ちくしようはら
畜生腹。つまり、赤子が双子以上で産まれることである。双子以上で産まれるのは、まるで畜生、つまり動物のようだとして、忌み嫌われる。
これこそ、源益が藤非識定国に向かって吐いた言葉なのだ。
「こうして書くのも憚られる、ましてや口にすべき言葉ではない。その場に居合わせた藤非識殿に聞かれたのは仕方ないが、せめて山井には、知られたくなかったのだがな」
定省王は、堪えるように声を絞り出して呟いた。
「それでさあ、このこと知ってるのって、あと何人いるの?」
緊迫した空気の中に、今上の、少し間延びした声が響いた。これもおそらくは、わざとであり、少しでも場の空気を和らげようとしてくださっているのだと、季姫は考えた。
「当然ですが、我が母と、おそらく女房の弁の君。あとは、宇治の祖父母も、知っている可能性があります。母と私が父に引き取られたのは、七歳の時ですから、父が知っているかどうかはわかりません」
まず、定国が口を開いた。
「知ってたとしても、さすがに自分の子供のことは、広めたりしないよね。あの高藤だし。あとは女房達がどれだけ知っているかかなあ」
だから、定国の家族を警戒する必要はない。ただ、女房の中には、心ない者がいる場合があり、少し注意が必要である。
「私の方は……父は養父ですから、知らないと思います。多分、亡き育ての母も、詳しく知らなかったと思いますし。祖母が、知っているというよりは、状況から見て、おそらくそうだろうと、ほぼ確信に近い推測をしている様です」
次に、季姫が答えた。麻名子が知っている様子はなく、ならば枝良も知らないはずである。例え麻名子が知っていたとしても、枝良に伝えるとは思えないし、そもそも、小町ですら、確証がないといっていたのだから、それを小町が麻名子に伝えているとは、考えにくい。
「祖母って、あの小町どのだっけ?それはもう、知ってるのと同じだよね。お元気なんだね。朕にとっては、伝説みたいな人だよ。そうだ、今度会わせてよ」
「ありがたきお言葉にございます」
小町が、今上に会うことを栄誉と思うかどうか、季姫にはいまいち確信が持てなかった。小町は、あの深草少将にさえ、手を焼いているのだ。
「それで、益が誰かに話したりしてないのかな?そもそも益はさ、なんでそんなこと知ってたわけ?」
今上の疑問に、定省王が答える。
「藤非職殿は、七歳まで、宇治にいたと言ったな。その頃、益殿も、宇治にいたはずだ」
「益殿が?」
初耳だったのか、定国が驚く様子を見せた。
「あ~そうだね。途中から来たんだよね、益って。五歳くらいのときだったかな?全子の息子だからよろしくって言われた気がする。なんて言ったっけ?そうそう、源太だ源太。ほら、源陰の長男だからって。そのまんまだよね、幼名」
今上が、益が側に仕えるようになった日のことを思い出し、その幼名を口にした。その名に季姫は、脳裏を過ぎる光景があった。
「源太……藤非職殿、幼名は何でしたか」
「藤若、ですが。それが、どうかしたのですか」
「藤若……」
藤若、その名もまた、季姫の記憶の奥底に眠っていた名前であった。ここに、事件の鍵があると、季姫は確信する。
「母は私を、父の形見として、宮道の家で育てるつもりだったそうです。ですからせめて、幼名に、父の子である証を残そうとして、藤若にしたのだと」
しかし定国は、季姫が不思議そうに己の幼名を呟いたのを、別の意味に受け取ったようである。益の源太同様、命名の由来を説明する。
「源太に藤若……私、幼い頃に、益殿に会っているかもしれません。紀の兄様、覚えてませんか」
記憶の中に、季姫はこの場に同席している人物、貫之がいることに気付いた。
「幼い頃?」
「ほら、私が男装して、一緒に市に行った時です。母達に無断で出かけて、あとですごく叱られた時……また兄様が阿古兄様で、私が都季だった頃……」
「ああ、確か君が、絹織物に夢中になって、はぐれた時だね」
母達に無断で、内教坊を抜け出したのは、たったの一度であった。子供二人だけの大冒険は、それぞれに鮮烈な思い出を植え付けている。
だから、一度思い出せば、その細部に至るまで、かなり鮮明に記憶がよみがえるのだ。
「そうです。その絹織物を見ていたら、別の男の子に、声を掛けられたんです。藤若じゃないかって呼ばれて……」
「ああ、あの無礼な奴。君が怖がっていたから、俺、睨み付けた気がする」
「そうです。確かその子、源太って言ってて、宇治がどうとか。それで、私とその藤若が似てるだかそっくりだかって……」
「それじゃあ、山井が子供の頃に出会った源太が、益だったってこと?」
その頃、益が宇治から出てきたばかりだったとして、その宇治に、藤若と呼ばれた定国がいたのだとしたら……よく似た都季――季姫を、藤若と取り違えて声を掛けても、おかしくはない。
「あり得ない話ではないですね」
「それだとさあ、定国と益は、宇治で一緒だったってこと?全然、そんな風に見えなかったけど」
季姫の話に、今上が疑問を投げかけた。宇治で友人だった割には、身分の違いを考えても、益と定国は、それほど親しいという雰囲気が、感じられなかったのだろう。
定国は頭を掻き、少し恥じるように、当時を語った。




